悲しいときも 涙だけじゃ 空がまた暗くなる



 今日は青山で清志郎の告別式があった。行こうかどうか迷ったのだが、何万人も参列することが容易に予想でき、人ごみが苦手な私は躊躇していた。しかし塞ぎ込んでばかりもいられず、何かしなければと思っていた時に、告別式はただの儀式ではないかと気付いた。生存している者が故人の不在に対して折り合いを付けて納得するためのものだ。であれば式に参列しなくてもめいめいの方法で告別はできるはずだ。青山へ行くのは止め、清志郎のファンとして価値観を共有する仲間で集まって、清志郎について語り、故人を偲ぶ会を開いてもいいではないかとの考えに至った。バカな頭で考えた、これはいいアイディアだ。
 ということで数少ない友人に声を掛け、都内某所にて清志郎追悼飲み会を催した。カラオケボックスにDVDを持ち込み、それを流しながら思い出を語り合おうという趣向だ。
 だいたい同じ世代であるのに加え、一緒に清志郎のライヴへ行ったこともある人たちなので、話は尽きない。午後6時にスタートして、当初2時間半で予約していたところ(2時間35分で予約できないか掛け合ってみたが、店は飲んでくれなかった。ふん)、時間はたちまち過ぎて行き、1時間、また1時間と延長。結局終電ギリギリまで大いに盛り上がった。
 正直なところ清志郎に告別したという実感は湧かないし、告別したくないという気持ちも未だにある。ただ清志郎に限っては派手に大騒ぎして偲ぶのがふさわしいように思えるので、これで良かったのだろう。明日からまたくだらない日常を生きていくために、折に触れ清志郎の力を借りることがあるとは思うが、この日をもって今までとはちょっと事情が異なることが了解できたような気がする。