イッセー尾形「太宰治を読む!書く!創る!」@北千住シアター1010



 Totちゃんに誘われ、イッセー尾形の公演へ。かれこれ四半世紀ほど昔、「お笑いスター誕生」の頃から知っているイッセー尾形だが、舞台を見るのは初めてだ。タイトルが「太宰治を読む!書く!創る!」とあるので、太宰など中学生の時以来読んだ記憶が無い私には手に負えないかと不安であったが、実際にはテレビでも見たことのある一人芝居のスタイルだった。
 太宰作品にテーマを求めたと思われるものは特に見当たらなかった。心中を図ろうとする男女が登場したり、名家の子息が出てきたり、自堕落で退廃的なキャラクターが多かったりするのは太宰のモチーフかと思ったものの、基本的には太宰とは無関係に楽しめるイッセー尾形の世界が展開されていたように思う。よく考えたらタイトルに「太宰治を演じる!」とは一切書いていないのだから、それで良いのだろう。反論、ご指摘は何なりと。
 同じ一人で演じる芸でも、イッセー尾形の場合は落語のように一人で何役も演じ分けたり、ナレーションが入ったりということが無いため、どうしても台詞が説明的になる部分があるし、どのネタもシチュエーションの展開が無いため、まだるっこしさを感じることはある。スピード感に欠けるのだ。しかし初めて舞台を見た私でも約2時間を全く飽きることなく楽しめたのだから、それはこの芸の限界として割り切るべきなのかもしれない。むしろこれだけ制限の多い中で見せる芸であるという前提の下に楽しむものか。
 では何故楽しめるかというと、イッセーが演じるキャラクターはどこにでもいそうなリアリティを持ちながら、でも実際にはいないだろうと思えるほどにデフォルメされていることで安心、共感とは別のカリカチュアが成立しているからだと思う。「あるある」と思わせるだけのことしか言っていない「芸人」とは根本から違うのだ。イッセーが演じ、描く世界は一種のファンタジーであり、イリュージョンだから面白い。無論、その世界を創り出すための演技力や、ディティールへのこだわりも相当なもの。


 午後2時開演で、終演が4時。まだ明るい時間だったが、Totちゃんと会場近くの串揚げ屋へ入り乾杯。二人ともお昼ごはん抜きだったしね。散々飲み食いしても、店を出たのは7時前。当然終電の心配は無い。気分が良かったので私は新宿で途中下車して、ほろ酔いのままレコード屋へ行ってしまった。飲み会はこの位の時間からスタートするのがよろしいようだ。酒臭い客に来られるレコード屋はたまったものではないと思うが。