PRETENDERS@渋谷公会堂



プリテンダーズと言えばクリッシー・ハインドと決まっている。それはもう、ナボナがお菓子のホームラン王であるのと同じくらい分かりきったことである。吉野家が牛丼一筋であるのと同じくらい、おっと時節柄これは適切な例えではなかった。とにかくプリテンダーズを見るということは即ちクリッシー・ハインドを見ることである。
クリッシー・ハインドはポスト・パンク、ニュー・ウェーヴの時代に登場したアーティストの中で数少ない生き残りでもある。古典的なスタイルを継承しているので音楽的なイノベーターとはとても呼べないし、パティ・スミスブルース・スプリングスティーンほどのカリスマ性も持ち合わせていない。素晴らしい曲を何曲か書いてはいるものの、リズムにしろメロディーにしろ、そのバリエーションは決して豊富ではない。それなのに今日まで一定の支持を集めてこられたのは、多くの人が彼女のストイックな部分、例えば性を売り物にしていないとか、反体制や動物愛護に言及するなど社会派である点とか、そういう部分に魅力を感じているからだ。彼女の純粋さはおよそロックという音楽を好む者ならば必ず共感できるものであり、それが証拠にクリッシーの方向性が批判の矢面にさらされたなんて話は聞いたことがない。
ただしそれは見方を変えれば非常に保守的であるということだ。80年代初めに出来上がったクリッシー・ハインドのイメージは今もって壊されることがなく、流行のスタイルにおもねったこともなければ実験色の強い問題作を出したこともない。彼女はいつだってクリッシー・ハインドであり続けたのだ。
デビューから25年目に当る2004年にあってもクリッシーはクリッシーで、プリテンダーズはプリテンダーズだった。クリッシーの出で立ちはテンガロンハットを被り、黒いTシャツの上に白いベストとジャケット、ネクタイを締め、スリムジーンズ。ジーンズのお尻のポケットからはスカーフが覗いている。まさにイメージ通り。昔「Don't Get Me Wrong」のビデオクリップにミニスカート姿で出演していたのを見た時はのけぞったものだが、やはりこの人は粗野でボーイッシュなスタイルが一番似合う。二の腕の肉付きが多少良くなったものの、50過ぎの年齢を考えれば驚異的と言っていいほどシルエットは変わっていなかった。もともと声量のある人ではないが、喉の調子は良く、10代の頃聴いたレコードと同じ声で歌っていた。
期待される通りのクリッシー・ハインドが昔と同じアレンジで耳に馴染んだ曲を演奏するステージ。ギター、ベース、ドラムにキーボードのシンプルな編成はこれ以上なく古臭いし、今時ステージセットを一切使わないバンドというのも珍しい。そこには衝撃は無く、ただ穏やかな懐かしさのみがあった。ロック、特にクリッシー・ハインドが標榜したタイプのロックは本来ラジカルであったはずなのに、今やその正反対の位置にあるものになってしまったのは皮肉なことである。前述したようにクリッシーはロックという表現として正しいことしかやっていないのにだ。観客はどう見ても30歳以上しか来ていないみたいだしなあ。ユースカルチャー、カウンターカルチャーとしてのロックが終わっていることを実感せずにはいられなかった。
そうは言っても「Kid」「Precious」「Back On The Chain Gang」「Middle Of The Road」「Stop Your Sobbing」などなどのヒットナンバーには無条件に盛り上がってしまった。普段はノスタルジーを求めてライヴを観に行くことは滅多にないが、完全に拒否してしまえるほど私も若くはないということだ。
意外に楽しめたのは無理している感じやあざとさが見えたりしなかったことも大きいと思う。強いて言えばオリジナルメンバーのマーティン・チェンバース(ds)以外は明らかにクリッシーより若い、見栄えのするミュージシャンを従えていたことが彼女の老獪さの現れかと思ったが、まあ許容範囲だろう。いずれにしても男性メンバーをバックにテレキャスターを抱えてシャウトする男勝りのロッカーというスタイルを確立してしまったのはクリッシーには違いない。そういえば80年代には国内外を問わずクリッシーをコピーしたような女性ロッカーがたくさん現れたけど、ほとんどは短命だったな。スタイルは共有できるから強いのは事実だが、最初にやった人でないと持続はさせるのは難しいのだ。