POP CITY@渋谷O-Nest



 新進気鋭のアーティストが一堂に会したイベント。2010円という太っ腹にして気概のあるチケット価格に、思わず「乗った」。最初から最後まで見ようと意気込んでいたのだが、出かける前に投票に行ったら投票整理券を忘れていて自宅に取りに戻ったり、昼ごはんを食べてなかったことを思い出してそば屋に寄ったりしているうちに遅刻。挙句の果ては会場に到着するまでO-Eastだと思い込んでいて、Eastの入口でもぎりのお姉さんから「このチケットNestのですよ」と言われて恥をかいたりしていたので、オープニングのEAを見逃してしまった。
 見ることができたのは、順に八十八ヶ所巡礼、ヘンリーヘンリーズ、Heavenstamp、ラキタ、女王蜂、住所不定無職、The SALOVERS、THE ラブ人間、撃鉄。
 住所不定無職以外は全て初見。全バンドについての詳細はさすがに書けないので、印象に残ったところをかいつまんで。

  • ラキタ

 他のバンドは5階のステージを使ったが、弾き語りの彼だけは6階のフロアで演奏。どんとの息子さんである。親子だから当たり前とはいえ、鼻とか目元とかやっぱり似ている。それだけで胸に迫るものがあった。さらに使用していたブラウンのストラトは父親の形見ではないだろうか。塗装のはげ具合に見覚えがあるのだ。
 ビル・フリゼールとかライ・クーダーを髣髴とさせる、非常に穏やかで包容力のある音をギターで鳴らしながら、朴訥な歌を聴かせる。時代を超越したような音楽性にびっくり。父親と比較するのも何だが、ローザルクセンブルグボ・ガンボスもすっ飛ばして、いきなり『ごまの世界』へ行ってしまったような。ジュリアン・レノンなんかもそうだったが、父親が偉大過ぎると子どもは老成してしまうのかな。
 楽しめる音楽であったことは強調しておきたい。が、年齢に不相応な落ち着きっぷりに少し違和感があったことも正直に告白しておく。彼の父親が彼ぐらいの歳には「おしり」とか「バカボンの国のポンパラスの種」とか歌っていたのを知っているのでね。

  • 女王蜂

 この日最大の衝撃。まずビジュアルが言葉で説明できないほどぶっ飛んでいる。

 見た目は完全にイロモノ。しかし演奏は上手いし、音楽的にもちゃんと聴かせる。緩急を使い分けるヘヴィーなリズムと短いリフを中心としたサウンドはかなりユニーク。オルタナを通過したダンス・ミュージックとでも言うか。そして長身のヴォーカル、アヴちゃんによるドラッグ・クイーンばりの異様なパフォーマンスは否が応でも衆目を惹き付ける。まるでリアル・ロッキー・ホラー・ショー
 あらゆる意味において倒錯、異端、常識外、はロックンロールの基本だと私は考える。女王蜂は最高のロックンロール・バンドだと思う。神戸のバンドだそうで、活動はどうしても関西中心になるようだが、また近いうちにライヴを見たいものだ。とりあえず今年のフジロックで7/30のルーキー・ア・ゴー・ゴーに出るようなので、これは要チェック。その日私は行けるのかまだ分からないけど。
 帰り際に音源も購入。アヴちゃんと握手したら、手にラメが付いた。最高だわ。

 詳細は既にTwitterで書き込んだので、そちらを参照のこと。そこでも書いた通り、この日のライヴはトラブルまみれだった。しかしトラブルさえも味方につけたかのように、めげずに持ち時間をやり遂げたのは立派だと思う。マッチョイズムと対極にあるロックンロール・バンドとしての住所不定無職のスタンスを垣間見た思い。

  • 撃鉄

 7時間近くに及ぶイベントのトリを飾ったのがこの撃鉄。このバンドも規格外というかクレイジーというか。本気のバカっぷりを見た。
 ステージ狭しと暴れまわるヴォーカル、アマノと、我関せずと黙々と演奏を続けるバックの3名の対比がクール。80年代のRHCPがギャング・オブ・フォーの曲を演奏しているような、ファンキーかつハード・コアなサウンドは単純にアガルし、演奏自体巧みだ。滅茶苦茶やってるようで、ヴォーカルが歌っている内容がちゃんと聴き取れるのも素晴らしい。
 底抜けパーティーバンドという意味では彼らは既にトップレベルにあると思う。会場の盛り上がり方も相当なもので、トリに相応しいアクトだった。アマノの暴れ方は凶暴な中にも笑いを取り込んでおり、登場時に腕に乗せて来たカラスの人形を引きちぎったり、モニタースピーカーを持ち上げて会場スタッフに怒られたり、とにかくやりたい放題。最後はフロア最後方から、板(会場の設備の一部)に乗ってステージまでサーフィン。爆笑させてもらった。


 今一番気に入っている住所不定無職と、名前だけは知っていたけど気になるバンド、全く未知ながら感銘を受けたバンドが一度に見られてとてもコスト・パフォーマンスの高いイベントだった。この日の出演者の中から、近い将来日本の音楽シーンの中枢を担っていく者が何人もいると確信している。