帰ってきた連載第2回

k_turner2006-02-11



◆『The River In Reverse』へ向けての予習と復習 その2
 よもやこの連載のことを忘れていたわけではあるまいな?私は忘れていたぞ。エルヴィスの来日が無さそうだと分かってからというもの、あらゆることにやる気を無くし、出力20%ぐらいでダラダラと過ごしていたらさすがに尻に火がついてしまい、この2〜3日は溜まった仕事を片付けておりました。ということで日記自体久しぶりの更新となるが、時事トピックを拾って周るのもしんどかったので、今日は連載の第2回。第1回は2月2日の日記にあるので、読んでいない方は一度読んでいただけると話がしやすい。
◇そもそもアラン・トゥーサンって…、誰?
 私とて偉そうに語れるほど詳しくはないのだが、エルヴィス・コステロのファンが全てアラン・トゥーサンに精通しているわけでもないだろうと思ったので、おさらいも兼ねて確認しておきたい。その前にタイミング良く、というか日本のファンにとってはすこぶる悪いタイミングで、このような催しがあった。まずはこの映像をご覧下さい。お馴染みYouTubeより。
グラミー賞授賞式でのアラン・トゥーサンとエルヴィス・コステロ
 ご存知の方も多いと思うが、エルヴィスは日本へ来ないでグラミー賞に出演していたのだな。今年の授賞式のファイナル・ショウとして、トゥーサンとエルヴィス、それにドクター・ジョン、アーマ・トーマス、ボニー・レイット、エッジらによる「Yes We Can」の演奏が行なわれた。インポスターズのリズム隊、ピート・トーマス、デイヴィ・ファラガーの姿も見える。引き続きサム・ムーアとブルース・スプリングスティーンが合流し、「In The Midnight Hour」も。エルヴィスは「Yes We Can」の最後のパートでリード・ヴォーカルを取っている。が、マイクが不調でよく聴こえない。その後にサム・ムーアとスプリングスティーンを紹介する所でやっと聴こえる程度だ。しかも放送時間が足りなかったのか、最後の方はCMと番組クレジットが被さってしまい、かなりグダグダな出来。
 「Yes We Can」はアラン・トゥーサンが書いた曲で、リー・ドーシー(後述)のヒット曲として有名。この演奏はニューオーリンズへのトリビュートとして行なわれたもので、トゥーサンはもちろん、ドクター・ジョンやアーマ・トーマスといったニューオーリンズ出身のミュージシャンや、トゥーサンの曲をカヴァーしているボニー・レイットらに混じってエルヴィスが同じステージに立っているのは『The River In Reverse』があってこそのこと。逆に言えばこの作品を作らなかったら、今年のグラミー授賞式には出演しなかった可能性が高く、今頃は日本に来ていたかも。
 エルヴィスのことはとりあえず良いとして、この映像からトゥーサンの置かれた立場というものがよく分かる。現役ミュージシャンの中で、ニューオーリンズと言えば真っ先に名前が挙がるひとりなのだ。


