立川談志 リビング名人会@よみうりホール



 詳細後報
 一言だけ書いておくならば、ホームランか三振しかないと言われる談志家元にとって、久々の場外ホームランだった。実は家元の「芝浜」を高座で聞いたのは初めてだったのだが、今まで聞いたことのある誰の「芝浜」とも違っており、現代の大名人談志にとっても一世一代の名演と言っていい代物だろう。これを見ることができただけでも、談志と同じ時代に生きた幸運に感謝したいぐらいだ。


【1/17追記】
 本編を書く前にコメントが付いちゃって、書く気を失くしたまま放置しとりましたが、まあ一応書いておくか。
 12月の独演会で家元が「芝浜」を演るってのはファンの間ではお約束である。去年(06年)の12月のよみうりホールも当然それを期待して足を運んでいたのだが、その時は直前の三鷹での独演会でかかってしまい、「飽きた」という理由で別の噺になってしまった。家元の「芝浜」を実際の高座で見たことのない私は、やっとチケットが取れた12月の独演会だっただけに、口惜しい思いをしたものだ。
 「芝浜」と言えば三代目桂三木助の十八番として知られる。以降の噺家が演じるのは概ねそのスタイルを踏襲したものだ。ところが談志の「芝浜」は細かい部分を改編し、独自の「芝浜」として別の解釈を持たせることに成功している。簡単に言うと、その他の談志落語と同じくリアリズムの追求である。そのリアルさには録画や録音によって残されたものでは伝わり切らない魅力があり、だからこそ12月のよみうりホールは特にチケットが取り辛いという事情もある。
 この日高座に上がった家元は、開口一番「もう、だめだ」と弱音を吐いた。本人曰く、体力も気力も維持できていないそうで、気が狂わないようにしているのがやっとだとか。気が狂うふりをすることで、何とか気が狂わないでいられるなどと言っていた。遠目に見ても老化から来る肉体的な衰えは隠せないところで、見るたびに小さくなっていくような気がして侘しい。
 「真面目にやってるというのは中途半端だからだ」などとえらく哲学的な愚痴をこぼしつつ、割と早い段階で「今日は芝浜をやりますよ」とぽつり。期待されているのは本人も分かっているが、とうの昔に飽きているので仕方なしといったニュアンスだった。本来なら色めくところのはずなのに、自他共に認めるこの年老いた噺家が嫌々演じる「芝浜」はいかがなものだろうと、この時点では不安にならざるを得なかった。
 一席目は「意地くらべ」という噺。初めて聞いた噺だが、既に一ヶ月近く経過していることもあり、ほとんど印象が無い。それは二席目の「芝浜」が予想をはるかに上回るイリュージョンだったこともある。
 「芝浜」は大変有名な噺で、観客は全員内容を知っている。知らない人はこちらを読んでね。噺に入る前に「42両の金を拾ったのが夢だったと分かったところで、働くようになるのかね」と家元自らストーリーの大前提に疑問があることを明らかにした。酒好きで自堕落な亭主が簡単に改心するものか。その疑問を解消するのがこの噺の肝でもある。
 明らかに乗り気ではなく、「最初に酒飲んでるところで終わるかもしれない」と言って始まった噺は、進むにつれて徐々に空気が変わって行った。私が最初に背筋がゾクゾクっとしたのは、時が早すぎたために市が開くのを待って芝の浜で亭主が煙管をふかすシーン。所作だけで演じる場面なのだが、火を点け損なって「アチッ」と手を払う動作が盛り込まれていた。ストーリーの説明に徹するなら必要の無い余分な表現である。しかしその動作があることで、寒々とした夜明け前の浜でしょぼくれた男がひとり佇んでいる情景が浮かび上がるのだ。着物姿の老人がたった一人で見せる描写力には、1000人を超す観客が物音ひとつ立てずに引き込まれてしまう凄さがあった。
 また浜で財布を拾った亭主が、帰宅後に喜んで酒を飲んで寝てしまった翌朝、財布のことなど知らないと女房が言うシーンも無理が無かった。夢の中の話であったことをあっさり亭主が認めるのは、女房に全幅の信頼を置いているからであることが表現されていた。他の噺家が演じる場合、亭主が大喜びで友達を連れてきて宴会を開くシーンがあるのだが、家元はこれをカット。証人が残ってしまっては、夢の中の出来事とするのに不自然さが残ってしまうからだろう。
 そしてラストの女房が財布を隠していたことを打ち明ける場面。亭主を騙していたことを泣いて詫びるのだが、女房自ら前後不覚になるほど酒を飲みたいとの台詞があった。亭主を騙し続けた自分の胸中がいかに苦しかったかの裏付けである。さらに財布を拾ったのは夢の中の話にするよう大家の進言を受け入れたのは、偶然道で会った時に異変を読み取られたからとしていたのも良い。普通は女房が自発的に大家に相談に行くことになっているのだ。設定を変えることで、女房にも葛藤があったことを匂わせている。
 リアリズムの追求と、単に辻褄を合わせるだけでなく、芸として昇華されたパフォーマンスの凄み。老いてもなお、これだけのものを見せる家元には圧巻という他無かった。一席終えた後は、家元自身による解説が付け加えられるのが常であるが、この日はさすがの家元も言葉少なだった。噛みしめるように二、三度洩らした「一期一会」の一言に集約されていた。「アドリブでこれだけできる芸人を簡単に殺すわけにいかない」とも言っていた。その言葉には全面的に同意。緞帳が下りて追い出しの太鼓が鳴っても、しばらく座席から立ち上がる気にならなかった。それほど放心状態にさせる噺家が他にいるだろうか。帰る道々も「家元はスゴイ」と反芻しながら帰宅した。
 ところで噺に入る前に「芝浜」は文楽師匠が亡くなるまで演らなかったと言っていたような記憶があるが、調べてみたところ文楽は「芝浜」を得意とはしていなかったようだ。何故だ。文楽三木助を聞き違えたのか。しかし三木助が亡くなったころは、家元はまだ談志を名乗る前のはずだ。今となっては確認の手立てが無い。気になる。