Teenage Fanclub『Shadows』



 右を向いても左を向いても、世知辛い世の中でございます。景気は一向に回復のきざしを見せず、政治は混迷し、街からは子どもの姿が消え、年寄りが溢れ返っている。社会全体が巨大な閉塞感に押しつぶされそうになりながら、それでも人生は続いていく。
 今現在生きているあらゆる年代の人が、恐らく一度も経験したことが無いであろう時代を我々は生きていることを実感せずにいられない。我々は一体何を信じて現代を生きていけば良いのだろう。
 ティーンエイジ・ファンクラブの新作アルバム『シャドウズ』は、途方に暮れる我々に救いの手を差し延べる福音の1枚…などということはない。そんな奇跡のアルバムがあってたまるか。
 このアルバムを聴いての第一印象は、前作から5年のインターバルを空けて発売されたとは思えないほどの「変わらなさ」だった。コードをストロークする快活なギターを中心とした素朴なサウンドと、起伏が緩やかで甘いメロディー。ファンなら誰もが知っているあの音に再会できた安堵感があった。
 傑作『バンドワゴネスク』に代表される、初期の頃に比べればノイジーなギターはほとんど聴こえなくなったし、ソフトロックと形容されて申し分ない曲も散見される。多少の変化は認められるものの、大局的に見れば彼らの見方を覆すほどの違いではないだろう。
 まるで一人で世界を背負ったかのように大言壮語を連発するバンドも、世の中には存在する。そもそもロックの名で呼ばれる音楽は、ある種のヒロイズムと結びつきやすく、才能を持った者は救世主のように崇め奉られたりすることもしばしばだ。
 ティーンエイジ・ファンクラブが描く音楽はもっとささやかだし、それ故に身近に感じられる。
 このアルバムのオープニングを飾る「Sometimes I don't Need to Believe in Anything」という曲にはこんな一節がある。

 「taking a ride on a subway train, / to feel more alive when you get back out again / and if you meet those eyes / you feel you've always known / under a summer sky / as a gentle wind is blowing / sometimes I don't need to believe in anything」
 「地下鉄に乗る/再び外へ出た時により生きていると感じるために/君があの視線を認めたら/既に知っていたと感じるだろう/夏の空の下で/優しい風が吹いているように/時々僕は何も信じる必要はないと思う」
 解釈は人によって様々だろうが、私にはとても哲学的に聴こえる。「何も信じる必要はない」は虚無的になるというより、信じることに価値を置かないでおこうとする意思を歌っているのではないか。
 生きにくい世の中になってしまった原因はとても一言では語れないが、文明は進歩するものだという上昇志向の価値観が影響していることは否めないと思う。昨日より今日、今日より明日は必ず良いものだと信じることで、経済社会が発展してきたことは事実なのだが、文明が進歩する余り、息苦しさを感じる人々が増えてきたのも一面の事実だろう。
 かつてアメリカではGeffin、Columbiaとメジャーの大レーベルを渡り歩いたティーンエイジ・ファンクラブだが、前作からは自ら起こしたPeMaという独立レーベルで活動している。このレーベルは他のアーティストは抱えておらず、ティーンエイジ・ファンクラブのためだけに存在しているようだ。そしてこの5年ぶりのアルバムは、地元のグラスゴーに腰を落ち着け、ごく身内のスタッフとのんびりと制作されたという。ジャケットのアートワークはトビー・パターソンという、やはりグラスゴーのアーティストを起用するほどの徹底した地元優先主義。ビジネスのしがらみから距離を置き、暮らしていける範囲で好きな音楽をやり続ける、原始共産制にも似た哲学を持っているように思えてならない。
 最初に述べた通り、このアルバムが音楽シーン、及び社会全体に革命を起こすことは万に一つの可能性も無い。しかしこの生きにくい現代を生き延びる処方箋としては、悪くない気がしている。弛緩したテンポでたゆたう、極上のメロディーとハーモニーは、しばし浮世を忘れさせてくれる夏の昼寝のお供に最適ではないかと。


シャドウズ

シャドウズ

 上掲日本盤はボーナストラック2曲入り。2曲ともアルバムの印象を損ねない佳曲。
Shadows

Shadows