大丈夫だよ、母さん 息をしているだけなんだ



 5分の3RCサクセションの日比谷野音公演のチケットは、ぴあ、e+、ソーゴーの全ての先行抽選で外れたぜ、イエー。後は一般発売しか残されていないのだが、一般発売などで野音のチケットが取れたためしはなく、ほぼ絶望的。ヤフオクだと高いんだろうなあ。こうなったらチケットは無くても当日日比谷公園には行くつもり。ホームレスのおっさんと一緒に「ヒッピーに捧ぐ」で号泣してやる。
◆『NO DIRECTION HOME』に思うボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]
 どうにも時間が取れず、お金も無く、劇場公開時には結局見に行くことが出来なかったボブ・ディランドキュメンタリー映画『NO DIRECTION HOME』のDVDが発売になった。さすがにこちらは発売前から予約しておいたので、アマゾンから届くなり即、視聴。本編だけで約3時間、DVDの特典映像が46分入っていて、気になるところは何度か見直したり(これができるからDVDの発売を待っていたところもある)していたら、あっという間に半日は潰れてしまった。
 もう見た人には今さらだろうし、まだ見ていない人にはネタバレになってしまうので、内容については詳述しない。ディランの生い立ちからミュージシャンとしてレコード・デビュー〜66年にバイク事故を起こし隠遁生活に入るまでを辿ったもので、ディランが最も神がかり的だった時代を映像で拝める、大変ありがたいもの。この頃のディランは才能が服を着て歩いているようなものなので、触れば切れるような、その凄まじさが古い映像を通してもよく分かる。
 時間の流れが多少前後しつつ進むのはやや不親切な印象も持ったが、基本的には丁寧に作られており、ケネディ暗殺、キューバ危機、ヴェトナム戦争など、この時代のアメリカに起きた出来事を参照しながら描かれているので、当時の社会状況がディランやそれを取り巻く音楽業界にどのように影響を与えていたかも明らかにされている。これはミュージシャンのドキュメンタリーで蔑ろにされがちな部分であるだけに、制作者の真摯な姿勢が感じられるし、そこに辻褄を合わせるための労苦も感じられる。ドキュメンタリーに制作者の恣意が介在するべきでないとは言わないが、主題もしくは制作者側に都合良く作られるドキュメンタリーの多さを考えると、公平なものだと思う。
 唯一食い足りなさを感じたのは、ディランにとっても最大のエポック・メイキングな出来事であった、エレキ・ギターの導入について明確な理由が示されていない点だ。「変化を求めていた」「表現がより強力になる」など抽象的な理由は述べられているものの、何故この時期にという疑問には答えていない。個人的にはビートルズの登場こそが最大の理由だと考えているが、映画の中ではビートルズの存在はほぼ無視されているに等しい。せいぜいギンズバーグのインタビュー中、イギリス・ツアー中にディランがビートルズのメンバーと会っていたと触れられるぐらいだ。
 ディランのエレキ化が当時のフォーク・ファンから強いバッシングを受けたことはよく知られているところだ。しかし映像を伴ってそれを見せられると、そのバッシングの大きさは想像以上のもので、フォークのファンの偏狭ぶり、純潔主義ぶりが奇異に感じられる。ビートルズストーンズが不良の音楽、いや音楽ですらないと言われ、髪が長くて汚いと罵られた時代なのだから、ディランの変節がショッキングであったことは理解できなくもないのだが、それにしても現代の感覚からは異常である。ディランを「裏切り者」と非難している者の多くが、頭の固い年寄り連中ではなく、当時の10代の若者である点にも驚く。前半が弾き語り、後半が後のザ・バンドのメンバーを従えてのエレクトリック・セットの2部構成で行なわれたツアーでの、第2部のブーイングの凄まじさ、帰ってしまう客の多さには、ディランが気の毒になってしまう。私などから見れば、歴史的瞬間に立ち会っているのに何と贅沢なことを言う奴らだと憤慨してしまうほどだ。
 不慮の事故によって活動停止を余儀なくされ、ディランの神様時代が終焉を迎えたのは結果的にはラッキーだったとも言える。そうでなければ本当に自殺さえしかねないほど、最後のツアー時のディランは憔悴している。この映画のために撮影されたディラン本人のインタビューで「アーティストは目的に到達したと思ってはいけない。いつもどこかに向かう過程にあると思うべきだ。そう思っている限りは大丈夫だ」と発言している。66年当時のディランが同じように考えていたかどうかは分からないが、あの経験が無ければこうした論理も導かれなかったのではないかと思う。
 この発言を聞いて連想したのは忌野清志郎だった。長い不遇の時期を経て、RCサクセションが商業的成功を手にし、日本中にキヨシローそっくりのメイクやファッションをした若者で溢れ返っていたころに発売した「ベイビー、逃げるんだ」という曲で言わんとしていたのはまさに同じことだったのだなと思い出したからだ。