Raul Midon@渋谷AX

k_turner2006-01-29



 昨年頭をぶん殴られたかのような、圧倒的な衝撃をもたらしてくれたアーティストがこのラウル・ミドン。THE DIG誌の年間ベストアルバムセレクションでも、個人別で堂々の1位に選出させてもらうことにためらいは無かった。アルバムの出来にはもちろん満足していて、繰り返し聴いたが、衝撃のあまりの大きさに惑わされ、却って捉えどころが無いような印象すら感じられた。「盲目の天才ギタリスト」とか「クインシー・ジョーンズジェフ・ベックも絶賛」とか、付随する情報やイメージだけでも強烈なインパクトがあり、それが一人歩きしてはいないだろうかと疑心を持ったほどだ。近年稀に見る衝撃を受けたこのアーティストの、本質の部分に非常に興味が沸いた。一体彼は何者なのかという疑問を解消するべく、来日公演は絶対に見逃さないぞとの意気込みで、この日を待ったのだった。
 昨年秋にプロモーションのため初来日を果たし、その際にショウケース的なライヴは行なっているものの、正式にはこれが初の日本ツアーで、今日がその初日。当日券が若干出たようだが、AXはびっしり超満員。メインの客層は20代後半〜30代前半ぐらいか。しかしそれ以上の中高年の姿もちらほら。
 まず日本在住のニュージーランド出身という弾き語りの女性シンガーによる前座が15分ほど。素朴なシンガーソングライターという印象で、可もなく不可もなく。しばしのブレイクの後、満を持してラウルがスタッフに手を引かれ登場。セットらしきものは全く無く、ステージ上にはマイクスタンドとギター、後方にソファが置いてある程度の殺風景とも言える場所にたった一人で立ち、ギターを抱える。これだけの観衆を前に演奏するのだから、ベースかパーカッション奏者ぐらい連れてくるだろうと思っていたが、その予想は外れたな。
 観客全員が固唾を呑んで見守る中、聴き慣れた「Everybody」のイントロが始まると地鳴りのような歓声が沸いた。アルバムで聴いた通りの音が本当にアコースティックギター1本で再現されている。左手は普通に弦を押さえているように見える(当たり前か)。しかし右手は5本の指が忙しなく弦を弾き、同時に手のひらでボディをパーカッシヴに叩き続けるのだ。それも叩く位置や力加減を微妙に変え、その度バスの音になったり、タムの音になったりする。その使い分けには呆気に取られるばかりだった。ギター、ベース、パーカッションのパートをアコギ1本で表現しつつ、同時に愁いを帯びた声でソウルフルに歌う様は人間業とはとても思えなかった。ギターひとつ取っても、どうしてあんな高速ピッキングハーモニクスができるのか不思議で仕方がない。
 聴き慣れた曲とはいえ、実際に演奏しているところを目にすると、超人的な技巧に戦慄を覚えずにいられなかった。人間はここまでできるのかという感動と、五体満足な自分は何をやっているのだという恥ずかしさが渾然一体となって全身を襲う。恐らく観客は皆同じ感覚を味わっていたのだと思う。間奏部分でまた大喝采に沸き、曲が終わるとさらに大きな拍手と歓声が。拍手が止まないので、ラウルが次の曲を始められないほどだった。ライヴの現場ではおざなりな拍手が起こることも珍しくはない。しかしこの日、この場所に限っては拍手以外の表現方法が無いことがもどかしく、「こんなものですみません」と心の中で謝りながら手を叩き、声を上げた。
 彼のもうひとつの必殺技である、ヴォイス・トランペットも早速2曲目(曲名失念)には登場。これにしてもマイルス・デイヴィス風にミュートを効かせたり、かと思えばチェット・ベイカー風に高低差の激しいブロウを披露したりと、芸が細かいのである。またギターとファルセットのスキャットと、このヴォイス・トランペットをユニゾンで進行させながら間奏にしてしまう神業も圧巻という他なかった。ええい、もうどうにでもしてくれ!と、あまりの凄さに途中から笑えてしまうほどだった。
 サポートメンバーも、ステージセットも不要。ラウル一人がギターを弾き、歌うだけで充分にライヴが成立することにも驚いた。ただ誤解無きよう断っておくが、彼は決して技巧をひけらかすことを目的としたミュージシャンではない。彼の音楽スタイルを追求した結果として、この演奏形態に辿り着いたのだと思う。当然のこと想像を絶する訓練の賜物であろうが、ベースなり、パーカッションなりのサポートメンバーを加えれば代替できる種類のものではなく、あのサウンドを実現するためには一人で何役もこなす以外の選択が無かったのだ。
 彼自身認めるように、ラウルの音楽にはジャズ、ソウル、ファンクの要素が入り混じり、特にダニー・ハザウェイスティーヴィー・ワンダーあたりは直接的な影響が見られる。ではラウルはダニーやスティーヴィーのレプリカかと言ったら、答えは完全にノーである。彼は唯一無二の、ラウル・ミドンの音楽を演奏している。方法論は出尽くし、オリジナリティの欠如が珍しいことでも恥ずかしいことでもなくなった今、彼のようなアーティストの登場は黒船来航以上の大事件と言ってもいい。商業音楽の世界に身を置く以上、今と同じことはいつまでも続けられないだろうし、もしかしたらバックバンドを率いる日が来るかもしれない。しかしそうした時でも、きっと彼ならばまた我々凡人の予想を遥に上回る何かを見せてくれるのではないかと期待できる。ライヴを見て、少なくともぽっと出のまぐれ当たりではないことだけは確信した。
 会場では限定のライヴアルバムが売られていて、即座に購入。去年のデビューアルバムの制作以前に録音したもののようだ。5曲しか入っていないのは残念だが、ライヴのさわりは堪能できる。この日の公演でもやっていたが「State Of Mind」のイントロを弾きながらのMCは鳥肌モンよ。日本のショップでは流通していないようなので、ライヴへ行く人はお買い忘れの無いように。