DETROIT ACTION 4@下北沢Shelter

k_turner2006-08-26


 先日U.F.O. CLUBで見て以来、私はこのバンドにメロメロである。このイベントも、ほとんどROMANES目当てで来たと言っていい。この間のライヴがあまりにも衝撃的な体験だったため、時間が経つにつれ、もしかしたら偶然による奇跡、もしくは真夏の夜に見た幻覚だったのではとの考えが頭をもたげ、それを否定したくて足を運んだ部分もある。

 結論から言えば、来て良かった。私の見立ては間違っていなかった。こいつらはやっぱり変で、異常で、バカだった。

 まだ夏は終わらないのに革ジャンを着込み、演奏するのはラモーンズの日本語カヴァー。「ガタガタ言う奴ぁ、前出て来いよ!」(だったかな)、これは「Pinhead」の冒頭部分。「どいつもこいつもキチガイばっかり!」、これも同じく「D-U-M-B / Everyone's accusing me」のところ。
この歌詞に象徴されるように、な〜んにも考えてなさそうなところが素晴らしい。実際は計算した上でやっているのかもしれないが、少なくともそんな素振りは全く感じられず、またポーズでここまで天然ぶりを発揮できているのだとすれば、私は人間不信に陥り、発狂するかもしれない。
 演奏している時以外の彼女達がどういう人で、どんな暮らしをしているのかなどということにはあまり興味はないが、私生活が全く想像できないところがまたいい。もしかして無表情のまま人殺しもできるのではないかと、極端に異常な人格である可能性すら想像できてしまうのだ。まさかとは思うが。

 ひとつ危惧しているのは、このあまりにもピュアなロックンロールはせつなの輝きだと容易に予測でき、今と同じ状態はそれほど長期間続かないだろうということだ。長く演奏していくうちには技術も上達するだろうし、そもそもROMANESという名前にしても、ラモーンズのカヴァーだけというコンセプトにしても、そのモチベーションが何年も維持できるとは思えない。本家ラモーンズにしても、後継者であるギターウルフなどにしても、いくらワンパターンを専売特許にしているとはいえ、オリジナル曲を中心にしているのだし。
 来月にはデビュー・アルバム(タイトルはもちろん『ロマーンズの激情』)を発表し、活動はより活発化するものと思われる。そうなるとどこもかしこも諸手を挙げて大歓迎ということはないだろうし、少なからず批判や中傷を受けることもあるだろう。そうした時に自我と他者からの視線のせめぎ合いの中で、何かが壊れていくような気がしてならない。それは過去に幾多のバンドが経験したことで、必然でもあるのだから仕方がないのだろうし、だからこそ今のROMANESが美しく映っているとも言える。

 この日もやはりMCは一切無し。何も言わずに演奏が始まり、最後の曲を終えると何も言わずにステージを去っていってくれて、正直なところホッとした。老婆心の塊になっていた私は、心の中で「何も言うな、言わないでくれ」と念じ続けていたのだった。


 噂はかねがね聞いていた。ライヴを見るのは初めて。ストゥージズ、ドールズ、タイプのロックンロール・バンドで、見るからに反社会的なメンバーの風貌にまず嬉しくなる。ストゥージズやドールズを引き合いに出したのは、明らかにそうしたバンドからの影響が窺えるからで、それはスタイルとしては特に目新しさを感じないということと同意でもある。そうしたバンドは他にもゴマンと存在するし、既に風化してしまったスタイルだけを追い求めているバンドすらいるが、毛皮のマリーズに限っては愚かな轍を踏んでいないところが素晴らしい。
 「ロックとは現実との摩擦係数である。それが高ければ高いほど気持ちがいい」とは渋谷陽一さんの名言だ。まあ実際にはロック度なんてものは多分に感覚的なもので、数値化することなどできないのだが、言わんとすることはよく分かる。その言い方に倣えば、毛皮のマリーズの音には明らかに摩擦係数の高さが感じられるのだ。

