Straight Edge

k_turner2007-01-18



 終業後、シアターN渋谷にて、レイトショウで上映中の『AMERICAN HARDCORE』を見る。
 この劇場は、昨年暮れに『VIVA JOE STRUMMER THE CLASH AND BEYOND』を上映していたところでもあるが、動員は今日の方がやや多いようで、ほぼ満席だったのには驚いた。「DOLL」では巻頭特集を組んでいたし、あちこちで話題になっていたのは知っていたが、これほどとは。
 80年代に全米各地で局地的に起きた、ハードコア・パンクのムーヴメントの実態を記録したドキュメンタリーで、よくぞここまでと言いたくなるほどに貴重なライヴ映像、写真、関係者の証言がてんこ盛り。大変充実した内容で、単に私が無知なだけかもしれないが、多数の発見があり、従来の認識をいくつも覆された。
 これから見ようと思っている人にはネタばれになってしまうので、ここからは読まない方がいいです。
 例えば70年代のニューヨーク・パンクが、ロンドンのパンクへの導火線になったことは有名だが、80年代のアメリカのハードコア・シーンに対してはほとんど影響を与えていなかったのは意外だった。L.A.パンクのGERMS、X、WEIRDOSなどは、ハードコアの元祖とも言うべき存在であるBLACK FLAGへの呼び水となったことが明かされているが、逆にRAMONESなどはむしろ批判的に捉えられており、70年代のニューヨーク・パンクへのアンチとしてハードコアが成立した背景があったとはなあ。
 他にもハードコアは80年代のアメリカにおける、組織化された唯一の左翼思想だったという証言があったり、普通のライヴ・ハウスやヴェニューには出演させてもらえないために、ショッピングセンターや民家など、演奏が出来る場所があればどこでもライヴをやっていたとか、目から鱗がボロボロと。ハードコアの中心地であったL.A.ですら、その震源地となったのはただの廃屋で、数十人から、最盛期でも数百人の観客を前にして演奏していただけだったのだ。ハードコア・シーンはアンダーグラウンドなムーヴメントだったとはよく言われることだが、80年代当時、アメリカでこのようなことが起きていたことを、日本の音楽誌は全くと言っていいほど伝えていなかったのも無理はない。こんなシーンは現地にいなければ知るはずもないのだから。
 L.A.のBLACK FLAGワシントンD.C.のBAD BRAINSあたりが牽引力となって、やがて全米各地にハードコア・バンドが出現し、それがネットワークを結んでシーンを形成していった経緯を知ると、なるほどそういうことだったのかとこれまた納得。
 何も無いところから実績を残した当事者たちの自負ある発言もいちいち冴えており、「(90年代以降の)今のガキどもは俺達が舗装した後を高速で走っているだけだ。あれのどこがパンクなんだ?」と、すっかり中年になった今でもパンクのスピリットが廃れていないところは流石。「パンクは85年に死んだ」という発言も潔いものに聞こえた。
 関係者の証言は盛り沢山で、そのどれもが数秒から数十秒程度で次々に切り替わるため、字幕を読んでいると、何というバンドの誰なのかをうっかり確認しそびれたりしてしまう。編集にまでハードコア・パンクのスピード感を持ち込んでいたのか。
 ライヴ映像もふんだんに挿入されており、話には聞いていたものの、実際にあの乱闘の様子を見ると日本のハードコア・パンクなんてカワイイものだと思える。ヘンリー・ロリンズなど、本当に血だらけになって客と殴り合いをしているんだもん。私は91年ごろに、ROLLINS BANDで来日した彼を見たが、この映像を知っていたらライヴには行っていなかったかも。怖くて。BLACK FLAGの頃とは音楽性が異なるし、日本でのライヴはせいぜいモッシュとダイブがある程度で、乱闘など起こらなかったけれど。


 公式サイトはこちら(音が出ます)。