UA@日比谷野外音楽堂 昼の部



 7月にリキッドルームで単発のライヴは行われたけれど、アルバム『Golden green』をサポートするツアーは8/31の福岡からスタートした。今日はその2公演目と3公演目。毎年恒例となっている日比谷野音であって、5年目の今年は昼夜2回公演だった。
 天気予報では雨の可能性は無いようなことを言っていたが、出掛ける直前になって垂れ込める雨雲を見たら急に不安に。UAだからなあ、とレインスーツの持参を決意し、その準備をしていたら開演時間に10分ほど遅刻してしまった。既にステージにはフラメンコでも踊りだしそうな真っ赤なドレス姿のUAと、バンドメンバーが。座席を目指して会場内を歩いている時だったのでよくは聞いていなかったが、「私のわがままでごめんなさい」とか「野音に来てくれる人はみんな考えていてくれると思う」などのコメントがUAから発せられ、次にNGO団体ツバルオーバービューの遠藤氏がステージに呼ばれた。
 ツバルというのは南太平洋に浮かぶ環礁から成る島国であることは知っている。その国が温暖化による海面上昇で近い将来沈んでしまうと言われていることも、今年春、UAがその国を訪れたことも知っていた。「黄金の緑」という曲ではツバルのことが直接的に歌われてもいる。UAにとっても重要な意味を持つ国なのだろう。ただそれ以上の情報は持っておらず、悲劇的な状況にある国に対してどうしようと考えたことはなかった。ましてや第二次大戦中に日本軍の攻撃を受けて2人のツバル国民が死亡した日が記念日になっているなんてことは、今日ここで話を聞くまで全く知らなかった。ツバルでは犠牲者が2人で済んだことから、生きている喜びを確認するための日として、国を挙げてのお祭りになるのだそうだ。過去の悲しみを忘れないためではなく、今生きていることを祝うためにその日があるという発想はにわかに信じがたくショックだった。またツバルの人々は、大戦後日本が戦争を放棄したことも知っており、日本に対して憎しみの感情は持っていないのだという。祖国の水没が間近に迫っている境遇の人たちの余りにも楽観的な思想が却って痛々しい。絶望的な現実を生んだのは間違いなく文明を享受している我々なのだから。
 遠藤氏とUAの対話の内容は予め打ち合わせをしたものではなく、その場のインスピレーションによって進めることになっていたようだ。両者ともそれほど話の上手い人ではないこともあって、20分ほど続いたこのコーナーは割りと取り留めの無い終わり方をしてしまった。加えて内容が考えさせられるものだっただけに、すぐにライヴを楽しむ体制に頭を切り替えることができなかった。それは私以外の観客も同様だったようで、本編の1曲目である「黄金の緑」が始まっても重たい空気が流れたままだった。7月のリキッドルームではイントロだけで大歓声が沸いたことを思い出し、このライヴはどこへ向かって行くのだろうかと不安になった。
 バンドメンバーはコーラスが2人になった以外はリキッドの時と同じ。3人のホーンセクションをフィーチャーし、内橋和久(g.)、鈴木正人(b.)、外山明(ds.)というここ数年活動を共にしている強力なメンバーを従えている。当然のこと、演奏は文句なしに素晴らしい。UAの歌声は力みが感じられず、声も良く出ていて、これまた素晴らしい。にも拘らず、観客の態度は冷ややかだった。
 「大きな木に甘えて」などの懐かしい曲にも反応は薄く、最大のヒット曲「情熱」ですら手拍子はまばら。立ち上がって踊るどころか、リズムに合わせて体を揺らす人がほとんどいないような状況のまま、ライヴは進行した。
 さすがにUAもこの状況は理解していたと思うが、挽回するための手立てが見つからないといった感じで、曲間のMCはほとんど無く、沈黙と沈黙の間に淡々と演奏が行われていくだけだった。後半は「Lightning」、「プライベートサーファー」、「踊る鳥と金の雨」、「閃光」といったシングル曲が次々歌われたものの、野音らしい開放感はとうとう最後まで味わうことなく一旦幕。
 アンコールではまず「トュリ」。そして遂にUA本人から「最初にしんみりさせてしまってごめんなさい」と謝罪の言葉が。さらに「この曲は今度のアルバムのテーマ曲みたいなもので、私自身もこれを聴いて励まされている」と話してから『Golden green』のラストに収録されている「Moor」が歌われた。

