仕方ないから生きている

チンピラ風情の天才集団



 一昨日から憂歌団ばかり聴いている。日記で取り上げたニューミュージックマガジン75年12月号に掲載されていたデビュー直後の憂歌団のドキュメンタリーを読んだことがその理由だ。丁度手元にあった憂歌団の音源が、デビューアルバム『憂歌団』のCDのみだったことも運命的だった。以前持っていた『生聞59分』は売ってしまったし、アナログ盤ではフォーライフ時代のものも含めて何枚か持っていたのだが、これも売り払ってしまった。何故か残っていたのがファースト。
 改めて聴き直すとこれがとんでもないアルバムで、全編アコースティックながら、アーバン・ブルースを完全に消化しつつ、日本語詞を違和感無く乗せているのだ。最近でこそあまり聞かれなくなった言説に「ブルースとは社会的に抑圧された黒人の魂の叫びであって、日本人にブルースなどできるわけがない」というものがあった。こういうことを言う人は非常に視野が狭く、憂歌団も聴いたことがなかったのだろう。そもそも肌の黒い人を特別視するのは一種の差別であることに気付いていないほどだから、程度が知れる。
 ここで聴くことのできる憂歌団の音楽は、確かにスタイルはアメリカのブルースを借りているものの、紛うことなき魂の叫びである。庶民の生活に根ざしたリアリティ、そしてアメリカのブルースの中で歌われるファンタジーへの憧れが交錯している。

仕事をやって 金をためて
ピストル買うんだ
ピストル買って 頭めがけ
ぶちぬこうと思ったけど
仕事もなけりゃ ピストルも買えねぇ
これから先は 真っ暗闇さ
惚れた女も いるにはいるけど
メンフィスへ帰ろうかな

神様にも 見放されちゃったし
酒でも飲むしかねぇ
盲目のレモンも 死んじまった
ひとりで飲むしかねぇ
俺によく似た そこのオッサン
俺と一緒に飲もうじゃないか
明日の晩は 汽車に乗って
メンフィスへ帰ろうかな
                           『シカゴ・バウンド』

 内田勘太郎のスライドは絶品の一語に尽きる。フレーズにしろ、リズム感にしろ、これ以上を望むのは罰当たりだ。木村秀勝の哀感漂うヴォーカルも天賦の才としか言いようがない。恐るべきことに、この当時憂歌団の平均年齢は21である。天才とは早熟なのだ。
 どうして他のアルバムは売っちゃったのかなあ。また買えると思ったのだろうし、事実大半のアルバムは廃盤になっておらず、今でも買えるのだが、聴きたい時に買えないのでは意味が無い。「チキショウ あの銭ありゃあなぁ」である。


TBSラジオ 「談志の遺言2005」放送開始
 立川談志のラジオ番組が本日からスタート。毎週木曜21:00〜22:00の1時間、家元がひとりで喋る、喋る。放送と言うことを考慮して、高座よりはソフトな表現を使っていたけれど、内容としては高座で枕として話していることとあまり変わらない。WEB現代が1時間に拡大されたようなものだ。以前放送していた日曜の朝の番組は寝過ごして聞き逃すことが多かったが、こちらは聞きやすい時間帯なのでありがたい。
 こういうものは高座と同じで繰り返し聞きたいので、録音しておこうと思い立ったはいいが、カセットデッキは壊れたままだし、MDも持っていない。安いラジカセでも買わねばならないかと思っていたところこちらにあるフリーソフトを使えばMP3化してパソコンに取り込めることが判明。必要なのは、チューナーとパソコンをつなぐケーブル1本、600円相当だけだった。良い時代になったものだ。
 早速ソフトをインストールし、あっけないほど簡単な設定も済ませたところ、時間になったら自動的に録音がスタートした。IT革命バンザイである。128kbpsのモノラルで録ったところ、1時間番組が54MBほどのファイルになった。来春までの半年分の放送がCD2枚に入ってしまう計算だ。家元の遺言がCD2枚だなんて、ありがたみに欠ける気もするが。