今さらながら13〜14日の日記をまとめて。
 いろいろな事情から鬱気味傾向に拍車がかかっていた11日の夜、このままではいかんと思い名古屋行きを決心した。本当はそんなことをしているほど経済的にも、時間的にも余裕は無いのだけど、今私に必要なのは思い切った気分転換である。13日は名古屋でNYLONのライヴだったのだ。大阪でライヴを見てから既に3ヶ月が経過しているし、NYLONの諸君にそろそろまたキックを入れてもらおうと思い、決行。
 13日は昼まで諸々雑用をこなして、午後の新幹線で名古屋へ。新幹線の線路は山を切り開いて敷かれていることが多く、平地より標高の高い所を走っている。従って平野部よりは気温が低いのだろう、家の近所ではすっかり葉が伸びてきたのに、ちょうど満開の山間の桜を何本も見た。天気も良く、爽快である。旅の共に持ってきた携帯プレーヤーではあえてNYLONを聴かず、彼らに影響を与えたと思われるジャム、ドクター・フィールグッドルースターズ、バラクーダーズなどを聴いてひとり盛り上がる。
 午後5時前に名古屋に到着。名古屋駅前のビックカメラでフィルムを購入し、地下鉄で今池まで。今池の得三というライヴハウスで今夜NYLONが演奏するのだ。名古屋からの所要時間は10分ほどである。開演時間にはまだ間があるので、まずホテルへチェックイン。と言ってもカプセルホテルだが。名古屋は5〜6000円も出せばそこそこ綺麗なビジネスホテルに泊まれるのだが、生憎今は愛・地球博が絶賛開催中である。一昨日の夜検索したところ、このクラスの宿は軒並み満室で、やっと見つかったのはカプセルホテルだけだったのだ。齢37にして初めて宿泊するカプセルホテルだが、寝るだけだし、ライヴハウスからは徒歩5分ぐらいだし、何しろ安いことも手伝って、ええいままよと思って予約した。何事も経験なのだ。
 道路が広すぎて却って道が分かりにくい名古屋の街並みに少々戸惑いながら、開演の7時前には得三に到着。こちらも一昨日の夜メールでチケットを予約していたので、カウンターで「メールで予約してた者ですが…」というと「あ、タナハシさんですね」と言われる。どうやら予約していたのは私だけだったようだ。得三ライヴハウスとしては大きな方だと思う。横浜のF.A.D.ぐらいのサイズで、オールスタンディングなら300人は楽に入るだろう。しかし「ライヴの無い日やライヴが終わってから閉店まで、TOKUZOは朝までやってる呑み屋である」のキャッチフレーズ通り、通常はフロアにテーブルと椅子が並べられており、ライヴの間も食事をしたり、飲んだりしながら見る形式のお店のようだ。私が到着した時点で3分の1程度のテーブルに客が座っていた。ざっと20人ほどだろうか。こんな雰囲気、しかもこの動員の中でNYLONがライヴをやるのか?といぶかりながらも、撮影をするつもりで来ているので、ガラ空きの一番前のテーブルに座り、ギネスを飲みながら開演を待った。
 ほどなくしてひとりの若者から声を掛けられた。mixiのNYLONコミュニティのメンバーのぱやさんだった。彼は名古屋在住で、得三のライヴを見に行くと表明していたので、会場で会おうと約束していたのだ。実際に会うのは初めてで、彼は私より10歳以上若いのだが、同じコミュニティを介して会ったのであまり違和感無く会話が成立した。こういうところがmixiのすごさだ。お互い「こんな雰囲気でNYLONが出てきて大丈夫かねえ」と心配しているうちに開演。NYLONはトップバッターだった。
 3ヶ月ぶりに見るNYLONはいつも通りBGMも無く、無言でステージに現れ各々がセッティングを行う。それが終わるとメンバー同士がアイコンタクトを取り、カウントに入る。1,2,3,4!!でジャンプして飛び出した1曲目は「ダンダンビート」。いつもと寸分違わぬNYLONのライヴがスタート。

