世界中の人に自慢したいよ



 昨日は高円寺で新生NYLONの東京での初ライヴがあって、NYLON以外にも素敵なバカヤロ様たちが大勢集まって大騒ぎして、ご機嫌で帰宅したのは日付も変わった午前1時ぐらいだった。ふと携帯にメールが来ているのに気付き、開いてみると私と同様に高円寺でライヴを見ていたTotちゃんからで、「たった今清志さんの訃報を知りました」とあった。エーッと叫んで思わず「嘘だろ?」と返信。すぐにパソコンを立ち上げ、恐る恐るネットを見てみると…。
 全身の力が抜けた。
 驚いたというか、悲しいというか、感情を正確に言い表せなかった。しばらく呆然とした後、清志郎の声が聴きたいと思って『Memphis』をかけた。数ある作品から、何故このアルバムが聴きたくなったのかは自分でも分からない。何曲か聴いていて、このアルバムは清志郎が今の私の年齢の時に作ったものであることに気がついた。今の私はMG'sをバックにレコーディングするに匹敵することができているだろうか。それを思ったら、ただ座ったままで年老いていったヤツのような気がして、清志郎に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。それから後は10代の頃から現在までの色々なことを思い出してボロボロ泣いた。そのまま夜が明けるまで清志郎の曲を聴き続けた。
 もの心がついてから、私の人生の傍らには常に清志郎が存在していた。初めてその歌声を聴いたのは、1980年の12月ぐらい。当時好きで欠かさず聞いていた岐阜放送の九十九一のラジオ番組で流れた「いいことばかりはありゃしない」だ。まだビートルズにも目覚めていない田舎の中学一年生にとっての第一印象は、「暗くて長い曲だなあ」だった。ただしネガティヴに捉えたのではなく、知ってはいけない扉ひとつ向こう側の世界を覗き見たような背徳感を味わった気がして、ドキドキした。それからRCサクセションへの興味がじわじわ高まっていた頃、81年9月に名古屋でのライヴが地元のFMで放送され、それで完全にKOされた。それを録音したカセットテープは今でも持っている。まだ『Blue』が出る前で、「じゃあ次は、新曲をやるぜぇ。人々の前でやるのはな、これが2回目なんだ。すげぇだろ」と清志郎がMCを入れて「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」を演奏したりしていた。と、このようにMCまでスラスラ出てくるほどにこのテープは繰り返し聴いたのだ。
 今まで清志郎の歌声と共に過ごした膨大な時間を思うと、私の個人史に占める存在の大きさに改めて驚いてしまう。ライヴにも数え切れないほど足を運んだ。意味も無く国立へも行った。いつ行っても多摩蘭坂の石垣にはファンの落書きが溢れていた。何も変わっちゃいないことに気がついて、坂の途中で立ち止まったものだ。あの石垣ももう無くなったんだよな。
 誠実であること。信念を貫くこと。そのためには孤独と向き合うのを辞さないこと。こうしたことを私は清志郎から教わった。清志郎の曲に「オーティスが教えてくれた」というのがあるが、私はオーティス以前に清志郎から学んだのだ。この事実は動かすことができない。音楽を通じて哲学を学んだ日本のアーティストは清志郎しかいないのではないだろうか。そういう意味ではボブ・ディランとかジョン・レノンとかに比肩し得る唯一の日本の才能だったのだ。異論は認めない。それでいて反権力、アンチヒロイズムの姿勢を崩さず、常に弱者の立場からの視点を忘れなかった。清志郎の曲によって今までどれだけ勇気付けられ、励まされたことか。月並みな言葉だけれど、同じ時代に生きたこと、多感な10代に清志郎に出会えたことは、私にとってのかけがえの無い財産だ。本人は深刻ぶることが嫌いで、そんなこと知らねえよとばかりにいつも飄々としていたけれど。
 これから先、清志郎の新曲や生の歌声を聴ける機会が永久に失われた現実には、途方に暮れるしかない。清志郎のいない世界で生きた経験がないからだ。私が今まで生きてこられた理由のひとつが清志郎だったことは間違いない。それを今後も続けていけるのか、正直なところ自信は無いが、それでも生きていかねばならないのだろう。それが清志郎に対する恩返しであり、感謝の表明になるのかもしれないなと思う。

善良な市民

作詞・作曲 忌野清志郎

泥棒が 憲法改正論議をしてる
コソ泥が 選挙制度改革で揉めてる
でも 善良な市民は 参加させてもらえず
また 間違った人を選ぶ

泥棒が 建設会社に饅頭を貰ってる
金屏風の陰で ヤクザと取引してる
でも 善良な市民は ゴールデン・ウィークに
ディズニー・ランドで 遊ぶしかない

泥棒が 国際貢献をしたがっている
大義名分を掲げ また 二枚舌を使う
でも 善良な市民は 見知らぬ土地で
弾に当って 死んじまうだけさ

お日様が また昇る
泥棒にも 市民にも照らしてる
神様は いったい何をしてる
物を売り捌いて そう 金儲けしてる


善良な市民は 小さな家で
疲れ果てて 眠るだけさ

善良な市民は 新しいビールを飲んで
プロ野球に 熱中するだけさ
競馬で大穴を 狙うだけさ
飯代を 切詰めたりして
Jリーグを 観に行くだけさ

それが善良な市民の生き方さ
善良な市民の生き方さ
善良な市民の皆さんの暮らし
市民の市民たる生き方さ

どうせ 何処かで 死んじまうだけさ
弾に当って 死んじまうだけさ

世界中の人に自慢したいよ

作詞・作曲 忌野清志郎

君とふたり 暮らせるのなら 他に何もいらない
毎朝 君のすぐそばで 目を覚ますだけさ
あとは 何も何もいらない 何もかもうまく運ぶさ
ぼくとふたり 暮らしておくれよ
生活を始めよう

愛し合ってるなら 他に何もいらない
たとえ空が落ちて来ても
ふたりの力で 受けとめられるさ

まるで 雲の上を歩いてる
毎日 そんな気分さ


愛し合ってるなら 他に何もいらない
たとえ空が落ちて来ても
ふたりの力で 受けとめられるさ

毎日毎日 君のもとに ぼくは帰るよ
ぼくとふたり 暮らしておくれよ
きっと幸福になろう

ふたりでそれを手に入れて みんなに自慢したいよ
ぼくは ぼくは自慢したいよ
君のこと ぼくと君のことを

みんなに みんなに 町中の人に もっと自慢したいよ
何も なんにもいらないから 君を自慢したいよ
町中に 国中に 世界中の人に 君のことを自慢したいよ
Oh,Oh, 世界中の人に自慢したいよ・・・