Alaya Vijana@渋谷CLUB QUATTRO



開演の15分ほど前に到着したのに、まだフロアはガラガラ。全部で200人もいないだろう。難なく前から5人目ぐらいの中央まで辿りつく。開演してからも300人いたかどうか…。個人的な目当てはゲストヴォーカルのUAが7割、Alaya Vijanaとしては残りの3割という感じ。この動員からすると私のような客は少数派か?UAの単独公演だったらクアトロのチケットなんて絶対取れないだろうからな。
オープニングアクトとして登場したのは灰野敬二とYoshida Daikitiによるセッション。灰野さんは10年以上ぶりに見たけど変わってないなー。ギターは弾かず、アナログシンセ?と思われる機材やテルミンをオペレートしながらノイズを響かせ、時々フルートを吹いたり詩を朗読したり。そこにYoshida Daikitiがシタールを被せるスタイルで、完全に即興であるのはともかく、ほとんど起伏が無いのでセッションとしての妙は感じられず。主導権を握っているのは灰野敬二で、Yoshida Daikitiは申し訳程度に音を出していた印象。う〜む、この展開の無さが40分も続いたのは正直辛かった。
続いて本編のAlaya Vijanaは、Yoshida Daikitiのシタールに加え、ドラム、パーカッションが2名、タブラ、ギター、ラップトップが各1名、それにヴォーカルのUAという編成。先日発売されたAlaya Vijanaのアルバムは未聴ながら、ASA-CHANG&巡礼のメンバーが参加している点とこの編成、さらに『泥棒』以降のUAの方向性を考えればある程度予想はついた。その予想を上回るマジックを期待していた訳だが、それは叶わなかったと言える。Alaya Vijanaのコンセプトは「テクノ、ノイズ、ミニマル、現代音楽、民族音楽を消化・通過後に生まれた新世代の子守唄」だそうなので従来のポップ・ミュージックとは立脚点からが違うのは明らかで、コンセプトの達成度合いだけを評価すれば100点を付けても良いかもしれない。確かにテクノやノイズ、民族音楽など謳われた要素は全て感じられたし、消化もされていたように思う。問題はその結果表現されたものが面白いかどうかである。端的に言えば私の予想を越えるものではなかったのだ。
Alaya Vijanaには音楽的な意味でのリーダーが存在しない。それぞれのメンバーが平均的に役割をこなしているのでバランスは取れており、それ故先鋭的な音楽にありがちな敷居の高さは感じられなかった。聴きやすいと言えば聴きやすいのだろう。「子守唄」というコンセプトの前ではそれも必要なことだったのかもしれない。ただし客を前にしての演奏の場合ある程度のグルーヴを要求したいのは当然であって、グルーヴを生むためには求心力となる存在感とそれに従うプレイヤーがいなければならないのだが、Alaya Vijanaにはそれが欠けていたように思う。尤もグルーヴを感じさせる瞬間は全く無かったのではなく、YUKIO SEGAWAのタブラのソロなどにトランスに近い盛り上がりがあったり、エンディングでマイルス・デイヴィスの『ON THE CORNER』ばりのカオスが発生したりもした。それ以外の大部分においては各メンバーが主張しないよう努めていたかのようで、それが逆に演奏の面白みを削いでいた。個人的にUAのファンだということを差し引いて、公平に見てももう少しUAは派手に歌っても良かったと思う。
この日最も面白かったのは、セットチェンジの間30分ほど流れていたBGMだ。インド音楽中心のDJで、いつ次の曲に変わったのかつなぎ目が全然分からないプレイは新鮮だった。インド音楽ってリズムパターンが同じなのか。