オーネット・コールマン・クァルテット@東京芸術劇場大ホール

k_turner2006-03-28



 結局ストーンズは見に行かなかったけれど、オーネットのライヴは指折り数えて楽しみにしていた。彼のアルバムは3枚ほどしか聴いたことがないので、とてもファンを名乗れるほどの資格はないが、生ける伝説を見逃す理由は見当たらない。ジャズの黄金時代を築いたジャズメンたちが粗方あちらへ行ってしまった今、ジャズ史上最も尖がった音楽を残したと言っても過言ではないオーネットが未だ現役でいてくれる幸運を噛みしめるべきなのだ。
 会場は平日だというのにほぼ満席。3年前ここで見たエルヴィス・コステロの時より沢山の観客が来ていたと思う。客層は30〜50代の中高年が多いものの、20代の姿も少なくないことに驚いた。2年前に見たストーンズより客の平均年齢は低いだろう。
 まずオープニング・アクトとして山下洋輔が登場し、ピアノ・ソロを30分ほど演奏。これがやたらと気合が入っており、途中本人がMCで「まさかこんな日が来るとは思いませんでした。偉大なオーネットのために、喜んで前座を務めさせていただきます」と語ったのは決して社交辞令ではないことがよく分かる演奏で、敬虔な態度が伝わるものであった。無名の新人によるサポートの場合、自分のプロモーションが主目的だったりするが、彼ほどのベテランが務める前座は、既に本編のショウの一部でもある。熱い演奏に促され、さあオーネットが出てくるぞとますます気分が高まった。
 10分ほどの休憩を挟んでいよいよご本尊登場。先日76歳の誕生日を迎えたオーネットはよちよちとした足取りでステージ中央へ。紫のスーツに黒のポークパイ・ハットという出で立ち。オシャレな爺さまだ。従えるのはベースが2人にドラムという編成。
 さすがに年齢が年齢なので大丈夫かなとの不安は、音が出た瞬間吹き飛ばされた。オーネットが後ろを向いてメンバーに目で合図を送り、客の方に向き直ってアルトを吹くと同時にバックの3人が同調する。この緊張感漲るアンサンブルには本当に驚いた。ほんの数十秒前によちよち歩いてきた爺さまと同一人物とは思えないほど、オーネットのサックスはパワフルな音色を奏で、フリー・ジャズの大家としての威光衰えずといった感じのインプロヴィゼーションを繰り出す。
 両翼に従えたウッド・ベース2名は、ひとりが弓弾きで主にメロディを、ひとりが指弾きで主にリズムを担当。曲によっては両名が同時に弓で弾いたり、指で弾いたりとバリエーションを変えつつ、同じ楽器で別々の役割を担うユニークな編成だ。最後列に控えるドラムはオーネットの息子だそうで、父親譲りの破天荒さを感じさせるダイナミックな叩きっぷりが痛快であった。所謂4ビートは叩かず、去年フジロックで見たマーズ・ヴォルタのドラムを彷彿とさせる独創性溢れるものだった。
 1曲あたりは長いものでも10分程度で、噂に聞いた「20分のサックス・ソロ」なるものは無かった。あくまで若い頃の話なのかも。曲がコンパクトになっている分、枯れることのないアイディアも整理された印象があり、全編通して溌剌さが感じられた。案の定曲名はほとんど分からず。私があまり詳しくないこともあるが、「虹の彼方に」や「サマー・タイム」っぽいフレーズが出てくる曲があっても、基本的にインプロヴァイズされているので本当にそれらスタンダードなのかよく分からないのだな(笑)。こういう音楽の場合特に曲名が何であるかなどということは、どうでも良いことなので気にしない。
 オーネットがトランペットやヴァイオリンを弾く場面も何度か。サックスはかなり高度な計算の上に吹いている印象を受けたが、ペットとヴァイオリンに関しては逆に即興性を重視し、気分によって持ち替えている印象を受けた。それ故演奏により締まりが出るというか、スリルが加わる効果があり、アイディアの豊富さ、アンサンブルのプロデュース能力の高さには唸らされた。伝説の人は伝説になるだけの理由がちゃんとあるのだ。
 後半山下洋輔が加わり、割とオーソドックスなブルースのジャムを1曲。爺さまは山下洋輔を高く評価しているようで、クァルテットの演奏では他のメンバーにほとんどソロを取らせなかったのに、この曲では山下に長いソロを弾かせ、自分は演奏せず嬉しそうに眺めていた。
 さらに日本人女性シンガーを入れた曲も。オノ・ヨーコにソプラノ歌手の素質を与えたらこうなるかなと言うような歌い方で、これはもうジャンル分け無用の声楽。あえて言うならロックンロールかパンクか。おそらくは日本公演のみのプログラムだろうが、こういう過激な音楽に嬉々として取り組んでしまう爺さまの志の高さに改めて敬服。この人は老いぼれるということは無いのだろうな。
 フリー・ジャズには難解だというイメージが今なおつきまとっており、事実私も長いこと敬遠してきたのだが、今にして思えば何と無駄な時間を過ごしたのだろうと思う。フリーとは文字通り自由であって、制約が無いのだから聴く側が構える必要は無いし、特別な知識や素養も要らないのである。言わば最も純粋な音楽なのかもしれない。先日朝日新聞に掲載されたインタビューで、いみじくもオーネットは次のように語っている。

「私にとって、悪い音楽も、悪い演奏もない。誰がどんな理由で聴きに来ようと、特別な人はいない。いろんな人間がひとつの体験を共にする、そこから美しいものは生まれると思う」

 些事に囚われ、エベレストより高い選民意識を誇りに思うような音楽の聴き方など、オーネットに言わせれば愚の骨頂なのだろう。この言葉がポーズなどではなく、実際の演奏に裏付けられたものであることを悟った時、有言実行の人オーネット・コールマンへの尊敬の眼差しはますます強まるのである。