I'm back



 10日の昼過ぎ、退院した。今回の入院は検査が目的のものであることは、先に触れた通り。入院していたとはいえ、就寝中以外は床に臥しているということもなく、3日に1度程度の割で帰宅していたし、日記も何度か更新していたので、普段の生活から隔絶されたという意識は無く、従って退院したからといってそれほどの感慨も無い。
 一部の方にはご心配をお掛けしてしまったようなので、今回の入院について少しだけ説明しておく。病名は特に秘すが、私は6年ほど前から内科の疾患を抱えており、定期的に通院しながら治療を続けている。今のところ日常生活にはほとんど支障が出ておらず、外面的には健常者と変わらない。とはいえ病気であることには違いなく、現在より病状が悪化した場合はちょいとばかりやっかいなことになることが分かっている。同じ病気でも人によっては薬の服用だけで完治してしまうのだが、今使っている薬の効果は個人差が大きく、残念ながら私の場合は病状の悪化を緩和させる対処療法としての効果しか無く、質的な改善は望めないのだ。つまり現状維持はできるけれど、完治はせず、もしも病状が薬能の範囲を越えるほど悪化した場合は手の打ちようが無いということ。
 しかし医療の進歩とは大したもので、私のように既存の薬で効果が出ていない患者を対象にした新薬が開発されたのだ。開発されたと言っても新薬が厚生労働省に承認され、市販されるまでには長い長い道のりがあり、この新薬の場合、開発されたアメリカでの投薬試験がようやく終わったばかりで、日本でも間もなく投薬試験が開始されると主治医から聞かされたのが、9月の終わりのこと。投薬の対象者は既存の薬に耐性があり、つまり効き目がなく、かつ新薬の投与に問題の無い健康状態にあらねばならない。幸いにして私はその基準を満たしていたので、すぐさま試験参加の同意書を提出して試験の開始を待った。ただしその時点で私と同じように基準を満たしている患者が全国に数十人存在していたそうで、投薬に対して細かい部分で最も理想に近い状態の患者がまず3人選ばれ、投薬試験が開始された。これが10月中旬のことで、私はその3人には入れなかった。
 投薬試験は投薬量を変えながら数段階に分けて実施されるため、次の試験対象に選ばれることを期待しつつ、週1回程度通院しながら検査を受けていた。待っている間に病状が悪化したり、その他の理由で投薬できない健康状態になってしまうと困るからだ。要するに薬を飲むために体調を整えるという変な状況が続いた。
 この投薬試験は1ヶ月が1クールで、効果判定が行なわれる。最初の3人の投薬試験が開始されてから1ヶ月が経過し、そろそろ次の試験対象者の選考が行なわれるであろう時期になっても事態は進展しなかったので、さらにその次のクールまで待たねばならないかと思い始めていた11月の21日、定期の通院時に試験対象に入れるかもしれないといきなり聞かされた。正式に判明するのは翌日とのことで、22日に自宅で待っていると病院から電話があり、「24日から入院するように」と言われた。私が日本人で4人目の新薬試験対象者に選ばれたのだ。ここで話は11月23日の日記に繋がる。
 以上のような経緯での入院だったため、私に課せられた使命は新薬を服用し、ひたすら検査を受けることであった。ありていに言うと人体実験である。日本人では4人目であっても、アメリカでは200人弱の投薬試験が済んでいたので、多少のデータは蓄積されており、副作用に関しても予測されるものは聞かされていた。以前の薬でも軽い副作用はあったので、少々のことは覚悟していたが今のところ聞かされていたような副作用はいずれも起きていない。この新薬は以前の薬の改良版であって、簡単に言うとよりパワーアップしたヴァージョンである。副作用がより強く現れても不思議ではないのだが、何も起きなかったのには拍子抜け。まあ、副作用など無い方がありがたいのは当然だが。

