Live Aid [DVD] [Import]
Live Aid DVD
 2週間前に届いていたライヴ・エイドのDVDをようやく開封。私はアメリカ版を、Amazon.comから購入。たったの$28!送料が$17ぐらいはかかったものの、他に注文した数点のCD、書籍を含めての送料なので割安だった。日本のアマゾンでも今なら4,320円で買えますね。日本版DVDは初回限定分でも7,992円、アマゾン以外の一般の店なら9,990円もする。いつも思うが、この価格差はどこから来るのだろう。リージョンコードによって市場が保護されているのをいいことに、企業努力を怠っているとしか思えないのだが。消費者としてはリージョンフリーのプレイヤーで対抗するしかあるまい。
 アメリカ版はリージョンコード1なので、一般的な日本のプレイヤーでは再生不可能。でも日本語字幕入りなので、リージョンフリーのプレイヤーを持っている人はアメリカ版を買いましょう。リージョンフリーのプレイヤーを持っていない人もこれを機に買い替えられたらいかがでしょう。ソフトの価格差で充分買えてしまうし、音楽ソフトに関しては日本発売されないタイトルも多いので。
 今disc2までは見たところ。これでもトータルで4時間以上。以下だらだらと感想。
 オープニングはエチオピアの惨状を伝えるニュース映像。当時放送されたニュース番組をそのまま収録しており、生々しく、思わず目を背けたくなる内容だ。当時私はこれを見た記憶は無い。日本でも放送されたことはあるのだろうか。これを見たボブ・ゲルドフが他のミュージシャンに呼びかけ、チャリティーのレコードを制作したことが全ての始まり。
 続いて84年10月に行われたバンド・エイドのレコーディング風景。これはそのままプロモーション・クリップにもなったはず。当時は免疫があったから何とも思わなかったが、今見るとボーイ・ジョージは気持ち悪い。その他、当たり前のことだがみんな若いなあ。万年青年みたいなポール・ウェラーも、さすがに20年前ともなると肌のつやが違う。デュラン・デュランフィル・コリンズや、みんな和気藹々と楽しそうだ。リード・ヴォーカルの無いバナナラマのメンバーが、コーラス録りの時は最前中央に並んでいるのは見栄えを考慮したためだろう。他は皆男性アーティストで、イギリス勢はむさくるしい。
 翌年1月に行われたUSA・フォー・アフリカのレコーディングの模様が次に。これもプロモ・クリップそのままだ。このセッションの模様は確か1時間ぐらいのドキュメンタリー映像として残っているはずで、当時テレビで放送されたのを見た記憶があるし、ソフトとしても発売されていたと思う。イギリス勢の成果を受けてのアメリカ版だったので、バンド・エイドと比較すると作りは入念で、計算が行き届いている。リード・ヴォーカル担当の割り振り、カメラアングルなどもあらかじめ決められた進行通り行われている印象を受ける。割とラフな出で立ちの人が多い中、マイケル・ジャクソンだけは完全にステージ衣装であり、彼のリード・パートの部分はつま先から顔までをなめるカットなのだが、明らかに特殊フィルターを装着したカメラで撮られている。既に「スリラー」以降なので常人の域を脱し始めていた頃ではある。顔の造形はまだ人間だが。
 イギリス勢は顔は覚えていても「あ、これはデュラン・デュランの…誰だっけ?」とか名前が出てこない人がいたのだが、アメリカ勢は全員スラスラ出てきた私は何なのだろう。アル・ジャロウとかキム・カーンズとか、それこそ20年ぶりぐらいに見た人をしっかり覚えていたことに軽いショックを覚えた。
 その当時一線にいた若手中心だったイギリスに対し、アメリカはベテランも登用していた点でバランスを重視したことが分かる。ハリー・ベラフォンテまでいるんだもんな。またコーラス・パートを録っている中にちゃんとディランが並んでいるのには驚いた。しかし一人だけ憮然としているので逆に目立つ。確かリードを歌う時にディランはメロディーが掴めなくて、スティーヴィー・ワンダーが歌唱指導した結果あのような歌い方になったのだったと記憶する。ドキュメンタリーにはそのシーンも含まれていて、スティーヴィーの歌い方がディラン以上にディラン風で笑ったのを思い出した。
 そしていよいよ85年7月13日、ライヴ・エイドのパートへ。当時高校生だった私はリアルタイムで見ていたので、見ながら何度も「懐かしい」を連発してしまった。それだけおっさんになってしまったのだ。
 全出演者について詳述していると大変なことになるので、気が付いたところだけパッ、パッと。

