ガレージ・パンクに恋狂ひ



 コカコーラの好きなキリンというブログを運営しているミリバールムカイさん発案による、「ガレージ10」という企画に乗った。
 企画の内容はリンク先を読んでいただければ一目瞭然。好きなガレージ・ソングを10曲挙げるという至極シンプルなもの。
 私も以前「最強のロックンロール・ソング10選」という似たような企画をやったことがあり、その時も大層楽しかったので、気楽な気持ちで参加表明したのは良かったが、いやあ、10曲選ぶのは正直大変だった。
 王道の60年代のアメリカン・バンドはもちろん、同時代には日本を含め世界中で同様のガレージ・バンドが結成され、総数では気の遠くなるような数のバンドが存在した。その大半はシングル盤1枚、もしくはせいぜい数枚を残して消えており、大勢の研究家、マニア、気違いたちによってそうした音源の発掘が今日に至るまで続けられているが、一向に終了する気配が無い。
 もともとガレージと呼ばれる音楽には明確な定義が無く、60年代の一時期に活動したバンドだけを指すものでもない。50年代の異色なロカビリーや、サーフ・インストだって見方によってはガレージだし、70年代以降にも60年代のバンドに影響を受けたサウンドを奏でるバンドがあり、それだってガレージに違いない。
 それら全てを聴くなんてことは一生かかってもできないだろうが、この歳になるまで集めた音源だけでも結構な量があり、その中から好きな10曲を選ぶというのはかなりの思い切りが必要だった。とはいえ、久しぶりにナゲッツペブルス、バック・フロム・ザ・グレイヴなどを引っ張り出したり、その他気になるレコード、CDをあれこれとっかえひっかえ聴く作業は、大変ながらも実に楽しかった。改めて色々な発見もあったし。
 そんなこんなで選んだ10曲を謹んで発表させていただく。ベタな有名曲がほとんどであるのは、ご容赦いただきたい。誰も知らないような曲をひけらかすほどマニアではないことが一番大きな理由だが、あまりマイナーな曲ではYouTubeにもアップされていなかったりするので。

◆MAD3 / Devil Men

 ガレージ・パンクなる音楽に開眼した切っ掛けは、私の場合間違いなくこのMAD3。98年に彼らのライヴを初めて見た時に大きな衝撃を受け、その後3〜4年は都内で行われたライヴはほぼ追いかけた。その時期は年間平均で10回以上は見たと思うし、2003年ぐらいから頻度は下がったものの、折々のライヴには駆けつけた。彼らが解散するまで見たライヴは50回を下ることはないはずだ。
 数が多ければ良いというものではないが、それだけ入れ込んだバンドなのだから、彼らがカヴァーしている曲について調べたりするし、関連アーティストのレコードを探ったりしている内にガレージ・パンクの底なし沼へズブズブと。MAD3は他の追随を許さない極めてフィジカルなライヴ・バンドであると同時に、学究肌のパンクおたくでもあって、そんじょそこらの研究家やコレクターでは太刀打ちできないほど奥深い造詣を持っていたことも災いした。
 それ以前から70年代のパンクはひと通り舐めたつもりだったのだが、ガレージ的な価値観に基づく「パンク」の世界を知るとさらに欲が出てあれもこれもと手を出してしまい、段々取り返しのつかないことになっていったのだった。
 こんな私にしてくれた、最大の功労者であるMAD3には大好きな曲が沢山あって、とても絞りきれないが、ライヴでの定番であったことと、映像がカッコイイのでこの曲を選んだ。95年にドイツでリリースされた7インチがオリジナルで、後に『GOD FUZZER』というシングルのコンピレーションにも収録された。

◆The Litter / Action Woman

 ペブルスの1番のA面1曲目!この栄光の座が与えられるに相応しい傑作ナンバー。イントロから唸りを上げるギターのフィードバックにしびれた(元を含む)青少年が全世界にどれだけいたことか。
 超有名曲だけにいろいろなバンドが取り上げているが、オリジナル以外ですぐに思い出されるのは、ドメニコドモランテ。ライヴでよく演奏していたし、彼らのファースト・アルバムにも入っている。トクthe Dはあの頃から天才だった。

◆The Remains / Don't Look Back

 ナゲッツで知った曲。64年にボストンで結成されたバンドで、66年にはビートルズの最後のアメリカ・ツアーに同行している。この曲は66年8月に発売されたシングルなので、恐らくそのツアー中にも演奏されたことだろう。作者は80年代に「At This Moment」で全米No.1ヒットを放ったビリー・ヴェラ。
 リメインズ自体は商業的に成功を収めることなく、ほどなく解散している。この曲は彼らが残した4枚のシングルの内、最後のものだった。

◆The Choir / It`s Cold Outside

 初めて聴いたのはペブルスのvol.2だった。ペブルス収録曲の中ではやや珍しい、マージービート風のポップなナンバー。リッケンバッカーと思われるカッティングとメロディアスなサビが心地よい名曲。後にボックスで出たナゲッツにも収録された。ペブルスナゲッツの両方制覇に敬意を表して。
 この曲は67年に発表された彼らのデビュー・シングルで、地元クリーヴランドでNo.1を記録するヒットとなり、当時日本盤まで発売された。しかし後が続かず、70年には解散。メンバーは同じクリーヴランドのCyrus Erieというバンドのメンバーだったエリック・カルメンと共にラズベリーズを結成する。