 ノイジーなギターにしろ、狂暴なパフォーマンスにしろ、喧しくて、危険で、本当に気持ちがいい。これが快感だと思えるのは、私が現実との折り合いがついていないからであって、善良で幸福な暮らしをしている人であれば、きっと不愉快極まりない騒音に過ぎないのだろう。形式なんて何を選ぼうが、内容がちゃんと狂っていてくれさえすれば、私は大歓迎である。

  • THE THUNDER ROADS

 この日は前述の通り、ROMANESが目当てだったので、他の出演バンドについてはろくにチェックしないまま来ていた。このバンドについては何の知識も無かったのだが、メンバーがステージに現れて驚いた。真ん中でギターを弾いて歌っているのはアキラ・アクセルではないか。
 ACCEL 4は何度かライヴを見たし、好きなバンドであった。4〜5年前だったか、解散したと聞いた時は残念に思ったものだ。それ以降アキラ・アクセルが何をしていたかは、ついぞ知らなかった。

 パンク、ガレージに分類できるバンドであることはACCEL 4時代と変わらないが、THUNDER ROADSはより歌を聴かせるサウンドであり、メンバー4人それぞれがリード・ヴォーカルを担当するに至っては、意外な感じがした。ACCEL 4時代の手の付けられない狂暴さを思い出すと、そういう民主主義的な要素とは無縁の人だと思っていたので。

 アキラ・アクセル(よく考えたら、今はこういう名前ではないと思うが)は、ACCEL 4時代と同じ黒のつや消しのレスポールを弾いていたものの、革ジャンは着ていないし、ヌンチャクも振り回さないし、腕に火をつけて暴れたりもしない。ACCEL 4は過去のものとして清算したのだろう。しかしどんなバンドだったんだ、ACCEL 4って(笑)。そういえばアキラ・アクセルの横に飛ぶジャンプは健在で、これは懐かしかった。こういうところは変わらないのだね。

  • THE COKES

 こちらも未知のバンド。所謂パワーポップか。日本語詞でメロディアスな曲を歌うバンドで、音楽性そのものは嫌いではないが、余りにも意外性が無く、保守的に思えた。

 加えて身内と思われる10人ぐらいの客が、ポゴとシンガロングで狂ったように暴れるのがわざとらしくて閉口。君たち、さっきまではそんなに元気ではなかったよね?バンドより客を見ている方が面白いぐらいだったので、大したバンドではないのだろう。

  • THE KNOCKS

 もう7〜8年前だったか、法政大のイベントで見たような記憶がある。が、既に思い出は曖昧でよく覚えていない。ライヴを見るのはそれ以来のはずで、ほとんど初めて見るに等しい。90年代における日本のパワーポップ・シーンの象徴だった「クロロホルム」にも参加していたバンドだけに、キャリアは長い。ただかなりマイペースで活動しているようで、時折ライヴをやったり、コンプ・アルバムに音源を提供する以外は、目立った動きが無いバンドでもある。

 「クロロホルム」に牽引される形で数多のパワーポップ・バンドが現れては消えていったが、このバンドが今も存続しているのは燃え尽きる手前のポジションをキープしているからだろうか。日本で言うところのパワーポップは、非常に形式主義的な定義をされているので、どのバンドも音楽性に関しては保守的である。ただこのバンドに関しては、パワーポップが定義される前の原型を留めている点で、パンクらしさを感じる。

 言い換えればこうしたスタイルを選択せざるを得なかったモチベーションというか、衝動のようなものが伝わってくるのである。形式をなぞることが目的化したバンドとは別のスタンスだと言えるだろう。頻繁にブレイクが入るリフを中心としたサウンドにも劣化が感じられず、楽しめる演奏だった。


 夏バテなのか、体調が悪く、ビールの1杯も飲む気にはなれなかった。おまけに何故か目が痛くて痛くて。余力があれば、この後23時からのU.F.O. CLUBのイベントへ移動しようかと思っていたのに。50's high teensの東京での最後のライヴは断念。無念である。


【8/29写真追加】
 Shelter最高!いいハコです。