ニーネ@新宿Red Cloth



 ニーネを初めて聴いたのは5年ほど前だったか。自棄を起こしているのかと思うほど性急に掻き鳴らされるギター、ズンドコなリズム隊、そしてフラット気味の不安定なヴォーカル。はっきり言えば下手くそだったのだが、技術云々がまるで気にならないほどに吐き出さずにいられない衝動が感じられたし、洗練の対極にあるような口当たりの悪さと毒気には圧倒された。いくらか大げさに、かつ美化して言えば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いた時に似た衝撃だった。
 それに彼らは極めて個性的であった。当時からピーズに似ていると言われることがあったのは確かだが、ピーズの背景にパブ・ロックや初期パンクが見え隠れするのとは対照的に、ニーネの音から標榜する具体的な何かを突き止めることは難しかった。その違いは些細なようで実は大きい。
 ディストーションのかかったギターと四つ打ちのドラムさえあればパンクだと思っている坊ちゃん、嬢ちゃんには理解できないかもしれないが、ニーネは佇まいそのものがパンクだった。輸入品を日本人好みに加工したサウンドなど彼らの眼中には無かったはずだ。日本で生まれ育った者ならではの感性とメンタリティの上に立っており、多くの現代人が思い当たる焦燥や倦怠や絶望を表現していたし、多摩地区の情景までも切り取っていた。自分の言葉で、自分の語法で、身の丈に合ったリアリティを音に託すバンドはそうざらにいるものではない。
 しかしニーネとて、その最初期の衝動がいつまでも持続できたかと言うとそうではない。触れれば切れるような鮮烈さが感じられたのは、アルバムで言えば『うつむきDXOK』(2001年)ぐらいまでだったと思う。クラッシュだって本当の意味でパンクだったのはファースト、ぎりぎりでセカンドまでだったのだ。音楽的に深みを持たないバンドが早々に行き詰まるのは当然の成り行きであって、ニーネも同じ轍を踏む。その後の2枚のアルバムは駄作とまでは言わないものの、それまでの彼らを知る者としては消化不良の感は否めなかった。
 年明け早々に発売になった2年半ぶりのアルバム『SEARCH AND DESTROY』はここ数年取り巻いていたもやもやを、かなり(完全に、ではない)解消していた。この2年半の間に大塚久生(vo、g)以外のメンバーが入れ替わり、演奏力の面ではいくらか向上が見られたものの、音楽性には変化が無く、むしろ大塚個人の資質をより追及したような仕上がりであった。クラッシュがラテンやレゲエ、ヒップ・ホップなど幅広いジャンルの音をミックスさせてより音楽的なバンドに移行したのとはまるで反対に、不器用さを敢えて前面に押し出し、誤解を恐れず言えば開き直りが生む空元気を原動力として蘇生した。この方向性には賛否があるだろうが、自らの資質を曲げてまで無理に音楽性を変えるよりはこれで良かったのだと私は思う。正解は何もひとつとは限らないのだし。
 ここまで書いてこれはライヴの感想として着手した文だったことを思い出した。ニーネが特異な存在であるが故、知らない人が読むことを考えるとこの位の事前説明が必要なのだ。
 アルバム『SEARCH AND DESTROY』のレコ発となる久しぶりのワンマンライヴ。知能指数の高そうな観客、ざっと100人ほどが見守る中で行われた演奏は、アルバム以上にふっ切れた感のある内容だった。ドラムの岡が加入して既に1年ほど経つのだが、彼が入ったライヴは私にとって初めてだった。CD以上にラウドに叩き、ライヴならではのラフな演奏に高揚した。ベースの川村もやはりCDと比較すると遊びの部分が多く、躍動感がある。しかしそれもこれも、全ては大塚の書く曲、歌う歌をバックアップするために行われていたことは明らかだ。
 主役である大塚は最初の2〜3曲こそ硬さが見られたものの、その後は伸び伸びと、今日のライヴを誰よりも満喫している様子で演奏を続けた。曲はもちろん新作からが中心であり、収録曲はほとんど演奏したはず。細かい部分では粗さが目立ったのは事実だが、ニーネのライヴで緻密さなど求めるのは筋違いというものだ。ほとばしる表現欲求に従い、無垢で無骨な音が繰り出されればそれでOK。それが見たくて来ているのであって、この日のステージでは望む姿が確認できた。
 2回のアンコールを含めて2時間があっという間に過ぎて行き、終わって時計を見た時、何よりその事実に驚いた。それほど大きな緩急の波があったわけでもないのに、全く飽きさせなかったバンドの実力は評価されてしかるべき。
 先人が舗装した道を行くような、せいぜい地道だったところに砂利を撒きながら歩くようなバンドが多い中で、シャベルとツルハシを手に道を切り開く所から始めたようなバンドがニーネだ。J-POPマーケットというのは相変わらず保守的で、手垢まみれで子供騙しの音楽が受けている現状は簡単に変わりそうもないけど、ニーネが切り開いた道に価値を見出す人がもっと増えてくれると、いくらか望みも生まれるように思う。