拳銃のように熱く、刃物のように鋭い



 …というのが今月発売になるエルヴィス・コステロとアラン・トゥーサンのライヴDVDのタイトルのようだ。何だかなあ。昔のヘヴィ・メタルみたいなタイトルだ。何かの慣用表現なのだろうか。


努力してる奴はカッコ悪いっていう風潮が日本をダメにしたと思う
 スレタイにはまるで同意できないが、内容は中々面白い。
 昔と比べて、いやその、昔というのはあくまで私が実体験として知っている範囲での昔という意味でしかないが、とにかく昔と比較して今の日本がそれほどダメになったとは思っていない。昔も今もダメさにおいては大差はないと思う。
 努力は目標に到達するために必要なことで、目標を達成することが成功と呼ぶべきものであることは理解している。ただし成功が凄く狭い範囲のものしか指していないと感じることは往々にしてある。その傾向は今の方が強いかもしれない。
 従って大抵の努力は報われず、増幅される挫折感がますます気力を削いでしまう。勝ち組、負け組という言葉が2ちゃんねるから派生した事実が象徴するように、このスレッドでもやたらと結論を求め、単純な2元論でないと納得できないような雰囲気がある。
 そうした空気は実際の職場や学校にも蔓延しているから、どうにも息苦しいし、実際弊害があちこちで起きているのは誰もが知るところだ。
 自戒を込めて言わせてもらえば、それを成功と呼ぶかどうかは自分で決めればいいのではないかな。自分で決めた高さのハードルが越えられたら、とりあえず成功と呼べばいい。すると努力=苦労とは感じなくなるから、あら不思議。「○○のためには、××でなければならない」という構文は右翼の方が好むが、成功できないように自分で自分の首を絞めているようにも思える。
 あと、物を作ることに携わっているひとりとして最近引っ掛かったのが、ほぼ日で糸井重里が書いていたことで、「若いクリエーターの中にもおっ、と思う才能は時々見かけるけど、話してみると皆経済的に成功することしか目指していない」というもの。う〜〜むと唸ったね。
 何だか抽象的なことしか書いてなくて、申し訳ない。