HMV渋谷店閉店に思う



 HMVの渋谷店がいよいよ22日で閉店する。90年代前半、まだ今とは違う場所にあった頃の渋谷店に足繁く通った者としては、ひとつの時代が終わったという感慨に浸ってしまう。
 ただ渋谷店が渋谷店であるアイデンティティというか、必然性のようなものは、とうの昔に無くなっており、本来的な意味で渋谷店が持っていた役割は既に失われていたと思う。
 かつてのHMV渋谷店で最も強烈に残る記憶は、ラヴ・タンバリンズの2nd.シングル「Midnight Parade」が平台で200枚ぐらい陳列されていた光景だ。当時国内資本のCDショップチェーンで働いていた私には青天の霹靂以外の何物でもなかった。何故なら私の勤める会社ではラヴ・タンバリンズのCDは全く取り扱っていなかったからだ。1店舗ではなく、200店以上ある全店を通じてただの1枚も在庫をしていなかった。今調べたらあのシングルが出たのは94年の1月だった。
 当時ラヴ・タンバリンズはテレビ、ラジオはおろか、音楽雑誌を含めて、メディアでは全くと言っていいほど触れられていなかったし、発売元であるCrue-lレーベルはまだ規模の小さな会社で、全国流通させるような販路を持っていなかった。問屋が在庫を持たないのだから、CDショップチェーンが取り扱っていないのはある意味当然だったのだ。インディーズがブームとなり、ヒットチャートにインディー作品がいくつもランクインするようになるのは、この2〜3年後のこと。流通に関して言えば、インディーを取り巻く状況はラフィン・ノーズがアルタ前でソノシートをばら撒いていた頃とほとんど変わっていなかった。
 ラヴ・タンバリンズの元ヴォーカルELLIEが、当時を回想してこのように語っている

さて、渋谷HMV

私がラヴ・タンバリンズでデヴューして

渋谷CD屋 レコード屋の店員さんのセレクトで平積みで置いてくれた。

レーベルと前々から、それなりの繋がりはあっただろうけども、

全く無名のラヴ・タンバリンズ、しかも英語で唄ってるなんて

普通は置いてくれないですよ。

売れそうに無い物を普通は置きませんよね。

今、考えると面白い事だったと思うんです。

渋谷発信の面白い事(音楽でもファッションでも)

そこには、スペシャルなものがあった。

渋谷ならではの物。

 ヒットチャートやメディアとは全く無縁のところで、音楽やファッションに敏感な渋谷を闊歩する若者が反応しそうな作品をレコメンドし、販売するのがHMV渋谷店のスタイルであり、名物バイヤー太田浩さんの戦略だった。HMV渋谷店で大々的にプッシュされている音楽を総称して「渋谷系」と呼ばれるようになったのも、この時期だったと思う。
 渋谷系の中心的存在と言えばフリッパーズ・ギターの2人やピチカート・ファイヴオリジナル・ラヴあたりが筆頭だろうか。それらのアーティストはメジャー・レーベルからリリースされていたので、私の勤める会社でも取り扱ってはいた。しかし売り上げではドリカム、ユーミンチャゲアス米米クラブら、オリコンで上位にランクインするアーティストより下位に甘んじていた。当然のことながら。しかるにHMVなどでは、この関係が逆転する現象が起きていたのだ。
 ラヴ・タンバリンズの大量在庫を見てショックを受けた翌日、私もバイヤーのはしくれとして自店舗でも取り扱えないかと本社にかけあった。しかしCrue-lとの取引ルートが無かったこと、Crue-l自体も在庫を切らしていたことから、叶わなかった記憶がある。結局私の勤務先でCrue-l作品を扱えるようになったのは94年の夏も近づく頃。HMV渋谷店1店でラヴ・タンバリンズの「Midnight Parade」が3000枚以上売れた後だった。
 CDショップ店員としての職業意識を別にして、一音楽リスナーとしてもHMV渋谷店は楽しい場所だった。そこへ行けば何かしら面白い作品に出会うことができたのだから。個人的にはヒップホップ、R&Bに力を入れていたHMVよりも、ギターポップオルタナティヴなどのアメリカン・インディーの品揃えが素晴らしかったという理由で、渋谷系のもうひとつの発信源であるWAVEクアトロ店で買い物をすることが多かったが。それでも渋谷の磁場が生むパワーが圧倒的だった証拠に、今ではとんとR&Bに疎い私が、その頃はJodeci、Tony Toni Tone、Mint Conditionなどのヴォーカル・グループものをよく聴いていたりした。懐かしいな。
 私にとって、HMV渋谷店が楽しい遊び場であったのは97年かせいぜい98年が最後だ。その頃から在庫内容が薄くなり始めたのが大きな理由である。どこにでもある売れ筋のタイトル以外の在庫が激減し、そこへ行かねばならない必然性が無くなった。内部事情は知らないので推測でしかないが、既にHMVは全国に多数の支店を出す規模の大きな会社になっており、全社的な利益率を追及するには回転の速い売れ筋商品に注力せざるを得なかったのだと思う。90年代も後半に入るとCDのバブルがはじけ、だんだん売り上げが悪くなってきていたことも無関係ではないだろう。しのぎを削っていたWAVEクアトロ店が撤退したのもこの頃だ。さらに私自身も96年にCDショップを退職し、音楽とは無縁の仕事を始めていた。リスナーとしては依然として現役ではあったものの、私が渋谷へ出向く機会も徐々に減っていった。