 おいらの周りのやつらは どいつもこいつもだらしねえ
 生きてる意味がないのなら とっととくばっちまいな

 私が到着した頃よりは多少客が増えていたが、それでもせいぜい30人ぐらいだっただろう。それも大半が会場後方のテーブル席に着いたままの状態にも関わらず、NYLONはいつも通りの演奏をぶっ放す。ヴォーカル、メグは絶叫し、ギター、シマノは右へ左へ飛び回る。彼らにとっては会場がどこであろうと関係ないのだ。この迫力にはとても座っていることなどできず、立ち上がって踊り、叫び、夢中でシャッターを切った。NYLONのライヴはこれで4度目だが、周りに客がおらず、こんなに楽に写真が撮れたのは初めてだ。3曲目ぐらいでシマノはとうとう客席に飛び降りる。普通なら客の頭上を運ばれながらギターを弾くのだが、この日は人がいないのをいいことにフロアで暴れ回る。遂には私が座っていたテーブルにまで飛び乗った(写真参照)。

 NYLONが偉いのは、これだけ暴れ回っていてもそれがちゃんと計算の上で行われていることだ。普通ライヴハウスで演奏するバンドはその日のセットリストを書いた紙を足元やモニターに貼っているものだが、NYLONはそれをしない。それでも曲間をほとんど置かずに「1,2,3,4!」でダダダダダッと次の曲に入っていくのだ。
 お馴染みの曲に加え、新曲も3曲(?)ほど聴けた。相変わらずのビートナンバーで、これらもライヴでの定番になっていくのだろう。1月に見た時は新メンバーのドラム、マサオが他の3人のノリに着いていくのが精一杯という印象を受けたが、この3ヶ月で10回以上のライヴをこなした成果が現れているようで、ベース、シホの重たいベースと絡み合って力強いグルーヴが感じられた。もう大丈夫だろう。
 NYLONのアルバムは家でもよく聴いていて、ガレージ、パンク系のバンドのレコードが何度も繰り返し聴けるというのは私にとって異例のことなのだが、それでもやはり生の演奏はレコードより数段素晴らしい。ハコがどんな雰囲気であろうと、動員が寂しかろうと、自分達の音に確信を持っているからこそ、NYLONはNYLONの音を出し、私は圧倒されたのだった。開演前に少しでも不安を抱いた自分が恥ずかしかった。最高という言葉でしか表現できないのも恨めしい。ついでに言えば、こんなにすごいバンドがこんなに少ない観客の前で演奏していることが信じられない。
 約40分を駆け抜けたNYLONの演奏が終わったら、見ていただけなのに汗だく。そしてしばし放心。名古屋まで来て良かったと心底思った。
 その後のバンドは申し訳ないが、私にとってはオマケ。ダックメンはギター&ヴォーカルとドラムの2人編成でスカをやるというユニークなバンド。スペシャルズの曲に日本語詞をつけたのはちょっと面白かったが、正直に言えばベースとかホーンとかあればもっと良いのにと思った。トリはこの日の企画者であるかまボイラー。4人編成で日本語詞のフォークロック、カントリーロック風の音。数年前流行った「喫茶ロック」のオムニバスに入っていたら違和感なさそう。アルバムはサンボマスター山口隆がプロデュースしているそうで、それはちょっと意外。演奏は非常に上手かった。
 ライヴ終了後、会場後方のテーブルでかまボイラーの打ち上げが始まった。そうか、客の多くはかまボイラーを見に来ていたのだ。ドラムが名古屋出身の人だそうで、友人知人が来ていたのかもしれない。一方NYLONのメンバーはメグとシホが物販のコーナーに立っていて暇そうにしていた。ぱやさんがアナログ盤を買っていたので、私も何か買おうと思い、既に1枚持っていたけど、Tシャツを購入。キングジョーがメンバーを赤塚不二夫タッチで描いたこのTシャツは、なかなかの傑作だと思っている。こんな機会もあまりないだろうと思ったので、「東京から見に来たよ」とメグ、シホに話しかけ、熱狂的ファンであることをアピール。「立ち話も何だから」と我々のテーブルに誘い、ぱやさんを入れて4人でそのまま1時間ほど話し込む。この時点でシマノは岐阜から来ていたとかいう友人と帰った後で、マサオは何と熱を出して楽屋で寝込んでいた。ライヴ前から調子は悪かったようだ。演奏を聴く限りそんな風には全く見えなかったのに。
 1時間も話をすれば色々なことが聞けるもので、プライベートに関することなどここでは書けないことも聞いた。印象としては2人とも普通の25の女の子で、ステージ上とは別人のようだった。まあ、これは当たり前か。アルバイトをしながらバンドを続け行くのも中々大変なようだし、25と言えばミュージシャンとしても決して若過ぎる歳でもない。あの激しいパフォーマンスが後何年ぐらい続けられるのかは定かではない。最高のライヴをやっているのに、現在のくすぶった状況は何とも歯がゆい。私が音楽ライターとしてもっと影響力を持っていればなあと、我が身のふがいなさを痛感した。去年の8月以来東京でライヴをやっていないのも、ブレイクの兆しが感じられない要因のひとつかと思われる。5月28日には八王子、6月11日には新宿、12日には代々木で、待望の東京のライヴが決定している。これを読んだ方で少しでもNYLONに興味を持った方は、悪いことは言わないから一度彼らのライヴを見てもらいたい。私は去年の7月24日、ザ・フーのライヴを蹴ってNYLONを見たが、それを全く後悔していない。ハガキを出しまくったのにポカリスエットの懸賞が当たらずにザ・フーを見逃したのは、老いぼれのフーより、未来あるNYLONを見ろとロックンロールの神様がお導きになられた結果だとさえ思っている。あの日NYLONを見てなかったら、この日名古屋まで来ることもなかっただろう。


