林家正蔵襲名披露公演@新宿末広亭



 野暮用で昼から新宿へ。会社勤めを辞めると通勤定期というものが無くなるのでどこへ行くにも電車賃は自腹になってしまう。すると現金なものでひとつ用事を片付けるにも何かと抱き合わせようという意識が働く。新宿へ向かう電車の中で、末広亭の今月の上席は正蔵襲名披露公演だったことを思い出し、行ってみることにする。当日券は5時ぐらいから発売だったはずなので、用事を済ませた後、時の人正蔵の人気を考慮して3時に行ってみれば、当日券を求める人が既に10人ほど並んでいた。さすがにマスコミでも大きく取り上げられた歴史的な襲名である。普段の末広亭なら考えられないことが起きているのだ。無職の機動力を発揮し、さっそく列の最後尾に並ぶ。平日でこれなのだから、土日だったら朝から並ばないと当日券は買えないかもしれない。
 5時になって当日券を買い、入場。この2時間の間に当日券を求める列はどんどん延びて行き、最終的にはどれくらいの人が並んだのか私には分からなかった。並んでいる内に数日前ブックオフで買ったばかりだった立川志の輔著『志の輔旅まくら』(新潮文庫)をほぼ読み切ってしまう。1階の10列目までは前売りの指定席で、既に完売している。当日券は自由席で、11〜13列までと桟敷、2階席に座れることになっていたので、12列目の1階席を確保。その他の席もどんどん埋まり、5時半の開演には立ち見も出て満員状態。尤も末広亭のキャパは250人ぐらい。渋谷のクアトロを一回り小さくした程度のサイズで座席が付いているのだ。何しろ創業は明治30年、今の建物になったのが昭和21年という文化財級のハコである。ロックの世界で言えばマーキークラブとかCBGBみたいな伝統と格式のある場所であり、伝統を重んじる芸能だからこそここで行われなければならない。客の大半はお年寄りだが、20〜30代の姿も少々。桟敷席には難波弘之さんが座っているのを発見。前の方を陣取っていたので、彼も当日券の列に長時間並んだのか。
 出演は順に林家きくお、ぺぺ桜井(漫談)、林家たい平、林家いっ平、翁家勝丸(曲芸)、橘家円蔵鈴々舎馬風、仲入りがあって、襲名披露口上、春風亭小朝、予定されていた木久蔵がお休みで入船亭扇橋、上方からのゲスト(日替わり)の桂春団治林家二楽(紙切り)、そしてトリが林家正蔵
 錚々たる顔ぶれ。これだけの人が揃うことが、いかに今回の襲名が落語界にとって大事件かが分かろうと言うもの。本来ならトリを取るクラスの噺家が何名も出演するが、彼らとて普段ならこれだけの動員は難しいはずだ。高座に上がる演者が口々に「こんなに大勢のお客様に来ていただいて」と半分驚きながら話す。この襲名はこれ以上落語界を低迷させないための起死回生の目的もあったのだろう。
 私は普段立川談志を頂点とした立川流のとんがった落語、それもホール公演ばかり見ているので、この日の顔ぶれは小朝を除けば実際の高座を見るのは初めての人ばかり。出演者が多いので一人当たりの持ち時間も10〜15分程度、仲入り後の出演者でも20分程度と短く、それで古典落語を堪能するのは土台無理を感じる。しかしその場が持つ雰囲気、ヴァイブレーションとは大したもので、寄席で見る落語ならではの楽しさ、面白さが感じられた。きくお、いっ平はとりあえず置いておくとして、若手のたい平は短い時間を有効的に使いながら客を注目させる上手さがあったし、同じく短い時間の使い方でも、円蔵や馬風にはベテランの貫禄を見ることができた。このくらいのベテランになると、高座に上がっただけで寄席の風景の一部になり、今自分のいる場所が日常から寄席の世界へと切り替わる。エンターテイナーとはこういうことを言うのだ。
 仲入りの時間に入った場内アナウンスがまた笑わせてくれた。「ご来場のお客様にご案内申し上げます。女性用トイレにおきまして、入れ歯のお忘れ物がありました。お心当たりのお客様、入れ歯は橘家円蔵がお預かりしております」だって。70を過ぎてなお、こういういたずらを仕掛ける円蔵の粋なこと。
 そして襲名披露口上。小朝が口火を切り、春団治、円蔵、扇橋、馬風がそれぞれ挨拶。歌舞伎の口上とは違うので、それぞれがこぶ平時代、またはもっと前の子どもの頃のエピソードまで交えながら茶々を入れる。その間正蔵は頭を下げたままだ。噺家というよりはテレビタレントとして認知されたこぶ平正蔵になるための儀式であり、笑わされながらも感動的な光景だった。
 その後の小朝は舞台を完全に現代にアレンジした「桃太郎」。さすがと思わせる面白さで、「桃太郎は鬼が悪者とイメージを植えつけて、鬼が持っている利権を取り上げたブッシュだったんだね」と子どもに言わせるところは大笑い。
 桂春団治は「代書屋」。よく知られた噺が関西弁で演じられることがまず新鮮。元々は上方の噺だったのだろうか。そして春団治の気品ある芸の美しさにはうっとりした。声の抑揚、細やかなしぐさ、どれをとっても美しい。しかし落語であるから、見とれる、聞き惚れるのではなく爆笑してしまうのだ。今まで何となく上方落語は敬遠していた私ではあるが、それを後悔させるに充分な素晴らしい一席であった。
 そしてトリの正蔵。演目は「子は鎹」。浮気が原因で縁を切った大工の熊と、元の女房が、熊が息子の亀吉と偶然再会したことからめでたく復縁を果たすまでを描いた「子別れ」の後半部分。古典落語では有名な人情噺。それを正蔵は忠実に演じた。正直なところ人物の描写やタバコを吸う所作など、まだ雑に感じられる部分はあった。しかし父三平と違ってとぼけたことを言いながらもどこか生真面目さと優しさを感じさせるキャラクターはほのぼのとした人情噺に向いているようで、そのキャラクター故の感情移入はできた。ナンセンスなギャグを得意とした昭和の爆笑王の後を継ぐより、正蔵を継いだのは正解だったのかもしれない。無論、正蔵の名に恥じない芸人となるかどうかはまだ分からない。それは口上の際にも異口同音に言われていたので、重責を担っていることは覚悟の上での襲名であることは明らかだ。三平が正統派の古典とはかけ離れた世界を築いた人だったのに対し、自分は違う方向性を持った芸人であり古典中心の噺家を目指すというのなら、今後の挑戦を見守りたいと思う。