スタイル・カウンシル

若い。バンド・エイドの映像でも思ったが、この若さはどうだ。ポール・ウェラーはまだ26ぐらいのはず。スタイル・カウンシルはジャムに比べると落ち着いた演奏をしていたとばかり思っていたが、ここでの演奏は実にアグレッシヴでカッコイイ。ミック・タルボットなんか終始オルガンを揺さぶりながら弾いている。演奏自体も上手い。ミックスの加減なのか、コーラスのD.C.リーの声がよく聴こえないことだけ残念だ。この前日は私の18歳の誕生日であって、なけなしの小遣いをはたいて「Walls Come Tumbling Down」の12インチを地元のユニーの中にあったレコード屋で買ったのだった。その曲を演奏してくれて感激したのが昨日の事のよう。その時の12インチはこの春、お金に困って売っちゃいました(^^)v

ブームタウン・ラッツ

もの凄い気迫が伝わる演奏。当時も感動した覚えがあるが、今見てもそれは衰えていない。ボブ・ゲルドフはエイド・プロジェクトの首謀者としてミュージシャン以外の部分がクローズアップされることが多く、確か「ノーベル平和賞の候補に」なんて声もあったはずだ。それが彼の音楽活動において良かったとはとても思えないが、少なくともこの日ボブ・ゲルドフは一世一代の名演をやってのけたと言えよう。ステージに現れただけで観客から凄まじい喝采を浴び、メンバーもこの大観衆を前に緊張していたのだろう、そもそも技術的には大したことの無いバンドである。1曲目の「哀愁のマンデイ」のイントロを走り気味にスタートしてしまうのだが、それを修正しようと、ボブ・ゲルドフはわざとゆっくり歌いだす。彼だけは腹が座っていたのだなあ。
途中ゲルドフは「I just realized today is the best day of my life」と言っている。皮肉なことにブームタウン・ラッツにとってこれが最後のライヴになった。ベースのジョニー・フィンガーズは日本に渡り、一時忌野清志郎のバンドに加入していたが、今はどうしているのだろう。SMASHで働いてるのかな。
この日は「Rat Trap」も演奏されたはずだが、収録されなかったのは残念。

エルヴィス・コステロ

83年に『Punch The Clock』で出会い、レコードでは聴いていたし、ベストヒットUSAなどでビデオ・クリップを見たこともあったが、ライヴ演奏はこの時初めて見た。無論、この2週間前に東京で行われた来日公演は見ていない。田舎に住む高校生には、東京までライヴを見に行こうなどという発想自体が無かった。仮に発想はあったとしても、お金が無かっただろうなあ。
赤いストラト1本で「愛こそはすべて」を歌う意味は、当時としてはよく理解できなかった。「オリジナルをやればいいのに」と高校生は思ったりしたのだ。世界中に中継されているのだから、ここぞとばかりプロモーションに走った出演者も多かった中、あえてベタベタなメッセージ・ソングを歌うことでこのイベントの本来の主旨を確認することと、実態との遊離を訴えたかったのだろうなと今なら思う。当時日本で放送された時にはカットされていた登場シーンも収録されおり、司会者のアナウンスだけで結構な歓声が上がっているのが確認できる。スターだったのね。またエルヴィスは「イギリス北部のフォークソングだ」と紹介してから歌い出している。イギリス北部とはリバプールのことを指すのだろうが、こういう遠まわしで皮肉的な表現は今も昔も変わらない(笑)。

スティング

当時既に「ハゲてきたなぁ〜」と思っていたが、今見るとそうでもない。ちょうど『Dream Of The Blue Turtles』が出たばかりで、ポリスは解散状態だったから、どういう演奏になるのだろうと思っていたら、サックスのブランフォード・マルサリスだけをバックに自分はギターを弾きながら歌ったのには驚いた記憶がある。「スティングってベーシストなのにギターも弾くのか」と無知な高校生は思ったのだ。ブランフォード・マルサリスもその時初めて知ったのではなかったかな。
途中フィル・コリンズが出てくるシーンはよく覚えている。「仲がいいんだな」などと思ったりしたものだ。コリンズが「Against All Odds」を弾き語る間、スティングはステージ脇に腰を下ろしてずっと待っていたから余計にそう思ったのだろう。この時「孤独のメッセージ」も演奏したはずだが、未収録。詞の内容を考えるとチャリティー・イベントの不毛を歌っているようでもあり、収録して欲しかった気もする。あれはフィル・コリンズと共演だったか、どうだったか。

