Rickie Lee Jones@渋谷Club Quattro



 朝いつものようにバラカン・モーニングを聴いていたら、この日渋谷クアトロでリッキー・リー・ジョーンズの単独公演があることを知る。Green Room Festivalという野外フェスに出演するため来日するのは知っていたけれど、単独もあったとは。
 慌ててネットで検索したら当日券が発売されることが分かったので、即座に行くことを決める。しかしリッキー・リーほどのミュージシャンで、クアトロが完売しないなんて。プロモーションが足らないのではないか。その証拠にピーター・バラカン氏も単独公演があることは知らなかったらしい。そのお陰で見に行くことができたのだが。
 会場で無事当日券を手に入れ、開演の45分ぐらい前には入場。前売りを買った人より後に入ったのに、最前から4〜5人目の位置を確保できた。90年に新宿厚生年金会館の2列目で見たことがあるが、今日はそれよりもずっとステージに近い。嬉しいような寂しいような。
 定刻になり、ステージに現れたリッキーの歳相応に変化した風貌に一瞬ひるむ。しかしそれも単なる杞憂だった。スピーカーを通じて聴こえてきた歌声は全く衰えを感じさせなかったからだ。オープニング曲は「It Must Be Love」。
 リッキーがアコースティック・ギターを弾き、ベースとドラムの2名を従えての演奏。たった3人のシンプルな編成だからこそ可能な自由さとスリルに満ちた演奏で、ステージ上の緊張感がひしひしと伝わってくる。人気の高い初期のナンバーから始めるのは、ファン・サービスの意味も含まれているだろうが、観客に媚びた様子やマンネリ感は無く、今ここで響かせることのできる音楽を創出しようとする意思に貫かれていた。
 2004年の来日公演を見た時に驚いたのは、全曲がジャム・スタイルで演奏されたことだ。リッキーが演奏しながら各メンバーに細やかな指示を出し、ステージが進行したのだ(その時のレポートはここにあるので参照のこと)。編成こそ違うものの今回も基本スタイルは同じ。曲のフォーマットを守りつつも、その時、その瞬間に発生する何かを模索し、メンバー同士が共振しながら音楽が創られていく。リッキーがジャズを踏襲したミュージシャンであることは言わずもがなだが、ライヴ現場における発想もジャズのマナーそのものなのだ。
 どうやらセットリストも作られていなかったようだ。大筋の流れは決められているのだろうが、次にどの曲を演奏するかは完全にリッキーの判断で、彼女が歌いだしてからベースやドラムが合わせることがほとんど。バッキングのパターンも一定ではなく、ベースを弓で弾いたり、ドラマーはブラシなど何種類ものスティックを持ち替えたり。またバッキングの2人は単にベースやドラムを担当していれば良いという訳ではない。曲によってはベーシストがシーケンサーを操作したり、ドラマーがピアノを弾いたりと忙しい。リッキーが要求する音楽性を実現するには、マルチ・プレーヤーとしての技量が必要だ。リッキー自身もアコギとストラトを使い分け、パーカッションや、何とドラムセットの横でシンバルを叩きながら歌う場面もあった。そして中盤ではグランドピアノも。リッキーのライヴを見るのはこれで3度目だが、彼女がピアノを弾くのは初めて目にした。
 昨年発売された最新作、『Balm in Gilead』からは5〜6曲を披露してくれた。このアルバムの特に後半はややアブストラクトな音像で、地味な印象を持っていたのだが、今回のライヴで好感度が上がった曲がいくつか。「His Jeweled Floor」は素朴な味わいのあるカントリーの名品だ。本編の最後の方でリッキーの弾き語りによって演奏された「The Moon Is Made Of Gold」は、収録曲中一番聴きたかった曲でもあったが、数多いリッキーのクラシックにも匹敵する名曲だと再認識。
 全編を通じて演奏はとてもデリケートで、リッキーのギターから鳴るハーモニクスの1音とて聴き逃せないほどの密度があった。それ故、観客もかなりの集中力が求められるのだが、さすがクアトロに駆けつけるほどの熱心なファンは良き理解者だ。ステージから投げかけられる音に素直かつ温かい反応が見られた。それに呼応してリッキーたちのインプロビゼーションが加速し、グルーヴがますます高まっていく理想的な展開。演奏主体とそれを見つめる客体の両者が真摯に音楽と対峙していた。その空間にあったのは、臆面も無く言葉にすれば、「愛」としか形容できない。実際、観客がステージに向かって「We love you!」と声を掛けたら、リッキーは「ありがとう。私たちもみんなからの愛を感じているわ」と嬉しそうに答えていた。
 楽しいライヴは数あれど、これほど幸福な気持ちになれることも珍しい。信じ難い体験は、普段では考えられない行動まで可能にする。私など、隣で小柄な女の子が首を伸ばして見辛そうにしていたので、場所を代わってあげたほどだ。特に他意があった訳ではないが、自然に慈愛の気持ちが生まれたのだ。
 冒頭の「It Must Be Love」を始め、馴染みある名曲の数々も大盤振る舞い。記憶している曲を列挙すると「Weasel And The White Boys Cool」、「Living it Up」(8ビートのアレンジがかっこよかった!)、「Pirates」、「We Belong Together」、「Satellites」などなど。本編のラストは「Chuck E's in Love」。最後の「Chuck E's in love… with me〜♪」の部分を心成しか照れたように歌ったのがかわいかった。
 本編終了後、一旦客電が点きかけたが、圧倒的な喝采に応えてメンバーがステージに再登場。リッキーは「Excellent Night!」と喜び、手を振った。過去にはアンコールに答えなかったことがあるので、これでお終いかと思いきや、舞台袖に引っ込む途中でリッキーだけ戻ってきてピアノの前に座ったため観客は大喜び。歌ったのは「On Saturday Afternoons In 1963」。ああ、もう感無量。
 開演が19時半と遅かったので、トータルでも1時間半ほどの短いライヴだったが全く不満はない。それどころか人生を通じて屈指のライヴだったと思えるほど。これを書いているのは終了から丸1日が経ってからなのに、この日の余韻はまだ冷めやらない。