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大竹まこと ゴールデンラジオ!【10月19日のゲスト・立川談志さん】
 大竹まことのラジオ番組で先週放送された立川談志がゲストの回が、ポッドキャストで配信されている。mixi立川談志コミュにて知りました。

大竹「老いに対する恐怖みたいなことを仰いますけども、芸というのは老いてなおかつ高まっていくものじゃないですか」
談志「さあねぇ。色川武大はね、『談志は60代にターゲットを絞ってるはずだ』と言いました。私に言ったんじゃないですよ。人に言ったのを聞いたんですけど、結果はその通りになりました。60代の後半は我ながら抱きしめてやりたいような”居残り”を”らくだ”を演った記憶がありますし、聞いた人もいます。
だけど、今葛藤しながら良くなるという可能性は…、無いね。つまり老いさらばえて残骸になる。ただそうでない人たち、具体的に言っちゃうとうちの師匠の柳家小さんとか、桂文楽とか、そういう人たちは年を取ると滋味が出るとか、何というのか味が出るとか(客は言うけど)、そんなのウソ。老いてるだけですよ。そんな錯覚があって、落語ってのは年を取らないと味が無いねとか、人生を語るんだから、年を取った方が深さが出るだろうとそういうのを勝手に加味して言ってるんだろうけど、バカはバカだもん。ずっと。ガキだって利口な奴は利口だしね。大人だってバカな奴はずっとバカだもん。(年を取ることなんて)そんなの関係ないですよ」

 読みやすいように一部編集して文字起こししてある。
 この部分を聞いて、思わずうるっと来てしまった。そのすぐ後で「あなた、その涙どうしたの」と家元の発言があった。大竹まことも泣いていたのである。
 家元の歳から見たら私なんてまだヒヨッコのようなものだろうが、それでも平均寿命まで生きるとして折り返し地点は通過してしまった立派な中年である。最近とみに気力、体力の衰えを感じることが多く、その流れに逆らおうともせず怠惰に過ごしてしまっている。怠惰でいるための言い訳として、今より若い頃に比べれば経験や知恵が備わっているから、衰えている部分はカバーできるだろうという発想がどこかにあったような気がする。
 しかしそれはやはり言い訳に過ぎないのだなあ、と思った。今できないことが、将来できるようになる保証などどこにもなく、むしろやっぱりできなかったという結果が待っているだけなのではないか。そんな恐怖を覚えた。そういえば「いつかこうしたいなあ」と思っていることなんて、経験上何ひとつ実現したためしがないではないか。
 「本来的に才能とは自分に何ができるか信じることだ」とはジョン・レノンの言葉。これならできると確信できることが見当たらない私はただ呆然と立ち尽くすのみだ。