 そんなHMV渋谷店が閉店されると発表されたのが今年の6月。感傷的な気分にならないと言えば嘘で、閉店する前にもう一度行ってCDを買いたいと思っていた。恩返しの意味でも。諸々あってそれが実現したのが昨日のこと。丁度「曽我部恵一 presents HMV渋谷 おつかれサマーフェス」というイベントもあるというので、それも見られたらいいなと思って出かけた。
 午後4時頃、店内に足を踏み入れるとかなりの人でごった返していた。特にイベントが開かれていた2階フロアは、売り場の大半をイベント目当ての人たちが埋め尽くし、CDを選んだりはできない状況。仕方なく3階へ移動すると、ロック、ポップス、ジャズ、ワールドミュージックの売り場であるこのフロアは、意外にも閑散としていた。
 そこで全体を1時間以上かけてゆっくりチェック。13日から輸入盤は全品30%引きになっていたこともあり、めぼしい新譜はほぼ在庫切れ。補充はしていないようで、スカスカの什器の中から欲しいものを探すのはなかなか骨が折れた。
 それでも何とかCD6枚をチョイス。それが以下の写真。

 Ray LaMontagneの新作がもう出ていたとは知らなかったのでラッキー。Amazonでの発売日は8月31日になっている。残っていた数少ない新譜だった。後はSpeciality時代のLittle Richardのアルバム3枚に、今年出たPoppersの発掘音源集と、Freddy Cannonのベスト。Freddy Cannonだけは国内盤。

 1,000円以上購入の特典として、特製フェイスタオルもいただいた。香典返しみたいなものだな。写真には無いけど、5,000円以上購入の特典として、390円分のギフトカードも。
 その後渋谷界隈の他のCDショップもいくつか回った。渋谷でCDショップをはしごするのは何年ぶりだろう。ノアビルのZESTも、ハンズの対面にあったCISCOも、あの当時通った店は随分無くなってしまったけれど、ショップを冷やかすのは今でも楽しいものだ。思いがけない掘り出し物も当然あった。
 ひと通り買い物を終えて、帰宅する前にイベントの様子を見に行こうと再度HMVまで来てみたら、既に満員で2階へは入れない状態。会社帰りの人などが集まったからだろう。


 正面入口は人でごった返し、センター街側の入口は出口専用として入店規制がかかっていた。盛況で何よりだが、この混雑ぶりではまともに買い物ができたのかは疑問。イベントによって集客がアップするのは狙い通りにしろ、夕方の時点でも2階はほとんどイベント目当ての客で占有されてしまっていたから、売り上げへの貢献は決して大きくなかったのではないかな。閉店数日前ともなると、売り上げを重視するというよりは最後のお祭り気分で賑わってくれればそれでいいのかも知れない。店側としても今更大挙して来られてもという本音があるのは想像に難くない。イベントに関わったスタッフや、恐らく手弁当で出演したミュージシャンらの労はねぎらわれてしかるべきだが、売り上げ面で有終の美を飾らせてあげたかったと、大きなお世話のひとつも焼きたくなった。