 明けて14日、カプセルホテルはスーパー銭湯のような大浴場が併設されており、宿泊客は何度でも利用でき、なかなか快適だった。チェックアウトは12時だったので、午前中はリラクゼーションルームという部屋にずらりと並ぶ一人用の長椅子に横になりながら、椅子ごとに付いている液晶テレビヤンキース戦を観戦し、その後また一風呂浴びてから宿を後にした。
 夕方に名古屋駅前から出る高速バスで帰宅することにしていたので、それまではレコードハンティング。昼食を済ませてから昨日ぱやさんに場所を聞いていたグレイテスト・ヒッツ今池店へ。レコードとCDが半々の、オールジャンルの中古店。店内全部をチェックするのは無理と思ったので、5〜600枚ほどあった7インチ盤のコーナーだけ漁り、Johnny G.(元カウントビショップス、元ドクター・フィールグッドのギタリスト)のソロ・シングル(写真)

と、加山雄三の「ブーメラン・ベイビー」、デイヴ・エドモンズの「I Knew The Bride」のドイツ盤をゲット。何故か名古屋ではデイヴ・エドモンズに縁があるなあ。チープ・トリックの珍しいソノシートもあったが、値段を考慮し、見送り。
 その後名古屋駅まで地下鉄で移動。荷物とカメラをコインロッカーに入れ、昨日撮影したフィルムを昨日も寄った駅前のビックカメラで現像に出す。45分でやってくれる店よりは仕上がりが良いはずなので、ここに持ってきたのだ。幸いバスの出発時刻前には出来上がるとのことでホッとする。時計を見ると午後1時過ぎ。バスが出るのは5時なので、それまでレコードハンティングの続き。地下鉄に乗って上前津まで。ここから大須方面へ歩き、何軒か見て廻るのが名古屋での私の定番コースだ。
 まず上前津の駅から出るとすぐ店の前に出るサウンド・ベイ。2階の洋楽コーナーへ行ってまず愕然としたのは、アナログ盤の什器が半分ほどに減らされていたことだ。その分DVDの什器が進出していた。アナログは薄利だから無理も無いか。ここでも数少ない7インチの箱を漁り、古井戸「さなえちゃん」(写真)

