2011年3月、LEW LEWIS来日決定

k_turner2010-11-06



 今タイトルを入力していて、「んな、アホな」と突っ込もうとした自分がいた。でもこれは事実なのだ。あのルー・ルイスが!!遂に日本にやって来る!!!!!
 このニュースを知ったのは昨日のお昼ごろ、よく拝見している☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ パブっ子BBS ★☆★ ☆★ ☆★ ☆★☆での次のような書き込みによってだ。

遂に来年3月、あのLEW LEWISが奇跡の初来日を果たす事が決定!!!!!!
日本のROCK MUSICIAN達に多大な影響を与えたROCKIN' HARP野郎。
バックに、あのDR.FEELGOODのbassist SPARCO, 元EDDIE & THE HOT RODSのguitarist WARREN KENNEDY, それにTHE CHARLATANSのdrummer JONという編成。
現在、LEWは、頻繁に彼の地元英国はSOUTH-ENDにliveをやってます。
なお、心配されるLEWの入国問題ですが、passportもとれており、ほぼ心配ありません。

   LEW LEWIS live in TOKYO
2011 MAR 18 ( FRI ) 下北沢GARDEN
MAR 19 ( SAT ) 高円寺HIGH
each night with special guests : EDDIE LEGEND etc

 びっくりしたなんてものではない。唖然とした。意識を失った。いつの間にかだらしなく口を開けたまま、よだれと鼻水を垂れ流していたことに気付き、ハッと我に返った次の瞬間、歓喜の声を上げた。近所迷惑も顧みず、万歳万歳と叫び続けた。
 その後はもう一日中ニッタラニッタラし通しよ。夕方近所のスーパーへ買い物に行っても、知らないおばさんを掴まえて「いやあ〜、ルー・ルイスが来るんすよお〜」と話し掛けては気持ち悪がられる始末。
 招聘元は偉大なるヴィニール・ジャパン様。(ソース→♪♪♪LIVE/EVENT♪♪♪
 これを書いている6日現在、まだチケット発売に関して詳細は出ていないが、これでもうヴィニールには半永久的に足を向けて寝られないな。来年はヴィニールでレコード、CDを100枚は買うわ。決めた。


 70年代の英国ロック界に刺激と潤いをもたらしたパブ・ロック・ムーヴメントの中で、ルー・ルイスほど愛されたハーピストはいない。たった1枚のアルバムと、数枚のシングルを残しただけで、その存在は伝説となった。
 ルー・ルイス、本名キース・ルイスは1954年4月21日生まれ。1969年頃にSouthside Jug Bandというバンドで音楽活動を始める。このバンドには後にドクター・フィールグッドのメンバーとなるリー・ブリローやジョン・B・スパークスが在籍していた。その後、The Fixというバンドでも活動し、Fixのバンド・メンバーだったデイヴ・フィグスと75年に結成したのがエディ&ザ・ホット・ロッズ。ルーはこのバンドで76年1月にレコード・デビューを果たす。
 しかしオリジナル・メンバーだったルーは、デビュー・シングル発売後の76年3月にはバンドを首になってしまう。理由は素行の悪さ。ライヴ中にビールの入ったグラスをメンバーに投げつけたり、バンドが機材車で高速を走っている際、後部座席で放尿したりといった振る舞いに、他のメンバーが耐えられなかったかららしい。
 ホット・ロッズがブレイクする前にあっさり首を言い渡されたルーは、スティッフ・レコードからLEW LEWIS and His Band名義でシングル「Boogie On The Street c/w Caravan Man」を発売する(76年10月)。このバンドにはドクター・フィールグッドのリー・ブリローがギターで、ジョン・B・スパークスがベースで、変名を使って参加している。当時United Artistsに所属していたフィールグッズは、契約の都合で名前が出せなかったからだ。スティッフから発売したのは、その設立時に出資したリー・ブリローの口添えだったらしい。昔のよしみで力を貸したということだろう。
 その後LEW LEWIS BANDを結成し、United Artistsからもシングル「Out For A Lark c/w Watch Yourself」を発表(77年2月)。プロデュースはジョン・B・スパークスで、ヴィック・メイルもエンジニアを担当と、フィールグッズ人脈には世話になりっ放しのルーである。またフィールグッズはアルバム『Sneakin' Suspicion』でルーの曲「Lucky Seven」をカヴァーまでしている。
 人格的にはどうしようもないけれど、何となく憎めない、手助けしてやりたくなる奴というのはいるもので、多分ルーもそんな人柄なのだろう。しかし音楽的な才能が感じられなければ、ここまでサポートされることはなかったはずだ。
 78年になるとLEW LEWIS REFORMERというバンドを組んで、ルーは本格的に活動を始める。スティッフからシングル「Lucky Seven c/w Night Talk」を発売。ロックパイルの前座でツアーも行い、このシングルはそこそこの成功を収める。
 79年11月には、いよいよアルバム『Save The Wail』を発表。これはR&B、ブギーをベースにした荒削りなロックンロール・サウンドと、火を噴くようなルーのハープが見事に融合した大傑作。フィールグッズ、インメイツ、ビショップスなど、ビート・バンド・タイプのパブ・ロックが好きで、このアルバムを聴いていない人はもぐりと断言してもいい。永遠不滅の名盤だ。

