金もうけのために生まれたんじゃないぜ



さきほど契約してるCDの流通業者の方とお話したのですが、いわゆるインディーズ系のCDがほんまに危機的状況に陥っているようです(日日ノ日キ)
もう世の中の人間は、売れているものしか買わない(愛・蔵太の少し調べて書く日記)
恐竜の首と尻尾の間にとりのこされたインディーズミュージック(KAZAANATOMY)
 上から順番に読むことをお勧めする。この2〜3日ちょっとした話題になっているエントリー。それぞれがそれぞれの立場から物を言っているので、議論としてはあまりかみ合っているとは言えないけれど、かれこれ10年以上前にファンジンを作ったり、インディーレーベルを作ったりしたことがある身としては興味深い。
 事の発端はインディーのCDが売れなくなっているという現状から、その原因や環境の変化をそれぞれが分析している。それぞれ面白い見解だし、私自身知らなかったことも多いのだが、気になるのは売れることがそんなに必要なことかなということだ。
 確かに売れることは無価値ではない。経済的に潤い、生計の基盤を築くことができれば、より創作活動に打ち込める時間が増える。でもそれがより質の高い作品を生むこととイコールとは限らない。市場に意思など無いし、ランキングなんてただの結果だ。それが創作の励みになることはあっても、目的となるのは本末転倒だという気がする。
 ショップが仕入れなくなったのはCD全体の売り上げが良くないため、売り上げの見込めないものまで扱うだけの体力が無くなっただけに過ぎない。音楽業界全体が売り上げ至上主義になって久しく、一リスナーに過ぎない高校生までもがオリコンの順位や売り上げ枚数を気にするような理解に苦しむ状況は今もって続いている。音楽そのものを気にすればいいのにと思うが、音楽そのものを気にする人だけを相手にしていたら、音楽産業はもっと規模の小さいものになっていただろうし、何百坪もの売り場面積を持つ大型ショップも出現しなかったかもしれない。
 意思の無いはずの市場に意思があることを見抜くのがマーケティング・センスであって、そのセンスが功を奏して本来買わなくてもいい人にまでCDを買わせることができた時代が確かにあった。テレビドラマのタイアップが付いただけで、ミリオンセラーが続出していたなんて象徴的だ。利潤の追求が第一のメジャー・レーベルの場合は、それでもよかろう。というか、積極的に正しかったとすら言ってもいい。しかしインディペンデントの立場で発信するからには、売り上げなんて二の次、三の次で充分なのではないだろうか。換言すれば音楽そのものを気にする人だけを相手にしているべきというか。
 まあ、90年代後半のインディーズ・ブームそのものが不況で経営の傾いたメジャーからこぼれ落ちた人たちの簡易デビュー機関のような役割もあったから、その頃のインディーと、私の考えるインディーとはいくらか乖離するものがあるけれど。こういう考えは古いのかな。
 音楽を発表する形態は何もCDだけでは無くなっているし、ネット環境の発達にしろ、録音機材の進歩にしろ、一昔前のことを考えれば発信することは非常に簡単になってきている。少数かもしれないけれど、良質な音楽に飢えている人は必ず存在しているのだから、そこに届けば充分ではないかな。表現欲求ってそういうものではないのか?