なごやドーム名物みそかつドッグ



 フジロック早割りチケ当選!!キタ*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(゜∀゜)゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*!!!!!
早割りは毎年申し込みだけはしていたが、当たったのは初めてだ。ネットを見る限り、私のようにチケットだけを申し込んでいた人の当選確率は高かったみたい。一方駐車券付きで申し込んでいた人はやっぱり外れたという報告の方が多い。場内駐車場ってやっぱり取れないんだなあ。
 出演者は一切発表になっていない段階で3日通し券を申し込むような人は、早割りが外れても一般発売で買って行くのだから、どちらにしてもフジには行くのだが、多少なりとも安いのは嬉しいし、「よーし、後半年足らずだー」と盛り上がるのである。考えたら去年のフジが終わって、もう半年以上経つわけだ。7月なんてすぐ来るぞ。
 そんなわけで久々に気分が良く、今日は何を見ても聞いても建設的で心温まる話に思えてくる。
AC/DC、映像集大成的DVDリリース!
 エエ話や…。愛してるぜAC/DC
REGISTRATORS、ラスト・ライヴがDVD化!
 くーーーっ、泣かせやがってこのやろう…。
閑話休題
名古屋の味 「うみゃー」全国区へ! 首都圏に進出

 とんかつをみそだれで食べる、みそかつの老舗「矢場とん」(本社・名古屋市)も昨年3月、初めて東京・銀座に出店した。やはり、「名古屋に行った時に食べてやみつきになった」という首都圏の顧客の声に応えた形。「東京で勝負してやろうと思って出てきた。このボリューム感が若い人に人気です」(同店)といい、行列のできる日もある。
 名古屋味の特徴はなんといってもみそ味。なかでも豆みそは、織田信長徳川家康も好んだという伝統の味だ。「食文化の移り変わりが激しい中で、名古屋は流行に左右されず、豆みそのようなクラシックな味を守り続けてきた。そんな姿勢から偉大なる田舎と言われたこともあったが、最近は、変わらない味がかえって新鮮に感じられるのでは」と話すのは、愛知県出身の写真家、浅井慎平さん。
 名古屋を中心にチェーン展開する居酒屋「世界の山ちゃん」は03年秋、川崎市内に関東1号店を出した首都圏進出の先駆け。カラリと揚げて、秘伝のタレとコショウを効かせた名古屋名物の手羽先(5本399円)は関東でも受けた。先月には7店目を東京・新宿にオープンし、来月は池袋にも開店予定という勢いを見せている。
 関東、関西とは一線を画してきた名古屋味の快進撃について浅井さんは、「東京の人は『安けりゃまずくても仕方ない』とあきらめるところがあるが、名古屋では『安くてもおいしい』という実質を求める。一人一人が食べ物を吟味する時代になり、名古屋の味が全国区になる土壌ができたのでしょう」と見る。

 これはちょっと冷静には読めない記事だな。愛知県生まれ名古屋弁育ち、今でこそ東京在住だがフトコロに赤味噌を隠し持っている私としては。
 確かに近年東京でも名古屋オリジナルの料理を賞味できる機会は増えた。普通のレストランやとんかつ屋で「みそカツ」がメニューに載っていたりするし、昨年暮れには東海地区ジャンク系ファーストフードの王、「すがきや」が関東再進出を果たし、一部の関東在住名古屋人を狂喜させたりした。しかしそれらは所詮かりそめの味であり、食文化の多様化によって一時的に受けているに過ぎない。ナチュラルボーンな名古屋文化圏人は、それらを「たまに食べて」美味いと感じるのではなく、常日頃からそういうものばかり食べてきたのだ。そのバックボーンを背負って生きている人間としては、似非グルメの選択肢のひとつに入り込んだぐらいで、名古屋の食文化が全国区になったなどと軽々しく思ってほしくない。
 食文化とは単に味が理解されれば浸透するというものではないのだ。例えば知っている人も多いと思うが、名古屋文化圏に属する人間は、本当にエビフライがごちそうだと思っている。またイチゴが乗っていないケーキは、ケーキとしてランクの低いものとみなし、喫茶店ではモーニングにトーストやサラダが付いてくるのが当然なのだ。そういう、けち臭い感覚をひっくるめて文化なのである。その文化が全国を支配する頃には、日本は終わりだと思う。もちろん私は今後も帰省の折には、きしめん味噌カツを食べ続ける所存だ。そのために帰るようなものなのだから。
 ついでに言うと、浅井慎平の「東京の人は『安けりゃまずくても仕方ない』とあきらめるところがあるが、名古屋では『安くてもおいしい』という実質を求める。」という分析は当たっていると思うけど、『安けりゃまずくても仕方ない』という東京人の発想だってこれはこれで立派に文化なのだから、廃れて欲しくないなあ。村上龍のエッセイで、東京に初めて出てきた時にラーメンを食べて(恐らくふにゃふにゃのシナチクとナルトの入ったしょう油ラーメンのことだろう)「こんな不味いものを食べている奴らには絶対負けないと思った」と書いてあるのを読んだ記憶がある。私もあれは不味いと思うし、最近は東京でもそういうラーメンにはあまりお目にかからなくなってきたのだが、やはりそれは文化の衰退であって、大して美味くもないのに美味いようなふりをして、もしくは錯覚に陥って食べるのが東京の文化だったのだと思う。そこに「粋」の心意気を見るのだ。