 これがその新薬。何しろ認可前の薬なので管理は厳重で、最初の1週間は服薬時間に担当医師が持参し、時間を計りながら医師が見ている前で服用するルールになっていた。
 入院中のスケジュールは、朝7時起床。8時朝食。朝食は8時半までに食べ終え、以後2時間は水以外口に入れてはならない。10時半、薬を服用。さらに2時間絶食。12時半昼食。6時夕食。9時消灯というのが基本パターン。薬の服用時間は1分とずれてはいけないし、前後2時間の絶食も必須。このスケジュールで生活しつつ、合間に採血や心電図などの検査がある。日によってその回数は異なるが、例えば採血は多い日だと1〜2時間置きに1日7回あったりする。

 これが採血をしているところ。1日7回の採血がある日など、その度に注射器を刺していると腕が穴だらけになってしまうので、採血用の点滴針を入れておいて、そこから血を抜くのだ。
 今回の入院は検査が目的なので、薬代はもちろん、入院に掛かる費用の全ては製薬会社の負担だった。ボブ.jpなど、よくある高血圧や糖尿病などの治験ボランティアのように一般公募による試験ではないため、謝礼金こそ発生しないが、計16日間に掛かったお金を一銭も払わずに済んだのはありがたい。お陰で1日2万7000円も掛かる個室で悠々過ごすことができた。尤もこのような場合、大部屋にはまず入れないのだ。というのも入院患者は引切り無しにやって来るし、ほとんどの患者は差額ベッド代が発生しない大部屋を希望するため、基本的に大部屋に空きがあることは稀。私のように差額ベッド代が個人負担にならないケースでは個室に入るのが一般的で、製薬会社もそれを了承している。さらに新薬の試験だけに止まらず、直接は関係ない検査を実施しても製薬会社が持ってくれるということで、「せっかく入院しているんだし」と医師に言われるまま腎臓や血糖など、オプションで色々な検査も行なった。大学病院の医師というのは、医者であると同時に学者でもあるので、こうしたデータ取りには嬉々として取り組む。検査される私はその度に尿を溜めたり、余分な採血をしたりと忙しいのだった。
 前にも書いたように、入院していたのは14階の個室で眺めは素晴らしく、快適だった。凄まじく日当たりが良くて、外は10℃以下でも病室内は日中27〜28℃にもなるので、冷房を入れて欲しいぐらいだと贅沢を言ったりしていた。


 これが病室の窓から見た景色。都内の地理に詳しい人なら、この写真で病院が特定できてしまうだろう。もし分かっても他言は無用でよろしく。


 これが病院での食事。食事に関しては制限が無いので、1日2000kcalの常食を出してもらっていた。成人男性の必要なカロリーはこの程度なのだ。当然のこと栄養のバランスは取れている上に、塩分も控え目。最初の2食ぐらいは味の薄さが気になったが、すぐに慣れた。逆に2週間以上もこうしたメニューを食べていると、その辺の店で外食が出来なくなってしまう。味が濃くて食べられないのだ。普段いかに体に悪いものを食べていたかがよく分かった。出される食事以外間食もしなかったので、退院までに1.5㌔ほど体重が落ちるという効果もあった。
 1日中検査があるという日は実はそれほど多くなく、朝1回採血をしたら後は何もないという日も結構あった。そんな日は外出許可をもらって、表を歩き回った。以前の経験から2週間の入院でもずっとベッドにいると、筋肉が衰えてしまって階段の昇り降りなどができなくなってしまうことを知っていたからだ。今回は特に普段と変わらず生活できていたので、カメラを持って病院の周りをひたすら歩いた。

