ぼくのキティちゃんに何か?



 ネット上の巡回先で、同じようなテーマに触れたエントリーを発見。少々哲学的というか、心理学的な話題である。
「そっちとこっち」(Message from Utada Hikaru)
「それはひみつ」(空中キャンプ)
 宇多田ヒカルの方は引用、転載厳禁とされているので、リンクを貼るに止める。どちらも興味深い内容なので、ご一読をお勧めする。
 どちらも境界線、それも自己と他者との間に引かれる区別についてのお話で、自分を客観視するために必要な他者との境界線が曖昧であるために生じる不具合みたいなものを説明している。「空中キャンプ」に書かれている秘密を保つことができる状態が、心が健康体である条件だとする話は、大変分かりやすく、共感を覚えるものだ。それは自分が不健康であるという自覚がある意味において。
 かのジョン・レノンは「私と私の猿以外は皆隠し事がある」と言っていたほどなので、隠し事の出来ない私などは本当に病んでいるのだなあと思わざるを得ない。そのジョン・レノンとてそんなことを言うぐらいなので、もちろん病んでいた。しかもその病み方は半端ではなく、自分の妻や子、両親のことをテーマにした曲を多数書いていたほどだ。ただ単なる自分語りの権化ではなく、エンターテイメントまで昇華させたこと、普遍性を持たせたことが才能の成せる業であり、偉大なところであるのだが。それは宇多田ヒカルも同じこと。
 一億総ブロガー時代とも言える昨今、猫も杓子もブログを書いているけれど、これにしてもいかに病んでいる人が多いかの証明でもある。社会的な事件から、日常の些事まで、扱っているテーマこそ多岐に亘れども、自分の中に沸き起こった「誰かに語りたい」という衝動がその源泉であることには変わりない。それは良く言えば表現欲求を満たすためということにもなるのだが、表現欲求を満たせば誰もがジョン・レノンかというと、そうではないだろう。むしろ「ビバ!自分!」全開で、誰に読ませるつもりなのだろうと首を傾げたくなるブログだって少なくない。
 「空中キャンプ」ではそのようなものを「不健康なアミューズメントパーク」と表現していて、これまた納得。だがそれが良いか悪いかの判断は難しいところだ。秘密は決して漏らさない、スパイのように冷徹でいられる人に魅力は感じないし、そうなりたいともあまり思わない。そこまで強靭な精神力を持つことが困難であることは分かるし、困難であると思っているということは辛いことだということも分かっているからである。楽な方へ流れたがる怠惰な自分があり、決してそれを全面的に肯定するつもりもないが。
 著名人が書くブログや、市井の個人が書く痛いブログが人気を集める理由もこれで説明できる。それはプライバシーを覗いたり、異常な言動を蔑んで優越感に浸ることが大好きな人が多いからこそだ。私を含めてそれらのウォッチャーは、やはり不健康だし、脆弱なのですよ。


bonobos、タワーレコード渋谷店でレジ・アルバイトします!

4月19日にニューシングル「Beautiful」をリリースするbonobos。なんと、4月20日(木)午前10時〜午前12時までの2時間、タワーレコード渋谷店2Fのレジカウンターにて、bonobosのリズム隊3名(辻、松井、森本)が1日限りのレジ・アルバイトを体験することが決定!

 う〜む、プロモーションとはいえ、これがニュースになるのか。昔渋谷のZESTへ行くと、いつもカジヒデキに会えたけどな。


中野サンプラザ解体へ
 サンプラザ中野の動向に注目したい。