琉球フェスティバル'06@日比谷野外音楽堂

k_turner2006-10-08



 個人的に沖縄音楽に対する造詣は全くと言っていいほどに無い。では何故足を運んだのかと言えば、取材だったからだ。出演者の顔ぶれはこちらを参照のこと。
 登川誠仁ディアマンテスパーシャクラブ大島保克らは辛うじて名前は聞いたことがあるものの、アルバムなり何らかの音源をちゃんと聴いたことはない。単に音楽的な知識が無いことに加え、沖縄の音楽が文化的にどう捉えられているかも知らなかった。
 年に何回もないであろう快晴に恵まれたこの日は、正に野音日和。最高のコンディションの下、何も知らない私の目の前で繰り広げられた沖縄音楽の祭典は、ちょっとしたカルチャーショックだった。
 来月発売されれるbeatleg誌にて、レポートを掲載する予定なので、詳しいことはここでは書けないが、下は小学生から上は60代、70代まで、文字通り老若男女で埋め尽くされた野音は、並みのロックのライヴより遥に盛り上がっていた。沖縄音楽の好きなヤマトンチュの観客は恐らく少数派で、大半は在京沖縄県人と思われた。琉球語によるMCにもダイレクトな反応があったことから、そう確信している。
 出演者はいずれも沖縄の伝統音楽の継承者、もしくは伝統を守りつつ現代的なアレンジを施した音楽を奏でている人たち。世代やスタイルは違えども、郷土の文化を大切にしていることだけは確かだ。そうした出演者に対して観客の取る態度が圧巻だった。出演者が誰であれ、老いも若きも、満員の観客が歌い、踊るのである。単純に曲やアーティストをよく知っていることも驚きだが、音楽的なスタイルに関係なく、心から楽しんでいる様子が新鮮だった。
 大トリは70をゆうに超えた島歌の大御所登川誠仁で、彼がステージに登場する直前、ステージに近い客席にいた20歳そこそこの若者が「すげえよ、こんな近くで見れるよ!」と興奮を押さえ切れない様子で喋っていたのが印象的だ。郷土の文化に対する理解と誇りが無ければ、こんな台詞は出てこないはずだ。たとえ沖縄に住んでいなくても、沖縄の文化が身近な存在で、自らのアイデンティティを形成しているなんて、日本では沖縄の人以外考えられないのではないか。
 私も地方出身で、今は東京在住だが、生まれ故郷の文化はそれほど大事に思ったことはないし、むしろ否定すべきものですらあった。無理して方言を直した記憶はないものの、あえて残そうとした覚えもない。私にとって生まれた土地の文化なんてその程度のものだったのだ。それを思うと、拠り所としての地域文化を持っている=中央に媚びていない沖縄の人が少し羨ましい。
 今回の取材はレポートを書くためにライヴを見ただけでなく、ステージの撮影も含まれていた。生まれて初めてカメラマンとしてギャラが発生する仕事だったのだ。しかも会場は日比谷野音。この機会を逃したら、こんな大きなステージを撮ることは出来ないかもしれないと思ったことが仕事を引き受けた理由でもある。各アーティスト、頭1曲のみ撮影可という条件付きだったので、それほど多くは撮れなかったが、一応全アーティストを押さえた。ただし誌面の都合で掲載されるのはせいぜい2〜3点と思われるけど。ライターとカメラマンの二役を同時にこなせる人材は案外貴重かも。これでギャラも2人分ならなあ。