いつの間にやら日も暮れて/帰り道も思い出せない
忙しない毎日を送っていると、どうでもいいことがふと頭に浮かんだりする。今日満員の通勤電車の中で私の脳を支配したのが「そういえば『チャンネル争い』って死語だよな?」というものだった。この場合のチャンネルとはもちろんテレビのチャンネルのことである。さすが死語だけあって、こんなところから説明せねばなるまい。
その昔、と言ってもせいぜい20年か30年前のことだが、家庭における娯楽の王様と言えば間違いなくテレビだった。その頃日本の家庭にはまだ茶の間という空間があり、家族揃ってテレビを見るという習慣があった。テレビは居間の中央を占拠する電化製品で、各家庭に1台ないし2台が標準であって、複数の人間で同じ番組を見るのが普通だった。従って同じ時間帯に好みの番組バッティングしていた場合などに、見たい番組を巡って家族間で諍いが起こることがあった。これが「チャンネル争い」というものである。
これを発端として殺人事件に発展するといった当時でも信じられないことが、日本各地でしばしば起きたほどだったのだ。しかしそれも過去の話だ。
今では娯楽の細分化が進み、テレビに齧りつく人が著しく減った。私が小学生の頃は30%前後の視聴率を安定して稼いでいた巨人戦の中継が、今ではテレビ東京の旅情報番組より視聴率が低いなどという話を聞くと、隔世の感がある。プロ野球そのものがファン離れを阻止できていないということもあるだろうけど。
加えて核家族化と少子化の影響で、テレビはひとりで見る機会が増えた。要するに争う相手がいないのだ。テレビの普及が飽和状態で、家族ひとりに1台が当たり前になったことも関係あるだろう。
かく言う私も長年ひとり暮らしをしているので、自分以外の他人と同じ番組を見る機会はほとんど無い。それどころか7月に落雷で壊れたテレビは今もってそのまま放置されており、オブジェとして存在している。見ないんだよね、テレビって。
親や兄弟と反目しながら、チャンネル権の獲得へ向けられた情熱は、今の日本には残っていないのだろうか。物質的な意味では現在の方が裕福であるのは間違いないだろうが、高がテレビのことでそんなに熱くなれた時代を知る者としては、あの頃の方が平和だったような気がする。こんなことを思うのは、やっぱり年を取ったからだろうなー。
◆中日V経済効果は阪神の4分の1、200億円
別に野球選手は経済効果のためにプレイしてる訳じゃないけど。
今日近所のイトーヨーカドーへ寄ったら、「中日ドラゴンズ優勝おめでとう」のポスターが天井から吊り下げられていてギョッとした。少し考えれば分かるが、イトーヨーカドーとドラゴンズは何の関係もなく、「おめでとう」の言葉には感情が一切感じられないからだ。人が浮かれる要素のあることには何でも便乗しなければ気が済まない強迫観念でもあるのだろう。
◆ついにリッツパーティーの日がやって来る!!!
誰もが知っているけれど、誰も開いたことのないパーティー、それがリッツ・パーティーだ。しかしその幻のパーティーが遂に白日の下に!
国分寺の中古レコードショップ、超山田堂店主も出演するらしい。ご存知の方も多いだろうが、店主ちょやま氏はMAD3のEDDIEさんの実兄でもある。そう言えばMAD3は久しぶりのニューアルバムが発売されたんだよな。絶対傑作になっているはずという確信があるものの、お金が無くて買えないの。