中身は無くてもイメージがあればいい



 鳩山辞任で持ちきりだった本日。久しぶりにテレビを見倒した。
 辞任表明があったのは午前10時頃で、平日の午前中ということもあって辞任表明演説の全てを見た人は多くないのかもしれない。NHKが今日の民主党両院議員総会での辞任表明演説の全貌をYouTubeにアップしているので、見ていないのであれば一度見た方がいい。20分に及ぶが、見る価値はあると言っておく。

 ニュースなどの報道で一部しか見ていなかった人は、全体を見て印象が変わったのではないだろうか。私自身、正直なところこれで鳩山首相を少なからず見直した。これだけのビジョンと志を持った人だとは思っていなかったのだ。在任中で最も評価できる演説だったのではないかと思うほどだ。
 しかしだからこそ何故今辞めることにしたのか、理解に苦しむ。これだけの意思を持っていたのであれば、就任からたった9ヶ月で総理の座を辞すのは無責任と言われても仕方あるまい。普天間問題でのゴタゴタを筆頭に批判の材料は多々あろうとも、方向性が間違っていないとの認識があるのであれば堂々としているべきである。また国民の理解を得るための努力をするべきである。7月に予定される参議院選挙において国民に鳩山内閣の信を問うのが本来のあり方で、仮に選挙に敗れたとしたら、その時辞めればよかったのではないか。
 冷静かつ客観的に見れば、このままの体制で参院選に臨んでも敗退する公算が強かったから辞めざるを得なかったのだろう。仮に参院選で民主の議席過半数を割ってしまえば衆院との間でねじれ状態が起き、法案を通すことが難しくなるわけで、政権担当政党としてそれを避けたかったのは無理もない。その点では賢明な判断と言えるかもしれない。
 私はこの矛盾にこそ問題の本質が現れているような気がしてならない。与党として、総理としての信条や理念が全うされるのを待たず、期待しただけの仕事をしていないと見るやたちまち袋叩きに遭うの現状に問題があるのだ。そもそも民主党政権にそんなに期待する方がおかしくないだろうか。
 昨年民主党政権が誕生した時、劇的な変化だと言われはしたが、実際のところ劇的でも何でもなかった。自民党が勝手に朽ちていっただけで、民主は棚ボタ的に政権を取っただけなのだ。他にお鉢を持っていく先が無かった結果、民主政権が誕生したに過ぎないと私は思っている。その棚ボタを引き起こした原因は、国民の身勝手な期待だ。自民には任せておけないから、民主なら何とかしてくれると特に根拠も無いのに民主に票を投じた有権者が多かった。それに尽きる。
 この「特に根拠も無いのに」というのがやっかいな奴で、05年の総選挙で「郵政民営化」のお題目を疑いもせず、効果もよく分からないのに小泉を信任したのも同じ勢力だ。イメージ、雰囲気を優先し、何だか良さそうな気がするというだけで貴重な1票を投じてしまう国民が多く、政治家はその勢力に支持されるよう対応しなければならない。
 毎年首相が代わり、混迷する政局を招いているのは他ならぬ国民だということにそろそろ気付いてもいいのではないか。中にはマスメディアが煽っているという意見もあるかもしれない。しかし新聞にしろテレビにしろ、商業メディアである以上、国民が読まなければ、視聴しなければ方針を変えざるを得ないのだから、扇情的短絡的メディアには国民がノーを突きつければ済む話だ。自戒を込めて言うけれど、政局や選挙のための政治は政治ではないことを肝に銘じ、事の本質を問う政治のあり方を考えなければ、この閉塞した世の中はいつまでたっても打開できないだろう。