Bob Dylan『The Witmark Demos 1962-1964』攻略



 ボブ・ディランのブートレッグ・シリーズ第9集である、『ザ・ウィットマーク・デモ』の発売がいよいよ来週19日に迫った(日本盤は少し遅れて10月27日予定)。以前このブログで同時発売される『モノ・ボックス』について触れた時、「『The Witmark Demos』についてはまた近いうちに触れる」と書いていたのを覚えている方はいるだろうか。私は忘れていた。
 それを書いてから早1ヶ月以上が過ぎ、気が付けば発売が目前である。今慌ててこの記事を書いている次第だ。


 このアルバムはディランが楽曲の著作権登録のため、音楽出版社に残した録音をまとめたものだ。タイトルは『ザ・ウィットマーク・デモ』となっているが、厳密には最初に契約したLeeds Music社と、2番目に契約したWitmark & Sons社のための音源である。
 過去に『The Bootleg Series vol.1-3』や『No Direction Home』のサントラ盤などで一部がリリースされたことはあるものの、それらを含めて完全版として正式に発売されるのはこれが初めて。昔から流通していた違法なブートもこれで用無しだろう。
 収録される楽曲は以下の通り。

【DISC 1】
01. 路上の男 Man On The Street (Fragment)
02. 辛いニューヨーク Hard Times In New York Town
03. プアー・ボーイ・ブルース Poor Boy Blues
04. バラッド・フォー・ア・フレンド Ballad For A Friend
05. ランブリング・ギャンブリング・ウィリー Rambling, Gambling Willie
06. ベア・マウンテン・ピクニック大虐殺ブルース Talking Bear Mountain Picnic Massacre Blues
07. スタンディング・オン・ザ・ハイウェイ Standing On The Highway
08. 路上の男 Man On The Street
09. 風に吹かれて Blowin' In The Wind
10. ロング・アゴー、ファー・アウェイ Long Ago, Far Away
11. はげしい雨が降る A Hard Rain's A-Gonna Fall
12. 明日は遠く Tomorrow Is A Long Time
13. ザ・デス・オブ・エメット・ティル The Death of Emmett Till
14. レット・ミー・ダイ・イン・マイ・フットステップス Let Me Die In My Footsteps
15. ホリス・ブラウンのバラッド Ballad Of Hollis Brown
16. なさけないことはやめてくれ Quit Your Low Down Ways
17. ベイビー、アイム・イン・ザ・ムード・フォー・ユー Baby, I'm In The Mood For You
18. バウンド・トゥ・ルーズ・バウンド・トゥ・ウィン Bound To Lose, Bound To Win
19. オール・オーヴァー・ユー All Over You
20. アイド・ヘイト・トゥ・ビー・ユー・オン・ザット・デッドフル・デイ I'd Hate To Be You On That Dreadful Day
21. ロング・タイム・ゴーン Long Time Gone
22. ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース Talkin' John Birch Paranoid Blues
23. 戦争の親玉 Masters Of War
24. オックスフォード・タウン Oxford Town
25. フェアウェル Farewell

【DISC 2】
01. くよくよするなよ Don't Think Twice, It's All Right
02. その道をくだって Walkin' Down The Line
03. アイ・シャル・ビー・フリー I Shall Be Free
04. ボブ・ディランのブルース Bob Dylan's Blues
05. ボブ・ディランの夢 Bob Dylan's Dream
06. スペイン革のブーツ Boots Of Spanish Leather
07. 北国の少女 Girl From The North Country
08. 七つののろい Seven Curses
09. ヒーロー・ブルース Hero Blues
10. ワッチャ・ゴナ・ドゥ? Whatcha Gonna Do?
11. ジプシー・ルー Gypsy Lou
12. エイント・ゴナ・グリーヴ Ain't Gonna Grieve
13. ジョン・ブラウン John Brown
14. オンリー・ア・ホーボー Only A Hobo
15. 船が入ってくるとき When The Ship Comes In
16. 時代は変る The Times They Are A-Changin'
17. パス・オブ・ビクトリー Paths Of Victory
18. ゲス・アイム・ドゥーイング・ファイン Guess I'm Doing Fine
19. 連れてってよ Baby Let Me Follow You Down
20. ママ、ユー・ビーン・オン・マイ・マインド Mama, You Been On My Mind
21. ミスター・タンブリン・マン Mr. Tambourine Man
22. アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン I'll Keep It With Mine