 上は病院近くの公園や寺の境内で撮影したもの。
 また3日に一度程度の割で自宅にも戻った。読み終えた本と、聴き終えたCDを持ち帰り、別の本とCDを取って来る必要があったためと、ヤフオクの発送業務があったからだ。ヤフオクは私にとって貴重な収入源のひとつだが、さすがに入院中は出品業務ができないので新たな出品は停止。既に出品中だった300近いアイテムも全て取り下げた。11月下旬から12月上旬は1年で最も落札が増える時期なので、ここでオークションを取り下げるのは惜しかったのだが、仕方がない。出品業務は諦めたものの、急な入院だったため入院した時点でオークションが終了していた20数人の落札者とのやりとりと落札品の発送業務が残ってしまった。これについては落札者全員に事情を説明したメールを送付、通常は入金されたら翌日までに発送しているところを、場合によっては3日ほど遅れてしまうことについて了解を取り付けた。
 外出できるのは大抵午後、せいぜい服薬後の11時ぐらいから夕食前までなので最大でも6時間程度でしかない。病院から自宅までは往復で2時間強かかるので、自宅にいられるのは4時間足らず。その間に入金のあった分を梱包し、発送。またお礼のメールなどを出すのは結構ハードだった。洗濯もしなければならないし、本やCDも選ばねばならないし。落札済みだった20数名も、皆が一度で連絡が取れ、入金してくれればありがたいのだが、実際はそうにもいかない。やれ発送方法を変更してくれだの、振込先が分からなくなったのでもう一度メールをくれだの言う人は必ず出てくるし、入金にしても毎日3〜4人ずつあるので結局退院するまでに全ての発送は終わらなかった。連絡は取れたものの、未だ入金の無い落札者が2名いるのには困っている。普段ならこうした落札者には「悪い」の評価を付けて落札品は再出品するのだが、今回はこちらの事情もあって迷惑をかけているのでそういうわけにもいかない。
 検査が多い日はもちろん外出はできない。採血は5分足らずで終わってしまうし、心電図だって所要時間は10分程度のものだ。検査と検査の間の1〜2時間は病室で待機するだけであって、思った通り暇だった。夜だって消灯は9時なのだが、普段午前1時ぐらいまでは平気で起きている私が、そんな時間に眠れるはずがない。個室だったお陰で、毎晩12時過ぎまで本を読んだり、CDを聴いたりしていた。

 上はその暇を解消してくれたアイテムたち。入院と言えば面雀だね。今回も暇に任せて面雀夢(牌)の新作を500枚ほど作った。夢(牌)に筆を走らせている時に病室に入ってきた看護婦に「それ何ですか?」と聞かれる度に、面雀の面白さ、素晴らしさを説明してやったのだが、大抵はアホかという目で見られた。
 暇な時間は沢山あったものの、各種暇潰しアイテムのお陰で退屈するということはなかった。テレビは普段からあまり見ないので、病室でも普段通り。念のため時々スイッチは入れたのだが、面白いと思う番組は皆無に等しく、ニュース以外でまともに見た番組はほとんど無かった。辛うじての例外はMXテレビが映ったので、「談志・陳平の言いたい放だい」が見られたのは良かった。自宅ではMXテレビは入らないのだ。後はMovie Plusという映画専門のCS放送が見られたのも収穫。マイナーなチャンネルなので、新聞にも番組表が載っておらず、何時から何の映画が放送されるのか分からなかったため、たまたまスイッチを入れた時に放送していたものしか見られなかったが、それでも退院までに「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」「パーマネント・バケーション」など数本の映画が楽しめた。
 この2週間は入院と言っても、検査のための軟禁に近いものだ。自分の病気の治療効果への期待はもちろんあるが、新薬承認へ向けてデータを提供できた満足も大きい。現在日本以外でもヨーロッパ、アジアの数カ国で同様の投薬試験が行なわれており、そこで得られたデータは何故かシンガポールに集められて解析されている。私の検査結果は日本人に投薬した貴重なデータとして生かされるはずだ。新薬は今も服用を続けており、私自身への効果判定は投薬開始から1ヶ月後の精密検査を待たねばならない。結果が出るのは年明けの予定。
 この薬が厚生労働省の認可を受けて、市販されるのは早ければ2007年だそう。通常は投薬試験から認可まで5〜6年掛かるので、これでも驚異的に早いスケジュールであって、それはこの薬に期待されている効果が大きいことを意味する。医療の発展に貢献できただけでも、生まれてきたかいがあったというものだ。入院期間は働けなかったので、経済的な不安は増したものの、選ばれし者にしかできない役割を果たしたという自負はある。

 左は入院3日目に撮影したもの。右は退院した日に別角度から撮った同じイチョウの木。この写真によって、葉が落ちるまでの期間の得難い経験を記憶に留めておきたい。男性読者からは「看護婦タンの写真はないのか」という声が聞こえてきそうだが、残念でした。あるにはあるが、彼女達の肖像権を考慮して公表は控えさせていただく。私だけの楽しみだもんね。