41歳の夏なのに
◆漫画家の赤塚不二夫さん死去(時事通信)
◆バカボン・おそ松くん…「ギャグの神様」赤塚不二夫さん死去(読売新聞)
◆漫画家の赤塚不二夫さん死去=「天才バカボン」などで一時代(時事ドットコム)
◆赤塚不二夫さん死去:「人生はギャグ」なのだ(毎日新聞)
◆漫画家の赤塚不二夫氏死去 「おそ松くん」「天才バカボン」(産経新聞)
「おそ松くん」「天才バカボン」などで知られる漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名・藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。72歳だった。旧満州(現中国東北部)出身。自宅は東京都新宿区中落合1の3の15。葬儀・告別式などは未定。
死因は肺炎だと言うが、何年も前からこん睡状態なのは知っていた。この数年は植物人間同然だったと聞いていたから、もうペンを握ることもないだろうなとは思っていたけれど、現実にこの日が来るとショックが大きいなあ。
実は私は小学生の頃漫画少年であった。藤子不二雄に感化され、近所の友達と合作でマンガを描いていた。学校の壁新聞に連載ページも持っていた(笑)。しかし子ども心にも才能の無さに気づくのにそれほど時間はかからず、小学校5年生ぐらいを境に描くことからは遠ざかってしまった。
その頃のヒーローは当然藤子不二雄。後は鴨川つばめとか江口寿史とか。トキワ荘界隈の漫画家についても知識はあったから、赤塚漫画も読んではいたが、小学生当時、藤子作品ほど惹かれるものはなかった。
しかし年齢を重ねると共にその凄まじさを感じ取れるようになったのは藤子作品より赤塚作品だった。手塚治虫ですら成し得なかったナンセンス漫画というジャンルをほぼ1人で確立したのは赤塚だ。それ以降のナンセンス、もしくは不条理マンガは全て赤塚の亜流である。代表作でもある「天才バカボン」は60〜70年代という時代背景も手伝ってアナーキーさに秀でており、ロックを知るティーネイジャーになってからは小学生時分よりも面白く読んでいた。特に20歳を過ぎて以降、藤子作品を買って読んだ記憶は無いが、赤塚作品は何冊も購入して読んだ。
上記を見つけたのは数年前のこと。掲載されたのは少年マガジン73年4月1日号。これを初めて見た時は震えましたです、ハイ。まるで内田裕也みたいな言い草だが、赤塚不二夫はロックンロールだったのだ。
今日は新宿Red Clothで夜のストレンジャーズのワンマンがあった。結局行けなかったうさを晴らすべく、自宅でビール、もとい発泡酒を飲んでいる時にネットでこの訃報を知った。嘘みたいだが、傍らのスピーカーからは夜ストの「道化の華」が。
もともとはたこ八郎に捧げられた曲だ。たこさんの親代わりでもあり、葬儀委員長も務めた赤塚さんの訃報に接するにはタイミングが良すぎる。少なくとも私が生きている限り、赤塚不二夫の業績は忘れようとしても思い出せないのだ。国会で青島幸男が決めたのだ。
さ、もう一杯飲むべ。