◆Monks / Monk Time

 神をも恐れぬ修道士のコスプレで、ノイジーでフリーキーな反復ビートを叩き出す彼らの実態は、ドイツに駐留していたアメリカ兵5人組。この曲は66年発表の唯一のオリジナル・アルバム『Black Monk Time』のオープニング曲。
 冷戦下のドイツと言えば軍事的に重要な場所だったはずだが、兵隊さんがこんな気の触れたようなことをしていて大丈夫だったのか?と思うが、アメリカはおおらかな国なのだろう。
 ガレージ・バンドは制服(スーツか革ジャン)を身にまとうものという常識をさらにエスカレートさせて、コスプレ姿で演奏した功績は大。音楽的にも、この反復ビートが後のジャーマン・ロック(ノイ!とか)に影響を与えたのではないかと想像すると楽しい。

◆The Mummies / Skinny Minnie

 60年代のガレージにあった狂気の部分を現代に再現したのがこのマミーズ。悪ふざけを通り越しミイラ姿で演奏する露悪趣味と、荒削りなんて生やさしいものではない粗雑を極めた演奏は衝撃だったに違いない。私は完全に後追いだったので、その辺の凄さは想像するしかないのだが。
 また90年代とは思えないローファイの極致のような音質でリリースされる音源は、ティーンジェネレイトやギターウルフなど、当時の日本のガレージ・シーンを牽引していたバンドに多大な影響を及ぼした。
 この曲のオリジナルはビル・ヘイリーと彼のコメッツ。しかしマミーズが下敷きにしているのは、やはりソニックスのヴァージョンだろうなあ。90年代半ばには活動休止していたが、3年ほどに復活して今でも時々ライヴをやってるようです。

◆The Fuzztones / 1-2-5

 マミーズの後で聴くといくらか小奇麗に聴こえてしまうが(笑)、85年の作品であることを考慮して欲しい。リバーヴだらけのドラムにシンセがバリバリの分厚いサウンドが普通だった時代に、こんな古式ゆかしい音を出していたことが素晴らしい。しかも曲はHauntedというカナダのガレージ・バンドが66年に残したヒット曲のカヴァー。
 ファズトーンズは80年にニューヨークで結成されたバンドで、60年代のガレージを80年代に再現することがコンセプトだった。西海岸のペイズリー・アンダーグラウンド一派など、80年代のアメリカのローカル・バンドは守備範囲だったので、このファズトーンズも随分前から知っていたけれど、耳に馴染むようになったのは私がガレージを通過してからのこと。そういうことだったのか!と、膝を打ったのは10年ほど前だっただろうか。罪滅ぼしの意味も込めて選出。

◆The Cramps / TV Set

 ファズトーンズと同じくニューヨークのバンドで、ガレージやサイコビリーの守護者だったバンドが、このクランプス。昨年ラックス・インテリアが亡くなってしまったために、バンドも活動を休止してしまったことが残念でならない。
 センス溢れるカヴァー曲を選ぼうかとも思ったが、ここはオリジナルで。アレックス・チルトンのプロデュースで作られた、彼らのファースト・アルバムのA面1曲目に収められていたのがこの曲。
 映像は97年のライヴで、この時のメンバーのまま翌年二度目にして最後の来日を果たしている。幸運にも私はその時のライヴを見ており、この曲が演奏されたことも覚えている。私の記憶に残るラックスは、この映像のままの、不埒で退廃で破滅的なパフォーマーだ。ガレージ的価値観を全身で表現していた人だった。

◆The Crawdaddys / I'm A Lover Not A Fighter

 音だけ聴いたら誰もが60年代のイギリスのバンドだと思うだろう。これが70年代末のサン・ディエゴのバンドだというのだから恐れ入る。このバンドを知ったのは10年ほど前。初めて聴いた時は狂ってやがると思ったものだ。
 この曲はキンクスが取り上げたことで有名なナンバー(作者はJoseph D. Millerというルイジアナのソングライター)。クロウダディーズのレコードは全編がこの調子で、オリジナル曲を含めて初期のキンクスヤードバーズ、ゼム、プリティ・シングスなどブリティッシュ・ビート・バンドの真似っこ大会。それを70年代末から80年代初頭にかけて行っていたというのが、パンク。例えば当時まだ活動中だったキンクスは、こういう音が出せるバンドではなくなっていたのだから、当のキンクス以上にキンクスらしい。初期のキンクスが持っていたガレージ風味をこよなく愛し、理解していたからそうなったのだと思う。
 この曲を収録したクロウダディーズのファースト・アルバムはグレッグ・ショウが手がけたVOXXレーベルの第1弾でもある。

The Sonics / Psyco

 最後は迷った挙句、エイヤっという感じで最もベタな曲。リトル・リチャードに代表されるR&Bサウンドを白人の力で押し切るとどうなるかの標本。ブリティッシュ・インベイジョン当時、イギリスのバンドに影響を受けてバンドを組んだ者が全米各地に無数に存在した。ソニックスも当然影響は受けていたのだろうが、イギリスのバンドを経由するのではなく、手元にあったR&Bをダイレクトに咀嚼したところが一味違う。その結果が血管の切れそうなシャウトであり、グルーヴ感たっぷりのサウンドである。
 結果、ガレージ・パンクの名で呼ばれるビート感や狂気が最も純粋な形で抽出されている。ナゲッツは箱に入って仰々しい。ペブルスは数が多すぎて手が出せない。手っ取り早くガレージ・パンクを知るには、ソニックスのファースト1枚が最適なのではないだろうか。それを気に入れば、自滅覚悟で大海へ漕ぎ出せば良いし、合わないなあと思ったらあなたはガレージと縁がなかったということだ。ソニックスはリトマス紙の役割も果たすのである。
 THE BAWDIESソニックスのファンだと公言していると聞いた。そんなバンドが現代の日本で売れているのだから、まだ世の中も捨てたものではないと思う。