みんなもう気がついているのに 知らないふりだけ上手で
るり色が灰色に染まる景色には 夢の数がまだ足りないよ

65億の蟻を乗せた 小さな船が滝から落ちる前に
舟をつなぐ岸をさがす あなたをつなぐために手を伸ばす

 この曲を半分ほどを歌ったところで突然UAは泣き出し、続きが歌えなくなってしまった。UAのライヴは何十回も見ているが、こんなことは初めてだ。
 これほど具体的なメッセージが訴えられている曲はUAとしては珍しい。地球が相当ヤバイところまで来てしまっていることに対する危機感、焦燥感が歌われていることは言わずもがな。音楽を通じてだけではなく、今回の野音公演では普段のライヴとは違う試みを取り入れてまで声を上げなければと思ったのだろう。しかし結果としてそれが観客に充分に理解されたとは言い難く、ライヴを楽しめない状況を招いてしまったことに対する無力感と言おうか、不甲斐なさと言おうか、もしかしたら後悔も入り混じって、涙が止まらなくなってしまったのではないだろうか。歌えなくなった歌姫は何度も謝るばかりだった。
 しかしUAは取り乱すことはなく、毅然として次の予定を消化した。2人目のゲストとして、今度は映画「六ヶ所村ラプソディー」の監督である鎌仲氏がステージに登場。
 私はこの映画を見ていない。六ヶ所村の現状についても全くと言っていいほど知らない。恐らくは私のような人が少なくないから、この映画は作られる意義があったのだろう。青森の六ヶ所村というところに核燃料再処理施設が作られていることは知っていたが、それが何を意味するのかまでは考えたことがなかった。ツバルの件と共通することだ。安定した電力供給の代償として核廃棄物が生まれ、辺鄙な農村に処理施設が作られねばならず、施設の稼動によって放射性物質が撒き散らされる。さらに廃棄物からは劣化ウラン弾が作られ、兵器として使われる。これまた我々が文明を享受した結果としてどこかで悲劇が生まれているのである。
 オープニングとエンディングでこれだけ聞かされたら、相当鈍くない限り「このままではいけない」と思うだろう。ライヴを開催するためには大量に電気を使っているし、観客だって会場まで電車や自動車を使って来ているのだから、それだけでもかなりの量の二酸化炭素を排出している。ライヴ会場で「地球温暖化を阻止しよう」とか「核使用に反対しよう」とか言うこと自体が矛盾を孕んでいるのであって、どう考えても偽善性からは逃れられない。だからと言って何もしない、何も言わないことが正しい態度かと言えばそれも無理がある。偽善であることなどとっくに承知の上で、それでもこうした機会を設けるべきだと判断し、それを実行したUAの勇気は賞賛に値する。
 私個人の考えでは、人類は愚かなものであって、いずれ自らが撒いた種によって滅ぶのだろうと思っている。環境破壊は昨日今日始まったものではなく、人類が文明というものを手にした時点でスタートしているのであって、何百年も前にはその規模が小さかったから地球サイズで考えればほとんど無視できるような破壊でしかなかったというだけで、徐々にではあるものの環境破壊は進んでいたのである。もっと楽に、もっと快適にという人間の欲望はエスカレートする一方で、遂には自らの首を絞める直前まで来てしまっているということなのだろう。
 こうした理解を前提に、ニヒリスティックに「だからどうせ無理」と投げ出してしまうことはたやすい。しかし、特に芸術家という存在は理想を訴えなければならないと私は考える。結果的には解決させることはできないかもしれないが、それでも理想を掲げるのが芸術家の役割であって、それを放棄した者を芸術家とは呼びたくない。絶望の淵に立つ我々に光明を見せてナンボのものだという気がするのだ。
 2度目のトーク・コーナーでようやくこの点に気づいた私はかなり問題がある。しかしライヴが完全に終わってしまう前に気づいて良かった。最後の最後に津軽三味線の伴奏で歌われた「水色」には歌われる必然性が感じられ、素直に拍手を送ることができた。

昼の部セットリスト

?(島歌だったらしい)

  • ゲスト Tuvalu Overview 代表 遠藤秀一

黄金の緑
Melody lalala
大きな木に甘えて
情熱
michi
ノレンノレン/灰色した猿の夢
男と女
Lightning
リズム
踊る鳥と金の雨
プライベートサーファー
閃光
Panacea

  • encore

トュリ
Moor

水色

 セットリストは毎度のことながら、終演後に思い出してメモしたものに基づいているので間違っている可能性大。
 当初昼の部だけ見て帰るつもりだったが、個人的に不完全燃焼だったことと、「Moor」でのUAを見ていたら、夜の部は大丈夫だろうかと心配になってきて、急遽当日券の購入を決意。ということで夜の部に続く。