忌野清志郎@調布グリーンホール



私が中学に入ったころには既に髪を逆立てて化粧して「イエ〜、ベイベェ〜」とか言いながら飛び跳ねていた清志郎である。中年と言われても言い返せないこの歳になって、「雨上がり」や「キモチE」を歌う清志郎を観に行くなんて、冷静に考えたらとんでもないことだ。私が20数年歳を重ねたということは、当然清志郎だって同じだけ歳を取っていて、普通の会社員ならとっくに管理職になってリストラに怯える昨今だろうし、折角大学まで出した息子や娘は就職先も無くて穀潰し同然のフリーターで、老後の面倒は誰が見てくれるんだよと不安におののく年齢である。そんなオヤジが「♪いつものようにキめて ぶっ飛ばそうぜ〜」と臆面も無くシャウトできるのは、曲に込められたメッセージが今も有効であることと、書いた時と同じ精神を持って表現しているからに他ならない。

久しぶりのソロ名義でのアルバムを発売し全国ツアーを敢行している清志郎の今を象徴するキーワードは、よく言われるように「原点回帰」だ。この1〜2年の奇をてらったようなサイド・プロジェクトの反動なのか、新作はオーソドックスなバンド・サウンドであり、ツアーバンドの構成も9月に野音で見たのと同じ(ただし面子に一部変更があり、キーボードは元バウワウの厚見玲衣、アルトサックスには梅津和時が)で80年代のRCサクセションと同じ編成である。先に触れた通り選曲もRC時代の代表曲が目白押しで、「SWEET SOUL MUSIC」「ダーリン・ミシン」「エンジェル」「スロー・バラード」「恐るべきジェネレーションの違い」「ドカドカうるさいR&Rバンド」などなど、かつてのライヴでの重要なレパートリーを惜しげもなく披露。最新作『KING』からやその他のソロ作品からももちろん沢山演奏されたが、ファンでなくてもお馴染みの曲ばかりで半分近くを占めていたのは恐らくRC解散後初のこと。そもそもハンドマイクでステージ上を動き回りながら歌う清志郎を見たのは本当に久しぶりだ。こうした構成になったことは、多分にファンサービスの意味があるのだろうが、決して追憶に終始するナツメロショーになっていないのは、清志郎が往年の名曲にすがっている様子がまるで無く、むしろほんの昨日書かれた曲のようにさり気なく歌っていたことからも明らかだ。

清志郎が書く曲のテーマは今も昔もあまり変わらない。主人公は常に清志郎本人であり、周囲や世の中全体に対する、或いは恋愛の場面における疎外感や孤独感を訴え、それでも俺は正しいと無垢な自信を表明する曲が多い。10代の頃ならともかく、一般にはそうした感受性は歳とともに鈍ってくるもので、いつの間にか妥協することを覚え、なるべく角を立てないように自己主張も控え目になるのが普通だ。それが大人になるということだとすれば、清志郎はいい歳をして全然大人ではない。しかし「♪どうしたんだ ヘイヘイ、ベイベェ」と目の前で歌われると、そんな濁った目をした大人になることが果して望んだ結果だとはとても言えなくなり、如何に汚れてしまったかを知らされるのである。実年齢で20歳近く離れているのに、中学生の頃はちょっと怖い大人だと思っていた清志郎が今の自分より若々しいという恐るべき事実。応えたなあ、これは。

アンコール2回を含めて2時間40分、最初から最後までシャウトし通し(この人はバラードでも叫ぶからね)だったのに喉の衰えも全く感じさせず、大量のエネルギーを放出したライヴは圧巻の一語。途中「花はどこへいったの」〜「自衛隊に入ろう」のメドレーまでやったりしたので、出自がフォークであることを確認すると同時に、音楽へ向かう理由がいつでも現在進行形であることも嫌というほど分からせてもらった。長年のファンとして大好きな名曲が数多く聴けたことに対する感動や喜びはもちろんあったものの、自分の来し方や今後の身の振り方を考えさせられるような複雑な気分になるライヴだった。