とJ. マスシス&ザ・フォッグの「WAISTIN」を購入。またCDでフレイミン・グルーヴィーズの『Teenage Kicks』というイタリアで出た2枚組も。クレジットによれば86年の再レコーディングによるベストと、87年に出演したスペインのフェスティヴァルでのライヴらしい。最晩年のグルーヴィーズ音源ということになる。
 サウンド・ベイは面白いレコード、CDがたくさんあるので思いがけず長居してしまい、少しあわてて大須方面へ。この日の名古屋は気温が24度ぐらいあって、昨日のライヴのために革ジャンを着て来た私には不釣合いな陽気だ。歩いているだけで汗が出てくる。スガキヤが営業しているのを確認しつつ、早足で通り抜け、門前町通り沿いの円盤屋まで来て固まる。地下に降りようとしたら、階段に資材などが積まれており降りられないのだ。どうも店ごと無くなったらしい。移転したとも、改装するともどこにも表示は無く、潰れてしまったのだろうか。そのまま大須駅に近いもう一軒の円盤屋へも行ってみたが、こちらもシャッターが下りたまま。それもずい分長いこと開けられていないようだ。帰宅してからネットで円盤屋のHPを検索してみたが、こちらも閉鎖された後だった。名古屋では老舗の中古屋だったのだが、無くなったのだとすれば残念だ。上前津のバレンタインもずい分前に閉店してしまったので、私の定番コースから有力店がまた消えてしまったことになる。この界隈を散策する楽しみが減ってしまった。
 円盤屋の跡地から少し上前津方面へ戻ってグレイテスト・ヒッツ。こちらはちゃんと営業していて、胸をなでおろす。しかし店内が大幅に変更されており、ヒップ・ホップ、R&B(リズム&ブルースにあらず)中心の品揃えになっていた。以前はロックにも力を入れてくれていたのに、今やロックの在庫はレッド・ツェッペリンレディオヘッドも同じ「ロック・グループ」のコーナーに押し込められていた。まあ、間違いではないけどね。パンクとガレージ、サイケは独立していたのだが、どうも売れ残りみたいなものばかりで収穫無し。今日の流れから行くと掘らないわけにはいかない7インチ盤のエサ箱からは意外なブツが見つかり、3枚捕獲。デイヴィ・ペイン(ブロックヘッズのサックス奏者)のソロ・シングル、レイチェル・スウィートの「BABY LET'S PLAY HOUSE」、ドクター・フィールグッド「PUT HIM OUT OF YOUR MIND」ドイツ盤(写真)。

 円盤屋が無くなっていたお陰で、焦る必要も無くなってしまい、グレイテスト・ヒッツをゆっくりチェックして名古屋駅まで戻る。時刻は4時過ぎ。ビックカメラで現像された写真を受け取り、名駅地下のエスカにあったいかにも名古屋の喫茶店と言うべき店で一服。暑い中歩き回っていたので、アイスコーヒーが美味い。ここで写真をアルバムに移し替え。写真を見ながら昨夜のライヴの興奮を思い出し、ひとりほくそえむ怪しい人になっていた。そのNYLONのライヴの模様は15日分日記か、こちらで。
 そうこうしているうちにバスの時間だ。コインロッカーから荷物を出して集合場所へ向かう。この時気が付いたが、名古屋滞在中にホームレスのおっさんをひとりも見かけなかった。今の日本の経済状況を考えれば名古屋の規模でホームレスがいないなんて考えられないが、これも万博のせいだろうか。市外かどこかへ追いやられているのかなあ。ホント、万博ってはた迷惑だよな。
 5時過ぎにバスは名古屋駅前を出発。携帯プレーヤーでベックの『グエロ』を聴いているうちに睡魔が。昨日はNYLONのライヴの興奮が覚めやらず、深夜4時近くまで眠れなかったし、その前の日も3時間ほどしか寝てなかったから、疲れがピークに達していたのだろう。平日の便だったので隣は誰も座っておらず、狭い座席からはみ出しても問題なかったのは助かった。うつらうつらしていたら、あっと言う間に東京へ着いてしまった。