追悼DOLL



 タイトルは言ってみただけです。私は決して熱心なDOLLの読者ではなかった。これまでの生涯で、お金を払って読んだのは多分10冊に満たない。お金を払わないまでも、たまに立ち読みすることならあった。とはいえ、大抵において「パンクであれば何でもいい」というある種の無邪気さや、アマチュアリズムの全面的な肯定に辟易していたことをここに記しておこう。
 そんなDOLLが事実上の廃刊になってしまったと聞くと、一抹の寂しさを覚えるのもまた事実だからやっかいだ。出版界ではSTUDIO VOICEマリ・クレールの休刊の方が大きな話題となっているようだけれど、あちらは実売より広告による収入で成り立っていた雑誌だから、このご時勢にその方針を変更できなかったことで休刊に追い込まれたのは必然でもある。しかしDOLLはパンクにしがみつくように聴いていた読者あっての雑誌だったからなあ。
 ここ10年ほど現れては消えていく「パンクもどき」に擦り寄っていれば、少しは違う展開もあったかもと思う一方で、アンダーグラウンドの世界で蠢くリアルなパンクに徹底してこだわっていたDOLLの方針は潔いものだった気がする。最後までそれを貫いたのは、やはり尊敬に値する。そういえば私が撮った写真を初めて掲載してくれた雑誌はDOLLだったなあ。知らないうちに使われていたんだけどさ。それがまたDOLLらしくもあった。
 一昨日、渋谷のタワーでDOLLの最終号を見かけた。香典代わりに購入しようかとページを繰ってみたのだが、相変わらずのDOLL臭さに思わず苦笑。熱心な読者ではなかった私がこれを購入するのはわざとらしく、偽善ですらあると思ったので、手に取った1冊は元に戻した。その代わり心の中で合掌。いや、中指を立てた方が良かったか。