Edward MapplethorpeはRobertの弟だよ編

photo by Robert Mapplethorpe



パティ・スミス『Horses』30周年アニヴァーサリー・エディション発売
 パティ・スミスのファースト・アルバム『Horses』の発売から30年を記念して、Arista/Columbia/Legacy レーベルから2枚組仕様のアニヴァーサル・エディションの発売が決定。1枚目はオリジナルの『Horses』にボーナス・トラックとしてシングル「Gloria」のB面だった「My Generation」を収録。これは現行盤と同じだが、Greg Calbi によって再リマスターされる模様。
 2枚目は今年6月25日にロンドンのRoyal Festival Hall で行われた『Horses』再現ライヴを収録。この時のメンバーはLenny Kaye (guitar)、 Jay Dee Daugherty (drums)、 Tony Shanahan (bass)、 Tom Verlaine (guitar)に、ゲストとしてRed Hot Chili PeppersのFleaも参加している。
 またレア写真やPaul Williamsのエッセイをフィーチャーした豪華ブックレットも付属する。現時点で日本盤の発売に関する情報は無いが、アメリカでは11月8日に発売が決まっている。

photo by Edward Mapplethorpe
 予想していなかっただけに驚きましたですよ。そうか今年は30周年だったのか。私がこのアルバムを初めて聴いたのは1986年だから、それから数えても19年にもなる。その頃パティは最初の隠遁時代で、既に歴史上の人物だったからこのアルバムの評価も固まっていて、雑誌などの「ロック名盤○○選」の類にも載っていたりしたのだけれど、初めて聴いた時の衝撃たるや凄まじいものがあった。新しいとか古いとかを超越した、形容し難い何かを発見してしまい、途方に暮れた覚えがある。これからどうすればいいのだろうという感覚は今でも思い出せる。80年代半ばに世に溢れていた音楽は、やたらとチープで軽薄なものだったと今なら言えるけれど、その時を生きていた当事者としてはそれが当たり前で、そんな中に突如目の前に現れたパティ・スミスは、時代の空気とあまりにもかけ離れていた。
 未知のものに触れた時というのは誰でもそうだろうけれど、感動よりまず衝撃と当惑がやって来ると思う。感動に至る前に自分の価値基準の中でそれを拒否することがあってもおかしくはないが、私の場合「何かよく分からんがとてつもなく凄いもの」と判断を下してどっぷり嵌ったのは幸運だったとしか言い様がない。当時リリースされていたパティのたった4枚のアルバムをほどなく入手して、繰り返し繰り返し聴いた。これは一体何なのだろうと思いながらもそうせずにはいられなかったのだ。冷静に鑑賞し、感動を覚えるようになったのは随分後のことだ。
 14歳で聴いたビートルズ、16歳で聴いたエルヴィス・コステロも自分史の中では大きな存在で、その体験によって人格が形成されたことは間違いないが、18歳で聴いたパティ・スミスが見せた世界はそれ以前のオーヴァー・グラウンドな音楽とは違う価値感をもたらしてくれたと思っている。パティの音楽を経由してリスナーとしての経験値が上がったのだ。

パティ・スミスのファースト・アルバムは、間違いなく世界一重要なものだった。僕は「ああ、彼女は僕に奇妙な秘密のメッセージを送信している」と思ったんだ。何か淫らで、刺激的で、セクシーで、知的なものを感じたんだよ。僕は自分がアウトサイダーで、ほとんどの人と切り離されているように感じていたけれど、彼女の音楽を聴いたことによって、その疎外感は一層強まった。でもそれが、他人にはない何かを持っているんだという、僕のとっておきの切り札になったんだ。自分は、この真に素晴らしいものを知っているんだっていうね。あの頃の僕は、自分が今ニューヨークにいたらどんなにいいだろうと願いながら、アメリカ中西部で暮らしていたんだ。

 この発言の主はR.E.M.マイケル・スタイプ。彼の意見には120%同意する。悔しいのは彼の場合は1975年当時リアルタイムで『Horses』を聴き、その後R.E.M.のヴォーカリストとなったことだ。
 パティ・スミスのアルバムはどれも素晴らしいけれど、衝撃的という意味ではやはり最初の4枚、特にファーストが秀でている。86年においても充分に刺激的だったということは、このアルバムの持つパワーは永久不変のものである。2005年の今、初めて聴くという人も、マイケル・スタイプや私の言っていることが嘘でないことは理解してくれるはずだ。



選挙って、よく名前の一部をひらがなにしたり等、戸籍と違う名前で出馬したりすることがありますが、愛称で出ることは可能なのでしょうか。たとえば「ホリえもん」候補者、とか、そんな感じです。 (はてなの質問より)
 言われて気付いた。そういえばそうだなー。投票用紙に「ホリエモン」と書いてあっても、通称名としては既に堀江貴文の本名より浸透しているから1票と認めないわけにはいかないだろう。
 念のため、本名と通称名のそれぞれでぐぐってみた。

 何と本名より「ホリエモン」の方が多い!さらに「堀江社長」でも本名を上回る。そういえば私も下の名前はしばらく考えないと出てこなかったな。公示の際に登録名を「ホリエモン」にしておけば、有効票率はぐんと上がるに違いない。
 通称名での届出をしていなかったとしても、実際の投票日には「ホリエモン」と書く人は多いだろうし、これだけ浸透している名称となれば選挙管理委員も疑問票扱いはできないだろう。頭いいなあ、ホリエモン
 有効票と無効票の間にはある程度幅があって、誰に投じられたかはっきりしない票を疑問票として、選管の裁量によって効力判定がなされるわけだが、ホリエモンの場合どの辺までOKなのだろう。「ライブドアの社長」と書いてあれば確実に本人を特定できるから大丈夫だと思うが、「ノータイ」「何でもお金で解決する人」あたりだと無理のような気がする。
 因みに横山ノック(これも通称名だが)の場合「パンパカパーンの人」「あのハゲ」でも有効だったという伝説がある。ウソだぞ。