UA@日比谷野外音楽堂 夜の部



 ということで予定を変更して当日券で入場。昼の部の時はAブロックの5列目の席だったので、ステージが目の前にあったが、今度はCブロックの後方かつ端の方。メンバーの表情もよく見えない距離だ。しかしここからなら会場全体の観客の様子もよく分かるし、違った角度からステージを眺められたのでむしろウェルカムだ。昼の部は7割ぐらいの入りで、Cブロックには空席も目立ったが、夜の部はほぼ満席だった。
 言い忘れたがステージセットは、「黄金の緑」のシングルのジャケット写真に似たイメージで、雑草から観葉植物まで多種多様な植物が並べられていた。これは昼夜とも共通。今度のUAの出で立ちは古代ギリシャの人のような白いドレスで、「水色」で伴奏を担当した津軽三味線の女性(名前失念)と共に登場。オープニングは「太陽ぬ落てぃまぐれ節 」だった。今のUAはかつてほど力んだ歌い方をしなくなっていて、この曲などはその違いが特に現れているように感じた。過去さまざまなアレンジで聴いた曲だが、今回はおどろおどろしさが抜けてナチュラルに聴こえてきた。
 続いて最初のトーク・コーナー。登場したのはアマゾン熱帯森林保護団体というNGOの南氏。かつて地球上の酸素の3分の1を作っていたとされるアマゾンの森林が、毎年四国の1.5倍の面積を失って行っているという現状、そして失われる森林の代わりに大豆やサトウキビの畑が作られ、それは我々が豆腐やしょう油の形で口にしたり、バイオエタノールの原料として消費している構図についての話があった。南氏は20年ほど前からアマゾンの森林保護の活動を続けているそうだ。ドキッとしたのはUAが発したこんな質問だ。
 「この20年で何か変わりましたか」
 南氏の答えは「変わっていない」というものだった。文明によってもたらされたある意味自傷行為の構造は、そう簡単には変わらないのだ。簡単に変えられるほど人類は賢くないし、簡単に変わるぐらいだったらとっくにどうにかなっている。だからと言って見過ごすことができないのもやはり知能のある人間ならでは。恐竜は絶滅する前に抵抗する術を持っていなかっただろうから。
 南氏と入れ替わってバンドメンバーがステージに現れる。昼の部は最初のトーク・コーナーの時もメンバーが揃っていたから、最初の島唄はバンドでの演奏だったのか。夜の部の本編1曲目は「雲がちぎれる時」。昼の部とは多少セットリストを変えてくるだろうとは思っていたが、いきなり、そして久々にこの曲が聴けたことで俄然盛り上がる。ただ昼の部を見て免疫ができていた私はそうであっても、会場全体がヒートアップしたわけではなかった。やはり重い話を聞いた後では仕方の無いところだろう。
 セットリストは7月のリキッドルームのものに似た構成だった。「大きな木に甘えて」「Love scene」「リズム」のソウルフルな3曲のメドレーは悶絶もの。それに続く「踊る鳥と金の雨」「トュリ」「The color of empty sky」のじっくり聴かせる曲をより引き立たせる役割も果たした。今思えば昼の部のセットリストは流れがちぐはぐだった印象もある。加えてUAにも硬さがあり、石のように固まった観客の心を解きほぐすのはなおさら困難だったのだと思われる。
 「ファティマとセミラ」ではUAがステージの先端でペタッと腰を下ろし、そのまま歌った。そういえば『SUN』のツアーの初期の頃でもこうして歌っていたなあと思い出した。続く「Paradise alley / Ginga cafe」は7月のリキッドと同じで観客にコーラスを担当させた。観客はリキッドの3倍はいたと思うが、歌声はあの時より慎ましいものだった。それでもこの辺りからようやく会場の雰囲気が和んできたようで、「スカートの砂」「Panacea」では普段のライヴと遜色ない反応が起きたのだが、ここで本編が終了した。
 より高いところへ昇って行きたいとうずうずしだした観客はもちろんアンコールを要求。そこへUAが「感謝の気持ちを込めてぇ〜〜、情熱!」とキラー・チューンをぶつけたから、遂に観客のたがが外れた。会場は総立ちになり、理想的な野音の光景が現れたのだった。2公演目の終盤ともなればUAの声はかすれ気味で、決して完成度の高い内容ではなかったけれど、少々の粗さなど気にならないこうした瞬間こそライヴの醍醐味。昼の部から考えるとここまで随分長い道のりであった。
 UAはライヴの主役として観客との約束を果たしたのだから、「Moor」ではもう声を詰まらせることもない。観客も立ち尽くしたまま、この穏やかでありながら深刻な曲に聴き入っていた。

