DUBSENSEMANIA@渋谷CLUB QUATTRO

k_turner2006-07-20



 チケットには7時開演と書いてあったので、律儀にその10分ぐらい前にクアトロへ到着したが、あまりの閑散振りに驚く。フロアへ降りていたのが私を含めて4人(笑)。残りはカウンター席や後ろのスペースにちらほら人影が。それでも充分数えられる人数だ。
 DUBSENSEMANIAのレコ発パーティーだというのに、大丈夫だろうかと心配になりながら大音量で流れているDJを贅沢に楽しむ。20人ばかりの客に聴かせるにはもったいないようなディープでオーセンティックなダブだった。多分有名なDJなのだろう。私は知らないけど。
 開演の7時を過ぎて白人のDJに交代。こちらはダブ色は薄く、レゲエだけでなくジャズやヒップ・ホップのネタも投入。こういう世界に疎い私はそのテクニックにいちいち感心しきりだった。しかし客は増えないし、ライヴはいつ始まるんだ?
 DJが面白いので退屈は感じなかったが、時間はみるみる過ぎていった。フロアに急に人が集まり出したのが8時前後。そして8時20分ぐらいになってステージにメンバーが登場。1時間以上押すのはもしかしてお約束だったの?何だかシステマチックだな。
 DUBSENSEMANIAはその評判の高さから名前は知っていたが、肝心の音を聴いたことはなかった。もちろんライヴも私にとってはこれが初めて。演奏が始まってまずびっくりしたのが、あまりにも上手いことである。6人のメンバーそれぞれが高度な技術を持ったミュージシャンで、誰かが突出することもなく、バンドのアンサンブルは完璧。アレンジがまた見事で、痒いところに手が届くような、必要にして充分な音の連なりになっており、それがまた嫌味ではないから凄い。さらにこのバンドにはリード・ヴォーカルを担当する者が4人もおり、ラヴァーズ系ならメロディカの人、トースティングに強いドラムの人、その他ルーツ全般ならパーカッションの人など、それぞれ得意分野が分かれていることと、英語の発音もネイティヴに近いものだったことには、舌を巻いた。
 ロックステディ以降のレゲエの各スタイルを完全に消化しており、前半はまるでDJを聴いているように、いろいろなタイプの曲をほぼメドレーで演奏。しかもこの演奏力である。最初の何曲かは「スゲー、スゲー」と興奮しきりだったが、途中からあまりの完璧ぶりが却って仇となって、スクエア故の面白味の無さに気が付いた。レゲエが内包するだらしのなさや、危険な香りが感じられないのである。定時に出社して、定時で上がるラスタマンなど考えられないのと同様、あまりに行儀が良すぎるのも考えものだ。適切な例えかどうか分からないが、ロックで言うならTOTOみたいなもので、TOTOの演奏が完璧であることは認めるけど、音楽としては私には退屈なものに聴こえるのだ。
 ルーディーの資質は演奏技術のように努力で獲得できるものではないため、ジャマイカより安全で平和な日本に生まれた人間にそこまで望むのは酷なのかもしれない。外国の文化を取り入れることが得意な日本人によるレゲエ・バンドとしては、DUBSENSEMANIAが最高峰とも解釈できる。技術的なことを言うなら、ジャメイカンよりずっと上手いと思うし。
 良い演奏であることは間違いないのだから、それを楽しめばいいのだろうと思ってたら、中盤になってやや変化が。先週発売になったばかりの新作『Inna di kitchen』は、ゲスト・ヴォーカルを迎えた有名曲のカヴァー・アルバムで、そのレコ発パーティーであったこの日のライヴには、そのゲスト達も出演したのだ。そのコーナーの先陣を切ったのがKEISON。サーファーでもある彼は、ジャック・ジョンソンなどと同じ資質を持った日本人で、ゆるめのグルーヴを全身から醸し出している。それがDUBSENSEMANIAと融合した時、完璧なバッキングに支えられたKEISONの音になり、何とも言えない心地よさがクアトロを包んだ。KEISONのオリジナルと、アルバムに入っている「It ain't over till it's over」の2曲は、DUBSENSEMANIAだけの演奏では味わえなかったライヴ感があった。
 続いてUAUAの出演は私にとってこの日のライヴを見に行った大きな理由のひとつで、久しぶりにレゲエを歌うUAが拝めたのは嬉しい。スティーヴィー・ワンダーのカヴァー「Visions」は、『turbo』の頃のダビーなUAを思い出させるものだった。
 ゲスト・コーナーの最後を飾ったCHAPPIEも同様。この人のことはよく知らないけれど、ダンスホールスタイルのレゲエ特有の高揚感は発揮されており、CHAPPIEというMCの面白さも存分に伝わってきた。
 このゲスト・コーナーの間、また安易な連想だが私はザ・バンドの「ラストワルツ」を思い出していた。マディ・ウォーターズからジョニ・ミッチェルから、ジャンルの異なるゲストが次々に出てくる度に、ザ・バンドは見事にフィットするバッキングをしてみせる。しかもゲストの魅力を最大限引き出す演奏で、主役はザ・バンドなのにゲストの印象の方が強く残ったりする。DUBSENSEMANIAにもそれに近いものを感じた。
 レゲエは地域的特性が強く反映された音楽であることは間違いないが、ジャメイカンでなければ理解されない音楽ではないことは、20世紀後半の世界中の音楽にレゲエが与えた影響を調べれば分かることだ。従って日本人だからレゲエができないなどということは絶対に無いのだが、DUBSENSEMANIAは極上のコピー品の域を出ていないように思う。このレベルに到達することがいかに難しいかは容易に想像できるので、それはそれで偉大なことではある。ただザ・バンドが単体で演奏しても面白いのは、彼ら自身プログレッシヴと言っていい実験精神の持ち主だったことと無関係ではなく、規格外のことにもたくさん挑戦していたからだ。
 あまり詳しくはない私の偏見かもしれないが、どうも日本のレゲエ界は村社会的というか、こじんまりとした世界だけで通用する言語に頼った部分が感じられる。「ヤーマン」と呼ばれて返事をしたくないのだよ、私は。彼らがその中の頂点に立つことで満足しているのかどうかは知るところではない。ただこれだけのことができるバンドが、お山の大将で終わるのはもったいない気もするので、レゲエ以外のジャンルのアーティストと異種格闘技戦を交えるなどして、さらなる独自の世界を築いていって欲しいものだと思う。
 ライヴの帰りに『Inna di kitchen』を購入。今聴きながらこれを書いていたのだが、やはり演奏は素晴らしく、非の打ち所がない。ゲスト・ヴォーカルが入った曲は、その再現以上のものがライヴで見られたのだから、他の曲もそうであったらなお良かった。