サラリーマンをバカにしちゃだめよ



廃盤CD特別謝恩セール『レコードファン感謝祭2005』
 本日午後3時よりスタート。廃盤ゲッターの皆様、釣果はいかがでしたでしょうか。
 毎年の事ながら平日のこの時間に販売を開始して、嬉しい「レコードファン」はどれくらいいるのだろうか。謝恩セールと言いつつ、大半のユーザーの都合を無視する姿勢はさすがレコード協会。
 極めて自由業の身である私は、大半のユーザーを尻目に3時前からパソコンの前でスタンバイしていましたですよ。3時と同時に出品タイトル一覧のページを更新したものの、案の定重いこと、重いこと。「BUY」のボタンが表示されるまで1分近くがかかった。やっと表示されたところで、最大の目当てとしていた『ニューロックの夜明け WEA編』をカートに入れる操作をしたまでは良かった。そこから別画面に移るまでにまた1分近く経過。画面には「お求めになった商品は在庫薄のためカートに入れることができません」と出た。元の一覧のページに戻ったら、「BUY」のボタンは「SOLD OUT」に変わっていた。正味1分で売り切れとは…。
 第2、第3の候補としていた『ベルウッド・シングルス1』、『同2』、高橋ユキヒロ『音楽殺人』、パラダイス・ガラージ『実験の夜、発見の朝』などもこの時点で「SOLD OUT」だった。このセールで売られるのは廃盤が決まって店頭から引き上げたCDなので、基本的にそれほど在庫枚数が多いとは思えないし、人気のあるタイトルに集中するのも理解できるとはいえ、販売開始から1〜2分で売り切れるとはね。これが謝恩セールですってよ、お客さん。
 結局購入できたのはSUPER BAD『LOVE OR HATE』、輸入盤でPRIMAL SCREAM『Dirty Hits(Limited Edition)』、LAURA NYRO『New York Tendaberry』の3枚。スーパー・バッドは3時10分頃には売り切れを確認したが、プライマルとローラ・ニーロはこれを書いている午後6時現在、まだ購入可能だ。
 送料が420円かかるので、3枚ではあまり割安感は無いものの、不必要なCDまで買うわけにはいかないので、仕方なく精算した。
 洋楽の国内盤は11/4から販売される。ただしラインナップを見てもらえばお分かりのように、今年の洋楽は内容、品数共に恐ろしく魅力に乏しい。


宇多田ヒカル インターネットライヴDL配信決定
 「BE MY LAST」のライヴとトークの映像が無料配信される。配信期間は11/11〜19。ダウンロードしたファイルは11/20まで再生できるようになっているらしい。さすがお金持ちのやることは太っ腹だね。
 この配信される映像とは違うと思うが、先ほど「僕らの音楽」というテレビ番組でも行定勲との対談と、オーケストラアレンジの「BE MY LAST」のライヴが放送されていた。対談は映画「春の雪」を見ていないとイメージが掴めない発言がいくつかあり、その辺はプロモーションだから仕方ないところか。対談を通して強く感じたのは宇多田の状況判断能力の高さだ。試写を1回見た後、脚本に目を通しただけで原作を読まずに「BE MY LAST」を作ったのだそう。映画の主題歌として何が求められているか、自分の資質をどう生かすかを即座に読み取り、作品に反映させる力は才能の成せる業としか言い様がない。
 ライヴの方はオリジナルよりややスローで、曲の持つ暗さや重厚さが表現されていて大変良かった。後、宇多田のタプタプした二の腕も良かったです。


山口冨士夫著『村八分』
村八分
 読了。山口冨士夫本人が村八分について赤裸々に語った1冊。ダイナマイツの末期から、チャー坊との出会い、そしてわずか3年余りしか活動せず、本来的意味では1枚もレコーディング作品を残さなかったにも関わらず、日本のロック史上最重要バンドのひとつに数えられる村八分の結成から崩壊まで、それらに関する記憶を辿りながら告白している。
 ドラッグやメンバー間の人間関係についてもあけすけに語っており、山口冨士夫から見た村八分はここに書かれている通りだったのだろう。その生々しさ故、手に汗を握りながら一気に読み終えてしまった。
 唯一の公式作品『村八分 ライブ』は解散が決まってからレコーディングされたもので、発売後、一般的な評価が高まった頃には既にバンドは存在していなかった。そのため謎に包まれた部分の多いバンドでもあったわけだが、時系列に沿った形でバンドの変遷が綴られているので、前後関係に関する疑問が氷解した。何故京都で結成されたのか、何故ドラマーを中心にメンバーの入れ替わりが激しかったのか、裸のラリーズとの接点等など。
 つまるところチャー坊とは何者だったのかについても、多くの紙幅が費やされており、冨士夫が彼の詩人、パフォーマーとしての才能を高く買っていた反面、権力指向の強い性格から起こしたいくつかの問題については、きっぱりと断罪してもいる。あれだけの音楽をやっていたバンドだからこそ、内部の人間関係が円滑であったはずもないのだが、伝説を伝説で終わらせず、むしろ神話化するのを拒否しているかのような語り口に、山口冨士夫にとっても村八分の存在がいかに大きいものだったかが見て取れるし、いかに崇高な理念の下にバンドをやっていたかも伺える。

でもやってよかったよ。やらなきゃわかんないもん。精神的にはきつかったよ。みんなそうだったんじゃないかな。それが嫌なヤツはさっさと出ていった。どんなに嫌でも目指しているもの、描いてるものにはオレたちは忠実にやってたよね。最後までそれをやったのは哲ちゃんとオレとチャー坊だと思うね。でも、すげえ体験だったよ。良くも悪くも今に活きてるよ。村八分はすごいステップだよ。
(中略)ある意味ドロドロしてたかもしれないけど、愛情に溢れてもいたんじゃないかな。音楽に対しても、生きざまとか新しい自分たちの価値観なんかをなんとかしてものにしたいっていう、そういう愛情に溢れてたんじゃないかなって思う。

良質のラップやってる連中なんてのはすごく村八分と近いものを感じる。ほとんどいないけどね。なんか、くっだらない暴走族みたいな、やくざみたいなさ、右翼的な?なんつうの、縦割り社会みたいなラップは多いけど。そういうんじゃなくて、ちゃんと良質なラップやって頑張ってるヤツはいるよ。彼らはすごく似たようなことをやってるよね。

 村八分が活動した70年代の初め頃は、私はまだ小学校にも上がっていない年なので、当然のこと全てを後追いで知ったのだが、日本にロックというものがほとんど見当たらなかったあの時代にしっかりした目的を見据えて、実際に評価の高い作品を残した(冨士夫はあのライヴ盤を「村八分の一番くだらない部分」と評しているが)事実には、大いに鼓舞される。この本はスキャンダラスな暴露本としての側面もあるにはあるが、逆境に耐えながら目的を完遂するために努力しているあらゆる人にとって啓蒙を促し、希望を与える書である。