k_turner2005-05-21



ピアノマンに音楽療法…依然、身元は不明
 どうしてこんなことで世界中が盛り上がっているのか私にはちっとも分からない。ピアノこそ弾けないものの、身元不明の人など世界中にごまんといるはずなのに。そのピアノの腕前だって「プロ級」と評されているようだが、これだけ報道されて身元が特定されないところを見ると、少なくともプロとして活動していた経歴は無いのだろう。


 久しぶりにどうでもいい話を書いてみました。この日記を開設してもうじき2年になる。当初の目的はそれまで使っていた掲示板に飽きてきたので、文章を書くリハビリ、トレーニングのための場を求めてであった。時々は文章を書いてお金をいただく者として、少しはましな文が書けるようにと思って始めたことだ。それも現在ではあまり必要性を感じなくなった。いつでも立派な文章が書けるようになったからではない。依頼されて文章を書く機会がめっきり減ってしまったからだ。
 となるとここを続けている理由も無くなってしまう。さて、どうしたものか…。


 この間触れた営業の仕事は正式に始めることにした。ビデオ販売では生計が立てられないと判断したので、私にはもうこれしか食い扶持を得る手段が無いのだ。既に1ヶ月ばかりレコード、CDは買ってないし、ライヴは先月29日のビリーさん追悼ライヴ以来ご無沙汰である。経済的にも時間的にも今はその余裕が無い。新しい仕事に対して、迷いや不安が全く無いと言ったら嘘である。営業経験が無い訳ではないけれど、3月までは8年以上デスクワーク中心の事務仕事をしていたのだし、固定給のある仕事でもないので、売れなければ収入が無いのである。それだけに死に物狂いで働かねばという意気込みはあるのだが。
 ここ1週間ばかり、寝る前に床に着いて繰り返し読んでいたのが立川談志の20年前の名著「あなたも落語家になれる 現代落語論其の二」だ。別に今から落語家を目指そうと思って読んだのではない(笑)。談志の芸人論、落語論は下手な自己啓発本などよりはるかに理に適っており含蓄が多いのだ。
 曰く「十年以上も落語家稼業をやっていて、百万や二百万の金の都合がつかない奴ァ、真打ちの資格もない」
 「売れたくない芸人なんて、芸人とは言えない。自意識ばかり過剰の売れない職人である。キチンとした職人はちゃんと時代とともに生きている。セコな職人で悪るければ、趣味人である」
 「何をやってもかまわない。売れてこい!売れたものが、古典落語をやった時にくずれるとか、ダメになるとかいう奴は、もう落語家の資格はない。威張るようだけど、オレサマは政治もやったし、いろんなこともやった。しかしオレの『らくだ』はくずれているか。『富久』は駄目になったか」
 「あれが欲しい、あれが食べたいといっている奴がいるだろ、たしかにそのものが欲しいのだろう。(中略)欲しければ努力すればいい。それが手に入るように行動を起こすがいい。その行動を起こしているもののみに、”それが欲しい”という言葉があてはまるので、ただ”あれが欲しい”、つまり努力をするのは嫌だが、”欲しい”というのも本当はそれほどでもないということなんだョ。別にそれが手に入らなくても、どうってことはないんだ…」
 趣味人は理想的な生き方である。しかしそれが許されるほど私は裕福ではない。石油王のどら息子でもない限り大抵はそうだろう。それならば芸人になるしかないではないか。