 太字で表記した曲、全15曲はいずれのヴァージョンでもリリースされたことのない未発表曲になる。ただしDISC1の19、21、25、DISC2の09はディランの全詩集には掲載されたことがある。またDISC1の07は『FOLKSINGER'S CHOICE』という62年のラジオショウ音源を収録したイギリスで発売されているCDでは聴けた曲。ディランのオフィシャル・サイトにはアップされていないアルバムなので、未発表曲と判断した。
 DISC2の19、「連れてってよ」はディランのオリジナル曲ではなく、トラディショナルをEric Von Schmidtが改作したものだ。ディラン自身がデビュー・アルバムで録音していながら(曲の冒頭で「この曲はエリック・フォン・シュミットが歌っているのを聴いたのが最初だ」とナレーションまでしている)、著作権登録のために再度録音した理由は不明。登録目的ではなく、たまたまこの時スタジオで演奏しただけだったのかもしれないが。
 録音時期については、DISC1の01〜08が62年2月、この7曲(8トラックあるが「路上の男」が重複しているため)だけがLeeds Music社に登録されたもの。
 DISC1の09は62年7月。
 DISC1の10は62年11月。
 DISC1の11〜17は62年12月。
 DISC1の18〜20と22は63年冬(1〜2月ごろと思われる)。
 DISC1の21、23〜25、DISC2の01、02は63年3月。
 DISC2の03〜06は63年4月。
 DISC2の07〜09は63年5月。
 DISC2の10〜15は63年8月。
 DISC2の16は63年10月。
 DISC2の17は63年12月。
 DISC2の18、19は64年1月。
 DISC2の20〜22は64年6月。
 これらは複数の資料に当たって調べたものだが、ディラン側が公式に発表した情報ではないため、間違っている可能性がある。今回の『ザ・ウィットマーク・デモ』には詳細なライナーが付けられるようなので、正確な情報はそちらに譲ることを予めお断りしておく。


 さて、データ的な部分はこれぐらいにして、今回発売される『ザ・ウィットマーク・デモ』の意義、聴きどころについて触れておきたい。
 録音時期から分かるように、ここに収録される楽曲はファースト・アルバム『ボブ・ディラン』の発売後から、4作目『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の発売前までに残されたものということになる。
 今でこそ稀代の天才ソングライターとして評価を確立しているディランも、デビュー当初からそう言われていたわけではなかった。よく知られるように、ファースト・アルバム『ボブ・ディラン』(62年3月発売)は全13曲中11曲がトラディショナルなフォーク・ソングのカヴァーで、オリジナル曲はわずかに2曲しか含まれていない。
 このような内容になったのは、ディラン本人にしろ、レコード会社にしろ、深い考えや戦略があってのことではなく、フォーク・シンガーは昔からあるフォーク・ソングを歌うのが普通だったからだ。また当時はソングライターと言えばラジオから流れるようなヒット曲を量産する人のことを指すのが一般的だった。それはフォークとはかけ離れた世界の住人たちであった。
 自作曲を歌うフォーク・シンガーがいなかったわけではないが、決して多数派ではなかった。これは落語の主流が古典であることに似ているかもしれない。新作落語(=オリジナル曲)を作る少数派のフォーク・シンガーはいるにはいても、既存の曲の形式を借用し、替え歌に毛の生えた程度の曲も少なくなかった。自作自演を意味するシンガー・ソングライターなる言葉が誕生するのはもっと後のことだ。ディランとてその伝統から大きく外れてはおらず、ファースト・アルバム制作時点ではオリジナル曲はそれほど書いていなかったようだ。
 しかしディランはレコード・デビュー前後から急速にソングライターとして覚醒する。自分の歌う曲は自分で書きたいと思うようになったのだ。自作曲を多数残したウディ・ガスリーの影響や、他のフォーク・シンガーとの差別化を図ったことなどがその理由だと思われる。
 『ザ・ウィットマーク・デモ』収録の曲はディランが21歳から23歳になるまでの約2年の間に録音されているが、この2年間はディランがソングライターとして歩み始め、高い評価を得るまでの2年間に相当する。先に触れたように、ディラン自身の録音で公に発売されるのはこれが初めてという曲が15曲含まれてもいる。これらが何故埋もれていたのかを考えながら聴くと、ソングライター、ディランの成長の過程を眺めることにもなるだろう。尤も、ディランの場合ボツ曲に驚くような名曲が含まれていることが往々にしてあるので、厄介ではある。
 またこの期間はプロテスト・ソングの貴公子として名声を高め、そのポジションから脱却を試み始めた時期にも重なる。社会情勢を反映した政治的な内容から、内省的でプライベートな内容へとテーマが変わっていったのだ。オリジナル・アルバム単位(『フリーホイーリン』から『時代は変わる』へ、そして『アナザー・サイド』への移行)で見るとその流れは割りと鮮明だが、時間で区切って俯瞰したようなこのアルバムではどう映るのかという楽しみ方もできる。
 20世紀に登場したソングライターで、ディランほどその作品が議論を呼び、研究された人もいない。議論や研究は今もなお続けられているし、今後も絶えることはないだろう。奇行癖、虚言癖もある人ゆえ、いつまでたっても真実が掴めないのだが、振り回されるのはファンにとって無上の楽しみでもある。『ザ・ウィットマーク・デモ』はそんなファンの心情を知ってか知らずか、ディラン本人が差し出した新しい研究材料なのかもしれない。ディランをより深く知る上で、この作品が果たす役割は決して小さなものではないだろう。