ブライアン・フェリー

今見ると見苦しいね。いきなり新曲の「Slave To Love」をやっちゃうあたり、エルヴィス・コステロと真逆のベクトルを向いていたということだ。ギターが3人(うち1人はデイヴ・ギルモア)もいたり、必要以上にゴージャスだし。ヴォーカル・マイクを2本持って歌っているのも意味不明。音楽的には嫌いではなくても、こういう部分を見せられると興醒め。

U2

最高。当時より今の方が感動は大きい。ストレートで熱血漢丸出しだったボノの凄さを、当時の私は受け付けなかったのだ。故にU2はあまり好きではなかった。少し斜に構えているぐらいがカッコイイと思っていたのだな。嫌な高校生だな。
しかし今見ると正視に耐えられないほどエモーショナルなパフォーマンスにはただ圧倒される。ま、眩しいっ!!これだけの根性入った演奏は、ポーズでできるものではないし、全く照れが無いことからも、確信の上に成り立っていることがわかる。多分当時の私はボノの目が怖くて見れなかったのだと思う。今なら…、いや、「若いねぇ」で済ませてしまう嫌なオヤジか。
「Sunday Bloody Sunday」の演奏はよく覚えているが、「Bad」は日本では最後まで放送されなかったのではないか。途中でカットされてCMに入ったような気がする。後半の「Ruby Tuesday」「Sympathy For The Devil」「Walk On Wild Side」のメドレーでそれに気付いた。

ビーチ・ボーイズ

やっとdisc2か。当時は気付かなかったが、ブライアン・ウィルソンも出演していたのだ。私の記憶の中ではこの時のビーチ・ボーイズは、マイク・ラヴとアル・ジャーディンのあまりの老けように驚いたことと、演奏がヨレヨレだったことしか覚えていなかった。しかし、今見ると言うほどひどい演奏ではない。風貌は確かに実年齢以上に老けて見えるものの、今となってはそれでもまだ大丈夫そう。髭に白髪が混じっているのは何とも言えないものの、カールも元気だ。ドラムはデニスではないようだ。この頃ってもう亡くなっていたんだっけ?

ダイア・ストレイツ

これも懐かしい。私はこの時初めてこのバンドを知った。日本では人気がなかったから、露出も少なかったし。直後に英米でナンバーワン・ヒットとなる「Money For Nothing」をスティングとデュエットしていて、「そんな大御所なの?」と思った記憶がある。登場時期の割には古臭い音楽をやっていて、若者に受けそうな要素は少ない。マーク・ノップラーなんてこの時点で髪がかなり怪しくなってるし。今回初めて気付いたのは、この時すでにドラムはテリー・ウィリアムス(ex:Rockpileでありex:Man)が担当しており、彼がライヴ・エイドに出演していたことはパブ・ロック史に残されるべき快挙であろう。

ジョージ・サラグッド

これは日本では放送されなかったはず。渋い。このバンドも日本ではあまり人気がなかった。しかし既にストーンズの前座を務めていたし、アメリカでは人気、知名度ともかなりのものがあったはずだ。アリゲーターのTシャツを着たアルバート・コリンズを招いての「Madison Blues」はお手の物といった感じで、引き込まれる。80年代半ばにもこういうブルース主体のロック・バンドが活躍していたアメリカの懐の深さを感じる。ファビュラス・サンダーバーズがトップ10ヒットを放ったのもこのころだったよなあ。

