涼しいというより寒い。おまけに朝から土砂降り。こんなに肌寒い終戦記念日って記憶する限り初めてだ。いつも通り出勤。私の勤務先は盆休みという全社的な休みは無い代わりに7〜9月の任意の時期に夏休みが取れるという話は前にも書いた。お陰でフジロックにも毎年通えるし、考えようによっては便利な制度である。ただ年配の社員や家族持ちはどうしても盆の時期に休みを取る人が多いので、この時期は人手が足らなくて盆に休まない人は結構ハードなのだ。


それを何とかやり繰りして午後から有給を取って定期の痛飲、もとい通院。こんな時期だから空いてるかと思いきや、案外そうでもない。診察まで1時間半、会計と薬を出してもらうのに30分の待ち時間はだいたいいつもと同じ。待ってる間に清水義範著「行儀よくしろ。」(ちくま新書)を半分ほど読む。これは小説ではなく評論書であって、教育における現状や問題を述べ、教育とはどうあるべきかを論じた内容。マスコミが騒ぐような学級崩壊や学力低下の問題はただ現状を嘆き、危機感を煽ることに終始したものが多いが、教育大学出身で現職の教師など教育関係者にも通じている著者の論点はもっと教育現場の環境面を考慮し、現実的な視点で問題点を明らかにしている。「教師とは学業を教えることが職業であり、それ以上のことを期待してはいけない」「大半の教職者は社会との接点が他の職業に比べて少なく、概して世間知らずである」などの持論を具体例を挙げながら分かりやすく展開しており、説得力がある。また「子供は大人を見て育つ」のであり、「今の子供を作り上げたのは紛れもなく今の大人である」という認識にも共感を覚えた。特にマスコミは現代の子供たちをまるでエイリアンか何かのように特殊な生き物として扱い、現在起きている学級崩壊などをヒステリックに取り上げることで教育が悪いのだと喧伝するが、責任を何かに押し付けたところで問題の解決には直結しない。教育も家庭も含めて我々大人(もちろん私も含まれる)が生み出したのだという認識を持つことからしか解決の糸口は見えてこないのだ。


ただそこから先がどう展開するのかは、まだ読んでいないのでわからない。「だからここはこうしましょう」という解決へ向けての提案だとしたら安易な気がする。ましてや「昔はこうだったから、それを思い出してまたこうするべきだ」なんて論理だとしたら幻滅。現状において未来を担う子供たちに問題が無いなんて絶対に思わないが、成長期、繁栄期を過ぎて衰退期に入りつつある日本という国(この点は筆者も指摘している)の今後を考えると解決が容易でないことだけは分かる。社会システムを根底からひっくり返すような画期的な変化が無い限り、対処療法でお茶を濁すことしかできないように思う。この部分は完全に私の意見。


帰宅したら早速続きを読みたいところではあったのだが、今の私にはそれは許されないこと。相変わらず原稿書きです。