Vol. 9-Witmark Demos: 1962-1964

Vol. 9-Witmark Demos: 1962-1964

ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ

ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ

 上はアメリカ盤、下は日本盤のCD。ブートレッグ・シリーズ恒例の限定盤。
Vol. 9-Witmark Demos: 1962-1964 [12 inch Analog]

Vol. 9-Witmark Demos: 1962-1964 [12 inch Analog]

 こちらは4枚組のLP。日本では発売されない。


 以下は『ザ・ウィットマーク・デモ』を理解する上で押さえておきたい関連作品。これらを知っていると『ザ・ウィットマーク・デモ』はさらに楽しめるはず。
ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]

 マーティン・スコセッシ監督による、66年までのディランを捉えたドキュメンタリー。『ザ・ウィットマーク・デモ』を聴こうという人でこれを見ていない人はあまりいないと思うが、もし未見ならばこの機会に。
 証言者としてWitmark & Sons社の主宰者アーティ・モーグルが登場している。Witmark & Sonsはいわゆるティン・パン・アレーに属する音楽出版社で、モーグルの発言によれば、アコースティック・ギターを抱え、首からハーモニカを提げたソングライターを見たのは、ディランに会った時が初めてだったという。グリニッジヴィレッジとブロードウェイの距離はとても近いが、フォーク界とヒット・ポップス界はいかにかけ離れていたかが分かる。

ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝

 言わずと知れたディランの自伝。自身の生い立ちからレコード・デビュー前後までの時期にかなりの紙幅を割いている。最初に出版契約したLeeds Music社の取締役、ルー・レヴィとの録音時のやりとりや、2番目の出版社Witmark & Sons社へ移籍した理由や経緯も詳しく語られている。
 しかし当初は全3巻から成ると言われていたのに、2巻目以降が発表される気配が全く無いのは何故か。この翻訳が出てからでも既に5年が経過しているのに。

 
グリニッチヴィレッジの青春

グリニッチヴィレッジの青春

 アルバム『フリーホイーリン』のジャケットに、ディランと腕を組んで写っていることであまりにも有名なディランの恋人、スージー・ロトロによる回想録。スージーがディランと出会ったのは61年7月、破局を迎えるのは64年の夏ごろ。つまり『ザ・ウィットマーク・デモ』収録曲が録音された時期は、この2人の交際期間でもある。
 若い2人が出会い、恋に落ち、別れを迎える物語はとりたてて珍しいものではない。ただしその相手がボブ・ディランとなれば話は別だ。当事者しか知りえないエピソードの数々は、あの時期にこんなことが、と単純に好奇心をくすぐる。好奇の目にさらされることを嫌ったスージーは、従来あまり表に出ることがなく、多くを語らなかったため伝説が一人歩きしてしまい、事実と異なるいい加減な伝記本や評伝本の多さに辟易していたという。それらを一掃するような爽快な内容であるのは間違いなく、暴露本的な後味の悪い読後感もない。
 また非常に聡明な印象を受ける文体で、当時のグリニッジヴィレッジの様子や、そこで日夜チャンスを狙っていた無名時代のディランなどが、生き生きと活写されている。
 「あのころのボブ・ディランは絵具を探す画家のようだった。心のなかに書きたい絵がはっきりとあり、それを的確に表す色の組み合わせを探していた」
 このような詩的な表現も随所に見受けられるのだ。若き日のディランが惹かれたのも納得。スージーの存在がディランの作品に影響を与えたのは確実で、関係が悪化したころに作られた『アナザー・サイド』があのような内容になったのも当然か。スージー自身もあのアルバムを聴くのは今でも辛いと語っている。
 ディランの自伝でも語られるエピソードがいくつかあり、お互いの視点や記憶の比較も面白い。