 ここから先は詳しい人は読み飛ばしてもらって結構です。トゥーサンの略歴をまず紹介しておくと、1938年1月14日、ニューオーリンズ生まれ。父親がトランペッターという音楽一家に育った彼は幼い頃から音楽に親しみ、ピアノをマスターする。13歳の時にはフラミンゴス、16歳でスヌークス・イーグリンといったアマチュア・バンドを結成し音楽活動を始める。プロとしての最初のキャリアは19歳の時、「Let The Good Time Roll 」のヒットで知られるシャーリー&リーのツアー・メンバーとして、かのヒューイ・ピアノ・スミスの後任に抜擢されたのが最初。同じ頃ニューオーリンズ音楽界の重鎮、デイヴ・バーソロミューの目にも止まり、バーソロミューが手掛けていたファッツ・ドミノやロイド・プライスのレコーディングに携わるようになる。
 1959年、21歳の時にはミニット・レコーズというレーベルに入社。同レーベルから発売される作品のプロデュースを担当する。50年代末から60年代初めにかけて、プロデューサー、アレンジャー、ソング・ライター、セッション・ミュージシャンとして数多くの作品を世に送り、代表的な作品はジェシーヒルの「Ooh Poo Pah Do」「Mother In Law」、クリス・ケナーの「I Like It Like That」、アーマ・トーマスの「Ruler Of My Heart」(以上はミニットより)、リー・ドーシーの「Ya-Ya」などがある。
 63〜65年の2年間トゥーサンは兵役に就いており、その間はソングライターとしての活動はあったものの(ハーブ・アルパートが取り上げた「Whipped Cream」など)、実質的には停滞期に当たる。入隊期間中にミニット・レコーズの経営が傾いてしまったため、除隊後マーシャル・シーホーンという白人の企業家と共同でサンスー・エンタープライズという原盤制作、音楽出版会社を設立。インディペンデントの音楽制作に乗り出す。ここからがトゥーサンの黄金時代と呼べる時期で、「Ride Your Pony」「Working In A Coalmine」「Holy Cow」「Everything I Do Gonna Be Funky」などリー・ドーシーの数々のヒット曲を生み、60年代後半にはミーターズを手掛け、ニューオーリンズ・ファンクの礎を築いた。70年代に入るとトゥーサンの仕事はR&B界に止まらず、ザ・バンドポール・サイモンらロック界にも及び、同時にラベルの「Lady Marmalade」に代表されるように、ジャンルを問わないヒット・プロデューサーとして音楽界に君臨した。
 裏方中心の音楽活動ではあったが、ソロ名義の作品もあり、最初のソロ・アルバムは58年に発売した『The Wild Sound Of New Orleans』というインストゥルメンタル作品。このアルバムは80年代にEdselがリイシューしている。それ以後は自身の作品は途絶え、71年の『Toussaint』が2枚目のソロ。さらに72年『Life, Love And Faith』、75年『Southern Nights』がある。『Toussaint』以降の3枚はいずれもワーナー傘下のレーベルから発売されており、この3枚に75年の未発表ライヴ音源を加えた『The Complete Warner Bros. Recordings』という編集盤がライノのハンドメイドで発売されたことがある。
◇聴いておきたいトゥーサンの関連作品


 どの資料を調べてもこのアルバムが最高傑作と書かれている。シンコペートするリズミカルなピアノと独特のホーン・アレンジの妙は堪能できるし、75年当時の流行を意識してかAORにも近いソフィスティケイトされた音作りで、R&Bのドロ臭い部分は抑え目なので、確かに今聴いても古さを感じない。初めて聴いた時、私は「細野さんにそっくりだなあ」と思った。順序が逆だって。
 本当は前述のライノ・ハンドメイドの2枚組が良いだろうが、現在は廃盤で入手困難。私も買おう買おうと思っていたのだが。


 プロデューサー、アレンジャー、ソングライターとしての初期トゥーサン作品を俯瞰するには便利な1枚。60〜65年までの関連作品を22曲収録。ファンク誕生以前なので後の作品ほどのトゥーサンらしさは希薄とはいえ、単純に60年代ソウルのヒット曲集としても楽しい。ストーンズのカヴァーで有名なベニー・スペルマンの「Fortune Teller」も入っている。

  • 『Holy Cow The Very Best Of Lee Dorsey』Lee Dorsey


 トゥーサン作品を語るとき、避けては通れないニューオーリンズR&Bの代表的シンガー。全28曲入りで、彼のヒット曲はこの1枚でほぼ網羅できる。ジョン・レノンのカヴァーが有名な「Ya-Ya」、ロバート・パーマー他、数多くのカヴァーがある「Sneakin' Sally Through The Alley」、エルヴィスがコンフィデレイツとのライヴで取り上げた(らしい)「Riverboat」、そして先ごろのグラミー賞授賞式で演奏された「Yes We Can」はもちろん収録。60年代前半まではノベルティ色の強いレイ・チャールズといった感じの曲が多いが、60年代後半からのミーターズがバックを務めた曲はどれも最高。初期のヒット曲も英国、特にモッズ界隈では評価が高く、86年に亡くなった後、イギリスで発売された追悼盤のライナーはジョー・ストラマーが書いていた。


 ファンクの開祖と言えばジェームス・ブラウンだが、そこにニューオーリンズならではのテイストを加え、トゥーサン独自のファンク・サウンドを具現化させることに成功したのがこのミーターズ。ジョセフ・ジグ・モデリステのドラムと、ジョージ・ポーター・ジュニアのベースが生み出す絶妙のズレと間こそが彼らの真骨頂であり、ニューオーリンズ・ファンクの真髄である。68年以降のリー・ドーシー作品のバックを務めたのはミーターズであり、「Yes We Can」に代表されるハネるファンク・ビートは彼ら抜きには生まれ得なかった。
 『Struttin'』はジョシー・レーベル時代最後の1970年の作品で、インストゥルメンタルを中心としたミーターズはこれにて完成を見る。ビルボード誌のベスト・R&B・インストゥルメンタル・グループに選ばれたのもこの頃。
 『Uptown Rulers!』は75年にクィーン・メアリー号船上で行なわれた、ウィングスの『Venus And Mars』完成記念パーティーで演奏した際のライヴ。ポール・マッカートニーが目を付けていたことからも分かるように、この時期のミーターズ、及びトゥーサンはトレンド中のトレンドであったわけだ。発表を前提としていない録音だったのか音質は今ひとつなのが惜しまれるが、演奏は文句なしにグルーヴィ。この頃のミーターズは一度でいいから見たかった。