みんなもう気がついているのに 知らないふりだけ上手で
るり色が灰色に燃える景色は 涙の量だけじゃ消せない

もしもあなたが選ぶのなら 私は何も決めないよ
言葉が多すぎてちゃんと紡げなくても ただ側にいるだけでいいよ

 まさにこの歌詞の通りだった。3000人からの観客の全てがUAのメッセージを理解し、受け入れたわけではないだろう。単に何も考えずに歌を楽しみたかっただけの人だって少なくはないはずだ。主役であるUAとて、観客の楽しみ方を強制することはできない。ただこうした少々特殊なライヴで、いつもと変わらない状況を生んだという事実はある。大好きな「情熱」が聴けて嬉しかったから踊りだしただけかもしれない。UA側から見てそれを誤解と決め付けるのは傲慢というものだ。3000人の人間が考えることは様々であって、ましてや人類規模で意思の疎通が完璧にはかれるなどということは不可能に近い。だから「涙の量だけじゃ消せない」のであって、何度も言う通りそんなに簡単なことではないのだ。ただ理由が何であれ、この会場にいた人々がこのライヴを楽しんだという事実だけは間違いなく存在する。それを否定したところで何も始まらない。「ただ側にいるだけでいいよ」とは何と寛容な言葉なのだろう。
 2度目のトーク・コーナーは昼の部と同じく、「六ヶ所村ラプソディー」の監督、 鎌仲氏だった。話の内容は昼の部と概ね同じだったが、途中挟まれたハチドリ(だったかな?)の寓話は少々危険を感じた。燃え盛る炎を消そうとくちばしで一粒の水しずくを運んでいるハチドリの愚かさを笑うことは簡単だが、ハチドリは自分にできることをやっているだけだという内容のもの。言わんとすることは理解できるし、しずくを運ぶ行為そのものが無駄だとは私も思わないけれど、こういうたとえ話は往々にして安直なヒロイズムにつながりやすいと思う。空き缶のプルトップを集めて送ると車椅子になるとか、ホワイトバンドを付けているとアフリカの人々に食料や薬が届くとか、その手の間抜けな誤解となっている話は珍しくなく、行動している本人は善意のつもりだからむしろ性質が悪い。一粒のしずくが本当にしずくなのかを見極める情報を得る努力がまず重要なのではないかと。とりあえず私は「六ヶ所村ラプソディー」を見たいと思った。
 最後はやはり「水色」で締められた。現在10歳になるUAの息子を妊娠していた時に作られた曲である。種を残すという生物の根源的な仕事の途中で生まれた曲だけに、その内容は奥深い。35歳になった今でも歌うつもりで作ったわけではないだろうが、年齢を重ねるにつれ色々な考えを持つに至った今でも歌える内容であったことは偶然による結果ではないはずだ。UAはこの曲を生涯歌い続けるに違いない。
 予定を変更して見ることになった夜の部だったが、私自身このライヴについて解釈するためには、やはり両方見ていなければたどり着けなかっただろう。昼の部だけでも無理だし、夜の部だけでもやはり無理だ。その点では出費以上の価値はあった。会場限定発売のレコードも買ってしまったので、帰り道の財布は空っぽだったけど。

夜の部セットリスト
太陽ぬ落てぃまぐれ節

  • ゲスト 熱帯森林保護団体代表 南研子

雲がちぎれる時
黄金の緑
大きな木に甘えて
Love scene
リズム
踊る鳥と金の雨
トュリ
The color of empty sky
ファティマとセミ
Paradise alley / Ginga cafe
スカートの砂
Panacea

  • encore

情熱
Moor

水色