I'll be seeing you

k_turner2006-08-12



 UA菊地成孔の共演作『cure jazz』は先月、発売日に購入し、もちろん既に何度も聴いているのだが、9日に見たライヴ以来、なお一層楽しめるアルバムになっている。ライヴの後でまた聴き直したくならないアルバムは大した出来ではないと思っているので、このアルバムは出来が良いということにもなる。
 『cure jazz』収録曲のうち、半数の6曲はスタンダードだ。アルバムをより多面的に楽しむために、他のアーティストが取り上げたヴァージョンも聴きたくなるのが、安直かつ自然な成り行き。
 ライヴの時、アンコールで「I'll be seeing you」が歌われる前に菊地さんがやたらとビリー・ホリデイの話をしていたのが記憶に残っていたこと、そしてこの曲が『奇妙な果実』に収録されているのを知っていたことから、まずこれを聴こうと思い、自宅のCDラックを探し始めたのだが、いくら探しても見つからないんだなあ。
 私は20代の前半にジャズにかぶれていた時期があり、3〜4年で所謂ジャズの名盤と呼ばれるものをレコード、CDを含め100数十枚ほど買い集め、聴いた。その中の1枚に『奇妙な果実』もあったはずなのだが、どうやら売り払ってしまったようだ。ジャズは歴史がある分、評価も定まっており、名盤と呼ばれるタイトルは大体いつでも手に入る上、そこそこの値段で買取ってくれるので、金欠時には真っ先に処分対象となる。「必要になればまた買えばいいや」と安易な気持ちで手放したのだろう。その必要な時が来てしまったので、買い直さねばならなくなった。
 タワーレコードへ行ったら、ビリー・ホリデイのコーナーにはしっかりと『奇妙な果実』が並んでいた。このアルバムが買えないような店はさっさと畳んでしまうべきなので、在庫があって当然である。目当ての『奇妙な果実』だけ手にして、精算しても良かったのだが、同じコーナーにあった10枚組のボックスセットが目に入った。
 Membran Musicという、どうやらドイツのレーベルが発売しているらしいその箱は、タワーではよく見かけるシリーズで、他にもマイルス・デイヴィスやらチャーリー・パーカーなども同様のボックスが発売されているのは知っていた。ビリー・ホリデイがあるのは知らなかったが。装丁が大変安っぽいのは残念と言う他ないものの、10枚組で200曲近く入って1,480円の破格値は魅力だ。一方『奇妙な果実』の国内盤は全16曲で1,900円。単純に1曲あたりのコストパフォーマンスで考えてしまうあたりが、貧乏人らしくて我ながら嫌になるが、とりあえず今聴きたかった「I'll be seeing you」が収録されていたし、ビリー・ホリデイの時代はSP盤がメインだったから、LP以降のアルバムのフォーマットで聴くのが必ずしも正しいとは言えないという言い訳も思いついたので、ボックスの方を購入。
 帰宅して早速ビリー・ホリデイの歌声に痺れる。箱にはレコーディングのクレジットが一切記載されていないが、改めてネットの凄さを実感するような、超強力なビリー・ホリデイディスコグラフィー・サイトに詳細が載っていた。それがこのサイトで、これによると1933年から48年まで、「声が失われた」と言われる50年代に入る手前までの音源を、ほぼ年代順に収録しているようだ。従って『レディ・イン・サテン』のような最晩年の歌声は聴けないものの、レコードデビュー直後から、最も脂の乗っていた40年代までの名唱が楽しめる箱ということになる。またどうしてこんなことが可能なのか不思議でならないが、Brunswick、Decca、Columbiaなど、レーベルの枠を超えた音源が入っており、もちろん「I'll be seeing you」は『奇妙な果実』のCommodore盤の音源で収録。
 UAの歌う「I'll be seeing you」と聴き比べてみたところ、選曲する際に菊地が聴かせたのがビリー・ホリデイのヴァージョンだったというだけあって、歌い方にはビリー・ホリデイの影響が残っていることが確認できる。さすがのUAも完全にビリー・ホリデイの色を消すことはできなかったようだ。
 それにしてもこの10枚組は、買い得だった。よほどマニアックに追求するつもりでも無い限り、ビリー・ホリデイに関してはこれがあればほとんど事足りるのではないか。前述の『レディ・イン・サテン』など、枯れ果てた時代の歌も聴きたいというのであれば、2〜3枚買い足せば済むことだ。