Johnny Ramone逝去
今日はやけに「ジョニー・ラモーン」の検索ワードでここへ来る人が多いので、まさかと思ってオフィシャルを見たら…。



































6月には末期がんであることが伝えられていたので、こういう日が近いうちに来ることは覚悟していたとはいえ、現実のものとなると凹む。
情けないことに、私はラモーンズをただの1度しか見ていない。88年の中野サンプラザ公演がそれで、ドラムにマーキーが復帰した頃だったと思う。丁度バンドブームが華やかだった時代で、前座でアンジーが出たのを覚えている。オープニングアクトは本来場を盛り上げる役割も担っているはずだが、その日の会場は凍りついたように静かだった。それはアンジーにだけ責任があるのではなく、「これからラモーンズが出てくる」という過度の期待に満員の観客が緊張していたせいもある。その当時バンドブーム下に登場したほとんどのバンドがこぞってラモーンズをリスペクトしていたこともあって、既にラモーンズは神格化されていた。おまけに8年ぶり2回目の来日だったので初めて見るファンも多かったはずだ。ライヴを楽しむというよりは、ご託宣を受けるがごとく神妙な面持ちでラモーンズの登場を待っていたのだ。
実際にステージに現れたメンバーは、サンプラザを埋めた観客を威圧する迫力があった。のっしのっしと中央まで歩いてきて、おもむろに演奏を始める。愛想などかけらもなく、ただとんでもない爆音で、なぎ倒すように曲を次から次へと繰り出していった。噂には聞いていたが、目の当たりにしたラモーンズは全てが予測の範囲を超えていた。当時の私の感覚では、「カッコイイ」より「何だこりゃ」という印象の方が強かった。
もちろんライヴ盤を含めてラモーンズのレコードはそれまでに何枚も聴いていたのだが、本物のラモーンズはそんな生易しいものではなかった。ダイレクトに反応できなかったのは、ひとえに当時の私の音楽的許容量を超えていたからだろう。決して私だけが鈍かったのではなく、多くの客が唖然と立ち尽くしていたことが証明するように、楽しむ以前にカルチャーショックを味わっていたのだと思う。盛り上がらない観客にメンバーが苛立っていたのは後半特に顕著であって、最後にはジョーイが「明日会おう!」と言い放ち、憎々しげにマイクをステージに叩き付けたのを覚えている。ライヴが終わってからも2日ほど耳の中がキーンと鳴り放しで、頭の中ではその衝撃を反芻し続けた。私はラモーンズを見た。確かに見たのだが、あれは一体何だったのだろうと。
あの日見たラモーンズの4分の3はもう故人なのだな。ステージの光景として一番記憶に残っているのは伏し目がちに黙々とギターを弾いていたジョニーの姿だ。5列目ぐらいのジョニー側だったことも関係あるかもしれない。どう見ても怒っている様子で、客の方を見ないし、メンバーとも目を合わせていなかった。2〜3度こちらを見た(というよりじろりと睨んだ)時には手を振ったりしたのだが、全く無反応のまま、さもつまらないという様子でまた目を伏せてギターを弾き続けていた。
生涯一ラモーンとでも言おうか、ラモーンズの活動中はもちろん、解散後もソロ活動というものをほとんど行わなかったのがジョニーだ。野球が好きで、アメコミが好きで、曲はあまり書かなかったけれど、ラモーンズにおけるキャラクター面ではジョニーが最も貢献していると言える。ラモーンズ加入を決心してからディーディーに連れられてギターを買いに行ったという最高のエピソードを持つ男。コードのカッティングが主体のスタイルはそうした経歴と、ザ・フーの熱心なファンであったことの両方が影響しているのだろう。結果的にはそのサウンドがロンドンに飛び火してパンク・ムーヴメントが起きる。その偉大さを間近で見たときに理解できなかった自分の愚かさを呪いつつ、何故もう一度見ておかなかったのかと悔やむばかりだ。その後悔は永久に消えることはないのだ。
ジョニー、安らかに。ご冥福をお祈りします。