  • 『In The Right Place』Dr. John


 プロデューサーはアラン・トゥーサン、バックはミーターズによるドクター・ジョン作品となれば鬼に金棒。クラシカルなニューオーリンズ音楽の最高の教典と言えば前作の『Gumbo』に軍配が上がるが、セカンドライン・リズムをより現代的なファンクへと発展させた作品としてはこちらを推す。ミーターズが織り成すポリリズム的ビートに、ドクター・ジョンのだみ声が絡むことで、あたかもジャケット画のような桃源郷が現出する。バラードの名品「Just The Same」も良い。

  • 『High Life』Frankie Miller


 フランキー・ミラーという人はカリスマ性の無いヴァン・モリスンと言うか、小粒なロッド・スチュワートと言うか、垢抜けないロバート・パーマーと言うか、素質はあるのにこれという決定的なセールス・ポイントを持てず損をしている人だ。R&Bが大好きな英国白人シンガーにありがちなトゥーサン信仰を形にした74年作で、プロデュースはトゥーサン。ただし録音はニューオーリンズではなく、アトランタで行なわれている。
 アレンジはトゥーサンの仕事以外の何物でもなく、トゥーサンのペンによる曲が8曲も収録されていることから、トゥーサンと白人シンガーが組むとどうなるかを見るサンプルとしては最適なアルバムとも言える。

  • 『Ice On Fire』Mighty Diamonds


 これは一種の珍品。レゲエ・ヴォーカル・グループのマイティ・ダイヤモンズのプロデュースをトゥーサンが手掛けた77年作。リズム・パターンは間違いなくレゲエのそれなのに、何故かレゲエっぽくは聴こえない不思議なアルバム。というのもホーンのアレンジはトゥーサン・カラーが濃厚だし、元々マイティ・ダイヤモンズ自体がミラクルズ、デルフォニックスあたりのソウルのヴォーカル・グループの影響が強く、ソウル、R&Bとの親和性が高かったからだろうと思われる。「Sneakin' Sally Through The Alley」も取り上げており、数多いこの曲のカヴァーの中でも傑作に数えられるべき仕上がり。

  • 『Our New Orleans 2005』V.A.


 最近発売されたソウル、R&B系ミュージシャンを集めたオムニバス盤。どちらにもトゥーサンが参加している。
 『Our New Orleans 2005』は昨年夏のハリケーンカトリーナ以後に制作されたもので、ニューオーリンズへの鎮魂と復興への願いがテーマになっている。オープニングを飾っているのがトゥーサン自らが再演した「Yes We Can」。トゥーサンはニューオーリンズ・クラシックの「Tipitina」も録音している。他にはドクター・ジョン、アーマ・トーマス、ワイルド・マグノリアス、エディ・ボ、ダーティー・ダズン・ブラス・バンド、バックウィート・ザディゴ、ランディ・ニューマンなど、現役のニューオーリンズに縁の深いミュージシャンがこぞって参加。いずれも深い悲しみを湛えつつ、ニューオーリンズの音楽が持つ豊潤な魅力を伝える。
 『I Believe To My Soul』はハリケーンの少し前、昨年6月には録音されていたもので、ジョー・ヘンリーのプロデュースの下、R&Bが全盛の今、60〜70年代の古き良きR&B、サザン・ソウルにも目を向けようのコンセプトで制作されたもの。トゥーサン以外にはアン・ピーブルズビリー・プレストン、メイヴィス・ステイプルズ、アーマ・トーマスが参加。
前者とはコンセプトが異なるため、特にニューオーリンズにスポットを当てたものではないが、『The River In Reverse』同様ジョー・ヘンリーが手掛けた点は見逃せない。ジョー・ヘンリーの音作りはベース音に対するエコー処理と、特にアコースティック楽器の際立たせ方に特徴があるようで、ややくぐもった感じの仕上がりが『Brutal Youth』の頃のミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクの仕事を連想させる。『The River In Reverse』ではこの特徴がどう生かされるのかが楽しみだ。
 なおこの2枚は前者が収益の全てが"Habitat for Humanity"という基金に、後者は1枚につきUS$3が赤十字に、それぞれ寄付されることになっている。