 アルバム発売後、80年のLEW LEWIS REFORMERのライヴ。ギタリストのRick Taylorは97年に亡くなっている。このビデオのコメント欄によると、ドラムのIan Francis Barwell(Buzz Barwell)も既に亡くなっているらしい。何と言うことだ。
 ところがルーの活動が順調だったのはこの頃まで。80年代に入るとLEW LEWIS REFORMERは急速にフェード・アウトしてしまう。その後はウィルコ・ジョンソンと組んでライヴをやったり、いくつかのセッション(クラッシュの『サンディニスタ!』にも参加)を行う以外は目立った活動は無く、ルー名義のレコーディングも途絶えてしまった。
 次にルーの名前がメディアを賑わせたのは、86年12月。しかしそれは音楽活動によるものではなく、郵便局に押し入った強盗の罪で逮捕されたからだ。この罪により懲役7年だかの刑が下り、ルーは服役する。れっきとした犯罪であって、その罪は償わねばならないのは当然だが、ルーが襲ったのは自宅の隣にあった郵便局だったらしい。捕まるに決まってるじゃん。この計画性の無さというか、安易な粗暴さが彼の人となりを表しているようだ。
 かつてウィルコ・ジョンソンはこう言ったことがある。
 「パンク・ムーヴメントが起きた時、それをやってるのは中産階級出身の奴らが多かった。でもルーは本物のパンクだった。」
 本来の意味であるパンク=クズという点では、ルーは間違いなくパンクだったのだろう。法を犯すのは論外としても、彼の吹くハープが放つ規格外の魅力は、誰も真似できないものだ。
 出所後のルーは住むところが無かったため、ウィルコの家に居候していたらしい。ウィルコの友達思いの献身ぶりも相当なものだ。その頃、鮎川誠がロンドンに渡って制作した『LONDON SESSION #1』と『#2』には、ルーがハープで参加している。
 その後ヴィニール・ジャパンが発売した、70年代のルーのライヴ音源を集めたアルバム『Boogie On The Street Again!』(98年)で多少のお金が入ったルーは、自分でアパートを借りることができ、晴れて居候生活を脱出したようだが、その頃からルーに関する情報がぱったり途切れてしまう。
 病気がちで入退院を繰り返しているという噂を聞くことはあっても、音楽活動を再開させたという話は残念ながら伝わってこなかった。2001年に日本で翻訳が発売された『パブ・ロック革命』のディスク・ガイドのページで、『Save The Wail』について私は次のように書いたことがある。

 ブルース・ハープを吹かせたらパブ界屈指。これはオリジナル・アルバムとしては唯一の作品で、R&Bに根ざしたガレージ・サウンドとハープの絡みは悶絶もののかっこよさ。素行には問題が多く、郵便局強盗を働いたかどで懲役刑に服したことも。今はどこでどうしているのやら。今作を聴く度に更正と復帰を願うばかりだ。

 あれから10年近くが経った。2003〜4年頃に「最近は時々ライヴをやっているらしい」という話を聞いて、ほっとしていたが、まさか日本でライヴが見られるとは思っていなかった。夢にまで見たという言い方があるが、夢に見ることですら罰当たりだったのだ。しかし、奇跡としか言いようの無い日本公演が来年実現する。しかもスパーコこと、盟友ジョン・B・スパークスも一緒にだ。入国ビザが下りるほどには更正したのだ。相変わらず体調はすぐれないらしいが、日本まで来るほどには回復しているのだろう。
 これで私は来年3月までは絶対に死ねないことになった。紺屋高尾の久蔵のように、「来年3月18日、来年3月18日」と唱え続けながら仕事に励む理由ができたのである。


セイヴ・ザ・ウェイル・プラス

セイヴ・ザ・ウェイル・プラス

 『Save The Wail』を聴くなら、やっぱりスティッフのオリジナルLPで!と言いたいところだが、現在ではかなりのプレミア価格になってしまっているので現行のCDを掲載しておく。ジャケットが変更されているのは残念だが、オリジナル収録曲に加え、シングル曲やライヴ・テイクのボーナス・トラックが11曲入っているのは嬉しい。
 【11月8日追記】
 リンク先のAmazonの解説には「唯一のソロ・アルバムに7曲のボーナス・トラックを追加収録」と書いてある。恐らくリイシュー前のCDが14曲入りだったことからこのような書き方になっているのだろう。『Save The Wail』のオリジナルLPは10曲入りだった。CD化の際、スティッフからシングルで出ていたアルバム未収録の4曲が追加された。現行の『セイヴ・ザ・ウェイル・プラス』はそこにさらに7曲のライヴ・テイクを追加した全21曲になっている。だからボーナス・トラックは11曲が正しい。
 ライヴ・トラックは77年のものが4曲、79年のものが3曲。

THE LONDON R&B SESSIONS

THE LONDON R&B SESSIONS

 これもオリジナルのAlbion盤LPが最高なのだが…。79年にパブ・ロックの聖地HOPE & ANCHORで収録されたライヴをまとめたアルバム。LEW LEWIS REFORMERのライヴが2曲聴ける他、ウィルコ・ジョンソンのSOLID SENDERS時代の貴重なライヴや、パイレーツ、ビショップス、カンニヴァルズなど、R&B系パブ・バンド総動員。上記日本盤はボーナス・トラックを収録しており、ルーの「Out For A Lark c/w Watch Yourself」のシングル曲も聴ける。