2001年4月1日、プリンスの「Sometimes it snows in April」を聴いたのを覚えている



『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン』リリー・フランキー著東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
 私は寝る前に少し活字を読まねば安眠できないという習性を持っており、昨夜も床に就くと、枕元に積まれていた山の中から一冊を引き抜き読み始めた。リリー・フランキーの『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン』だった。
 確か1ヶ月ほど前に買ったまま、積読状態になっていたものだ。リリー・フランキークロスビートにコラムを書いていた頃から文筆家として好きだった(今も書いているのかな?もう何年もクロスビートを読んでいないので分からないけど)し、刊行された著作も何冊か読んだが、『東京タワー〜』は本格的な小説であることと、「とにかく泣ける!」という評判をあちこちで見聞きしていたので、所詮通俗的な内容ではないのかと、購入したにも関わらず何となく敬遠していたのだ。
 毎晩寝床で本を読むのは大抵10〜15分程度のことで、やがて睡魔に誘われるまま眠りに落ちてしまうのが常だ。しかし昨夜は2時半頃から読み始め、朝7時過ぎまでかかって一気に読み終えてしまった。しかも前半から何度かじわ〜と涙がこみ上げる場面があり、後半100ページほどに至っては号泣し通し。箱のティッシュペーパーを持ってきて、何度も何度も鼻をかみながら読み、重度の花粉症患者でもこれほどまではと思うほどの丸めたティッシュの山が築き上げられた。それでも涙と鼻水の混じった液体がポタポタとこぼれ落ち、ページはすっかりふやけてしまった。
 ストーリーは著者の半自伝的なもので、ほぼ実話と思われる。サブタイトルにある「オカンとボクと、時々、オトン」の序列そのままを著者の視点から描いたものだ。生まれ育った土地や家族構成こそ違えど、誰にも思い当たるふしのある家族間の出来事が平易な文体とリアルな描写によって書かれているので、非常に読み易いし、私の場合は著者と4歳ほどしか違わない上、地方から上京した時の戸惑いとか、大学時代に目的を見失い自堕落な日々を送っていた件とか、いちいち過去の自分とオーヴァーラップするので他人事とは思えない。違うのは相変わらず金に縁が無いことか。また「オカン」が息を引き取った病院は、私が通う病院と目と鼻の先だ。
 普段は忘れてしまっているが、生とは永遠のものではなく、誰もがいつか肉親と別れる日が来るという当たり前の事実を、著者の生い立ちから母親の死までを通じて知らしめている。それを知ることで今がいかに貴重な時間であり、無駄な生など無いことにも気付かせてくれる。当たり前過ぎて蔑ろにしてしまっている自分や家族の生の尊さに触れられるからこそ、感動を呼ぶのであろう。
 誰にでも読み易いという意味では確かに通俗的な小説かもしれない。しかし誰にでも理解できる、普遍的な作品であるという点で、通俗の何が悪いと今は思う。通俗作品に対して横柄な態度だった私が悪うございました。それに自分にも人並みの感受性が備わっていることに、少し安心した。