Small Town, Big Strides / Big Strides

k_turner2006-04-16



 幸か不幸か、音楽にまつわる文章を書いてくれとの依頼を受けることがしばしばあり、その都度うんうん唸りながらも何とか書いている。私のところへ来る依頼はほとんどが60〜70年代の古いロックに関するもので、それらは私が小学生か、もしくは生まれる以前に作られた音楽であったりする上、読者層は私以上にヲタクな方々ばかりだから、原稿を書く時はいつも資料の山との格闘になる。
 当然のこと、古い雑誌などを開く機会も多くなるのだが、批評眼や情報分析を求めて当たってみても今となっては資料価値ゼロの感想文しか書かれていないことも少なくなく、何とものどかな時代だったものだと半ば呆れることがある。情報の乏しい時代にはそれでも通用したのだから、現代の感覚から評価できないものであっても仕方のないことであるが。
 ただ音楽ライターの世界は新陳代謝が進んでいるとはとても思えず、20年、30年前にばっかみたいなことを書いていた方が、今でも大して変わらないことを書いてのさばっておられるのには閉口する。ロックの黄金時代を直に知っていることがそのまま権威として成り立ってしまうのが現実であり、最低限の作文能力と、最低限の情報を持っていさえすれば、単に早く生まれた以外取柄のなさそうな爺さんでもやっていける職業なのだな。音楽ライターなんてその程度のものしか求められていないわけだ。ある意味若い才能が出てこないのも当然のような気がする。才能があったらこんな世界に首を突っ込まないって。
 ロンドンで結成された3人組、Big Stridesのデビュー・アルバム(発売は昨年6月)を聴いていると、ミュージシャンの世界は健全だなあと感じないわけにいかない。ギター、ベース、ドラムのシンプルな編成によって奏でられるのは、ジャズ、ブルース、ヒップ・ホップを取り込んだロックンロール。特にジャズ色が強く、正確な年齢は知らないけれど、写真を見る限り彼らの世代にとってジャズは既に遺産であり、神聖視すらするべきものだったはずなのに、ブルーノートを使ったフレーズを臆することなく弾いている。
 ミクスチャーという方法自体は何ら目新しいものではないが、オーセンティックなジャズやブルースへの興味はあまり無さそうで、単におもしろそうだから取り入れたとでも言わんばかりのフットワークの軽さが良い。従ってこれ見よがし的なヲタクなアプローチではなく、どちらかと言えばいい加減でユーモラスだ。アルバムのオープニング曲に「I Do Not Fear Jazz」なんてタイトルを付けているのだから恐れ入る。
 シングルでも発売された「Suicidal」という曲は彼らの真骨頂とも言うべき傑作ナンバーで、ジャズ的要素を巧みに消化したパンク・ナンバー。フラッシュ・アニメを使ったビデオ・クリップがこちらで見られるので、一度ご覧いただきたい。彼らが持つ飄々とした姿勢、チープさ、ブラックなユーモアまでも反映したビデオで、これだけでもよく出来ていると思う。
 加えて彼らは決して演奏力に長けたバンドではない点にも注目したい。リズム隊の2名、特にブンブン唸るウッドベースはなかなかのプレイヤーだと思うが、ギターはお世辞にも上手いとは言えない。演奏力を磨くより、アイディアが先行している点もパンクに通じる部分だ。
 デビュー作の発売から1年近くが経過しているのに、日本ではまだちゃんと紹介された様子がないのは残念。イギリスではG・ラヴ、ジョン・スペンサー、ソウル・コフィング、ベックなどと比較されているようだ。確かにそうした要素は確認できる。それ以上に私はこれがイギリスから出てきたバンドであることに興味を覚えた。伝統的にアメリカで発生した音楽を消化して発展させたのがブリティッシュ・ロックであり、彼らはその伝統に則った久しぶりのイギリスのバンドだと思う。それがよくある60年代リバイバル的姿勢ではなく、古い音楽への自由奔放な発想と距離感を伴っていることと、現代的な感覚を失っていないことが新鮮である。アメリカのバンドの場合、血がそうさせるのか、ルーツ音楽に対してそこまで自由にはなれない部分がある。
 純粋な意味で新しいロックというものはもう生まれないのだろう。70年代のパンクのように否定的な態度に出るには、過去の遺産はあまりにも巨大だ。しかしよく考えてみれば、ロックの歴史は過去の遺産への批評の歴史でもあったわけで、必ず消化されるべき先達がいた。遺産の大きさの前にニヒリスティックになるよりは、Big Stridesぐらいの軽さがあった方が良い。自分のことに置き換えて見ると、音楽的遺産に匹敵する音楽ライターなど日本にはいないのだから、萎縮する必要などどこにもなく、鼻で笑って済ませてしまえば良いのだ。見てろよ、××××とか△△△△!