相変わらずパソコンの調子が悪く、かと言ってネットカフェなどにそうそう行ってもいられないので日記の更新も不定期にならざるを得ない状態です。そうでなくても飛び飛びじゃねーかという声も聞こえてきそうだが。あえて書くような話が全然無かった訳ではなく、1月下旬には「SOUL OF どんと」のライヴを観たりディズニー・シーへ行ったりと割とネタはあっただけにパソコンの不調が惜しまれる。
さすがにこの状態が続くのは我慢できないので、新しいパソを注文した。ダイレクト販売のパソコンの価格競争は熾烈を極めているようで、各社日々内容が変わるので1〜2日の違いで同じものが1万円以上高くなったり安くなったりするから、いつ何を注文するかの見極めが難しい。散々迷った挙げ句、これ以上考えていても時間が過ぎるだけと判断し、結局Dell製品に落ち着いた。今度はたとえ同じ構成のパソがすぐ値下がりしても運が悪かったと思ってキャンセルはしない方針で。1月初めに一度注文したものより1万円近く安い上にハードディスク、メモリとも大きいものが積めたのでこれなら納得はできる。2日に発注して今は生産地である中国より搬送中。来週後半には自宅に届くようだ。ただし先ほどDellのサイトを覗いたら、既にこれよりグレードの高い製品がほぼ同価格で買えるのね(笑)。
話は変わって今日見つけたページ。
http://www.yamaken.com/matsuo/index.html
山川健一ズボンズのドン・マツオの対談。実際は対談というよりはマツオによる山川インタビューという感じかな。ちょっと長いけれど興味深い内容で一気に読んでしまいました。ストーンズフリークとして有名なこの二人ならではと思わせる部分がある一方で、不安定な時代を生きるクリエーターとしての苦悩、アイデンティティの在り方を語る場面では両者の違い(主に世代的な違いだが)が滲み出ていたりして面白い。確かドン・マツオはストーンズは大好きだけれど、山川健一的な精神論でストーンズが語られることは嫌悪していて、それがズボンズの活動のモチベーションにもなっていると聞いたことがある。しかしこの内容を読む限りは、お互いにギャップがあるのは認めつつもリスペクトできる点は素直に歩み寄っていて、個人的な交流もあるみたいだ。音楽活動のモチベーション云々の話は5〜6年前に聞いたことなので、心境の変化などがあっても全く不思議ではないけど。
考えさせられたのは、ズボンズのファンが何万人いても、山川健一の読者が何万人いても、個人個人は日本の社会ではマイノリティーであり孤独だという話。私自身はそういう発想は選民意識の表れであって承服しかねていたのだけれど、その根拠として日本は農耕民族としての歴史があって、田植えなど団体行動によって一致協力が必要とされた社会では均一化するのが当然であって、ロックなんて個人主義の象徴みたいな音楽に入れ込むのは異端でしかないと言われると、私の考えの方が根拠に乏しい分、幻想に過ぎないのかなとも思ったりした。歴史の前には価値観の変革はそう簡単には起こらないのかもしれない。確かにズボンズのライヴに行っても私と同じ30代の客なんてほとんど見かけないし、職場の連中とズボンズの話なんてしたことないから異端であることは自覚している。この価値観を全体に求めるのは土台無理な話なのか。でもさあ、「七人の侍」で小ずるく立ち回って生き延びる百姓よりも、破天荒に生きて散った三船敏郎(実は百姓出身というのが何ともいい)に共感できるのは私だけではないと思うのだがなあ。関係ないけどマツオの子供はミフネという名前だ。