金が欲しくて、働いて、眠るだけ
まずはこちらの文章をお読みください。引用元はレナ思うゆえにレナあり
表現の自由っていってもさ・・・。
昨夜、コンビニでお酒を選んでいた時のこと。
突然、とんでもない歌声が耳に飛び込んできた。「こんな夜に〜お前に乗れないなんて〜
こんな夜に〜ハッシャできないなんて〜」思わず、持っていたラムコークを落っことしそうになったよ。
歌声は、明らかに忌野清志郎。
こんな下品な歌をコンビニで流すなよ!と、
ムカムカしながら買い物をした。インターネットで調べたら、あの歌は車についての歌で、
「ハッシャ」は「発車」のことだと判明。
タイトルは、「雨上がりの夜空に」。
なーんだ、下品に感じた私の方がヤバいかな?
でも、歌詞全体をよく読むと、忌野は確信犯だよ、絶対。
ファンのサイトでは、「言葉のセンスが最高!」「カッコイイ!」
と大絶賛されていた。
確かにうまく言葉をかけているな、とは感じた。
でも、女性を車と一緒くたにしているようで、不快だ。だいたい、車は「発進」させるものであって、
「発車」させるなんて言わないんじゃない?電車じゃあるまいし。表現の自由があるしさ、あれが彼の作風なのかもしれない。
もっと下品な歌を歌ってるアーチストも沢山いる。
それ自体に文句を言うつもりはないけど・・・。
(ファンの皆さん、気を悪くしたらゴメンナサイ。)
でもやっぱり、ああいう歌をコンビニなんかで流すなよ・・・
というのが、私の感想。
表現の自由が憲法で保障されているから私も言わせてもらおう。これを書いた女(推定)は救い難いバカである。
そもそも名曲「雨上がりの夜空に」を聴いてムカムカする程度の感受性の無さにには憐れみを禁じえないのだが、そのむかついた根拠となる言い草が「女性を車と一緒くたにしているようで、不快だ」とか「車は「発進」させるものであって、「発車」させるなんて言わないんじゃない?」とか、見当違いも甚だしい部分に絶望的な距離を感じる。
あのねえ、何にも知らないあなたに教えてあげるけど歌詞にはダブルミーニングという手法があって、ある事柄を歌いながら別の何かを意味しているという表現方法があるの。「雨上がりの夜空に」は日本語でそれをやったパイオニアに近い曲で、英語の歌ならもっと豊富に例がある。確かに上品か下品かと言えば下品な部類に入るだろう。露骨にセックスを意味する内容になっている点では。しかし男女間の関係を扱った歌である以上、セックスを匂わせるのは当然のことだ。だいたいあなたがどうやって生まれてきたのか知らないとは言わせないぞ。コンビニでラムコークを買うぐらいだから未成年ではないはずだが、いい年こいた大人のくせに処女の中学生並みの貞操観念しか持っていないあなたの方が非常識だと思う。
「ファンの皆さん、気を悪くしたらゴメンナサイ。」なんて書いている時点でこの人にはネット上で物を言う資格など無い。何か発言するなら徹底的に責任を負ってもらいたいものだ。いみじくも、名曲「雨上がりの夜空に」を書いた偉大な詩人忌野清志郎さんは、最近このような言葉を残している。インターネットで見たある書き込みに対するコメントだ。
これがインターネット時代というなら、何ともヒドイ時代だ。みんなが評論家という最低な職業を手に入れたような錯覚に落ち入っている。勝手なことを公のばでほざくな。ほざくなら責任がともなうものだ。仲間うちでやっとけよ。知ったかぶりするな。謙虚な気持ちを忘れるな。なんでこんな奴らに俺の歌をきかせなきゃならんのだ。CDも買って欲しくないし、コンサートにも来て欲しくない。おまえらナマイキだよ。だったら自分でやってみろって言いたい。とにかく、俺はもう二度と、こんなものは見ない。実に嫌な気分だ。
これが上記の女性の日記を見てのものでないことを祈る。清志郎がもしこの「レナ思う〜」なんぞを見た日には怒り狂うことは間違いないだろうから。まあ、25年も前の曲で「とんでもない歌声」と思わせたことは清志郎の勝ちだけどね。このレナなる女性は今後清志郎の曲が流れるコンビニなど行かずに、ビバルディでも流れるような、ドレスアップして行かないと入店を断られるような、そんなコンビニにのみ行ってもらいたい。尤もそんなコンビニなど見たことはないが。