クイーン

私はこの2ヶ月前に行われたクイーンにとって最後の日本ツアーを名古屋で見ている。初めて見た外タレであった。その時点でメンバー間の人間関係は最悪で、解散もやむを得ないとメンバー自身も感じており、日本ツアーで有終の美を飾るつもりでいた。しかし解散を表明する前にライヴ・エイドからの要請を受け、出演したところ、本人達が思った以上に素晴らしい出来となり、メンバーはステージが終わった後スタジオに直行。活動を再開させようと決意したというのは有名な話。クイーンの歴史においてもエポックとなったパフォーマンスなのだ。
観客の反応がとにかく凄まじい。日が落ちる前の時間帯だったことも幸いした。日没以降だったら、ほとんどマス・ゲームと言っていい一体化した観客の反応はカメラには収められなかっただろう。当時イギリスでのクイーンの人気は決して高くなかったはずだが、地道にロングセラーを続けていた『Works』はライヴ・エイドの後再びチャートを上昇する異常事態が起きた。確かにそれに相応しいだけのパフォーマンスで、フレディの華麗な動きはSMの女王様と同種の威厳に満ちたもので、満員の会場を制圧している。2ヶ月前の演奏と比較してそれほど違いがあるとは記憶していない。メンバー間の仲がギクシャクしていようが、このくらいの演奏はできてしまうバンドだったのだと思う。ライヴ・エイド後のイギリスでのクイーンの再評価の声を聞くたびに「気付くの遅いよ、イギリス人」と高校生の私は不遜にも思っていた。

デヴィッド・ボウイ

この頃流行っていた髪形は、前髪を上げるか、せいぜい眉上ぐらいで下ろし、後ろは肩まで伸ばすという、今となっては失笑もののスタイルで、ボノもポール・ヤングもハワード・ジョーンズも、みんなこの髪型だ。そこへ行くとボウイはさすが流行の先を行っており、リーゼントの変形で襟足は短く、今見てもお洒落。選曲もベストヒットで、与えられた役割を自覚している。85年というと『Tonight』の後であって、カリスマ性に翳りの見えていた時期ではあるものの、やはり腐ってもボウイだ。キーボードがトーマス・ドルビーだったのは知らなかった。

ジョーン・バエズ

日本ではフィラデルフィア会場からのオープニングとして映像が流れたはずだが、実際はかなり後だったのだ。1人で登場して「これは現代のウッドストックです」なんて嬉しそうにコメントしちゃって、アカペラで「Amazing Grace」を歌いだすのだが、「何、このオバサン」という感じで観客は白けている。しばらく歌い続けながらも、さすがに受けていないことに気付き、バエズは「皆さん、歌ってください」などと悲痛な訴えを起こすも、観客には聞き入れられず。ついには半ばキレぎみに「We Are The World」を歌いだすという暴挙に出る。以上は私が当時見た記憶だが、DVDには機嫌良く「Amazing Grace」を歌う途中までしか収録されていない。

ザ・フー

日本で放送された「My Generation」は途中トラブルが発生して映像、音声ともに切れていた。確かスタッフがケーブルを踏んづけたためという学園祭並みのお粗末な理由によるものだったと記憶する。ということで「My Generation」はDVDに未収録。代わりに日本では放送されなかった(はずの)「Love Reign Over Me」と「Won't Get Fooled Again」が入っている。私とフーの出会いは、83年頃に聴いた『カンボジア難民救済コンサート』のライヴ盤が最初で、その後『Who's Last』も聴いた。だがこれらは決して彼らの真の姿を伝えていないことは、多くのファンが認めるところだろう。私は「大したことないんだな」と思い、当時好きだったビートルズストーンズキンクスと比べると格下のバンドという位置づけをしてしまっていた。その後20歳ぐらいになってようやく『Leeds』や『Next』を聴き、さらに『Kids Are Alright』のビデオを見せてもらってからは、その認識が大変な誤解だったことに気付くのである。出会いというのは重要なのだ。もしこの時、ブツ切れの「My Generation」ではなく、「Love Reign Over Me」「Won't Get Fooled Again」がちゃんと放送されていたら、私のフーに対する認識はもっと早く変更されていたはずだ。

エルトン・ジョン

この頃には夏のロンドンも日が沈み、大団円に向かっている雰囲気が伝わってくる。国民的スターであるエルトンならではの豪華なステージ。この人はそれが嫌味にならないからいい。そういえばキキ・ディーはこの時初めて動く姿を見て、それっきりだなあ。「Don't Let The Sun Go Down On Me」を歌うためにジョージ・マイケルが出てきたのはよく覚えていたが、同時にアンドリュー・リッジリーも出ていたことは今回見るまですっかり忘れていた。ワム!としての共演だったのか。しかしこの時点で2人の扱いの違いは物悲しい。アンドリューはコーラスを担当しているものの、全く力になっていないし、期待されてもいない。

 適当に書くつもりだったのに、結局3時間以上かかってしまった。orz これでもまだ半分しか見てないんだよなあ。