金儲けのために生まれたんじゃないぜ

まりちゃんズ



大ホールに聴衆1人のコンサート…100万円で落札
 向井山朋子という、私は存じ上げない現代音楽のピアニストが、「for you 」と題されたたったひとりの観客のためのリサイタルを開くために、そのチケットを自身のサイトでオークションに掛けていた。会場はキャパ2,020人を誇る横浜のみなとみらい大ホールだ。オークションから実演までのプロセス全体が「for you」というリサイタルのコンセプトだそうで、最終的に100万円で39歳の男性会社員が落札したそう。
 調べてみたところ、みなとみらい大ホールを借りるだけで60万円近くかかる(平日夜、入場料5,001円以上の場合)上に、向井山朋子アムステルダム在住だそうで、このリサイタルのために来日するとのこと。経費だけで大赤字だろうな。
 このコンセプチュアル・アート(?)に向けて、向井山朋子は自らオフィシャルサイトに「お金で買えないものはもう私たちの周りに残っていないようだ。」というタイトルの文章を寄せている

お金さえあれば国籍や階級にかかわらず、みな平等に物や、ことを手に入れることができる。宇宙事業、政治、人体の臓器や条件付では生命にまで、あらゆるものに値段がついてしまった。
 (中略)
たった1枚のチケットはオークションにかけられ、当然、数字によって誰かに落札される。その瞬間からその誰かは[あなた]になる。
 (中略)
はたして[あなた]がつける値段は、チケットへの、音楽への、ピアニストへの、贅沢な空間への、切り取られた時間への、あるいはそこで自分自身に向き合うことを余儀なくされた[あなた]自身への数字なのか。

 …よく分からない。結局何がしたかったのだろう。収益は出ないものの、100万円なら何とか格好の付く額で落札されたと言える。仮にこれが出品開始価格の1万円で終了していたら、リサイタルは開かれただろうか。たったひとりの観客であろうが、2000人の中のひとりであろうが、「私」は「私」であって、意味が変わるとすれば、演者側から見た「あなた」だけだと思うのだが。100万円払った人か、1万円払った人かで見方が変わらないはずはない。ただ昔松本人志がやったように、「御代は見てのお帰り」方式ならば言わんとすることも分からないではない。
 このリサイタル、実演時間は15分だそうだ。100万円の価値を与えた39歳の会社員の方にこそ興味がある。


仙台は本当にブスの産地なのか!?
 わざわざ仙台まで行って、検証したそうな。こういう何の得にもならないことに、時間と金と情熱を注ぎ込める人を尊い人だと私は常々考えている。
 まあ、結果はリンク先を見た方が早い。
 6年ほど前、私も仙台に行ったことがあって、それはブスの検証ではなくUAのライヴを見るためだった。会場の仙台サンプラザは2,000人ぐらい入る大きなホールで、何が驚いたかって、満員のホールの7割ほどを占める女性が揃いも揃って美人だったのにはたまげた。「もしかして仙台ってパラダイス?」と思い、開演を待つ間、仙台へ引っ越すことも考えたほどだ。その時の私の視力に問題が無かった証拠に、UAのマネージャーが残したツアー日記にこのような記述がある。
 ただしライヴが終わって仙台で1泊し、翌日夕方に帰るまでに市内をブラブラしていたところ、街中を闊歩する大勢の仙台の女性を見て地上の楽園は存在しないことを悟った。仙台のUAのファンはえり抜きのエリート達だったのだなぁ…。